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『怨霊が棲む屋敷 呪われた旧家に嫁いだ花嫁』 第45話

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第5章 雪子の決意

7 椿の木の下に

 そこで、日記は途絶えていた。
 それはつまり、多佳子がこの家に帰れなかったということか。
「高木さん、多佳子を見かけたのが利蔵の家で最後だというのなら、多佳子は今も利蔵の屋敷のどこかにいるのではないのかしら」
「屋敷のどこかに?」
「はい」

 雪子は思い出したように、手にしていたハンカチに視線を落とす。
 何か思い出したのか、再び視線をあげた。
「どうした?」
「木の下」
「木の下?」

 椿の木の下。
 そういえば、以前、使用人の娘があの椿の木だけ虫食いがひどいと言っていたことを思い出す。

 殺虫剤を散布しても、枝を刈り込んでも、毛虫が増殖するのだと。
 何度かその木を植えかえようという話も持ちあがったが、世津子が頑なに拒絶した。

 屋敷の塀の内側に等間隔に植えられた木。
 なぜあの木だけが枯れているのか。

「高木さんは霊の存在を信じますか?」
 唐突な雪子の質問に、高木は苦笑いを浮かべる。
「僕自身はあまり信じたくはないと思っているし、霊を一度も見たことはないが……だが、存在はするのではないだろうか」
「私もそうです。でも、利蔵の家に来た最初の頃、誰かが私を呼んでいると言われて庭に行ったんです。この村に知り合いなんて一人もいないのに誰だろうと思って。ところが呼ばれた場所に行ってみたけれど誰の姿もなくて、ふと目の端に黒い影が横切ったと思い影の消えた木の下に行ったら、このハンカチが落ちていました。あの黒い影はもしかして多佳子の霊だったのかも」

 多佳子は父親にそっくりな隆史のことを自分が愛した利蔵自身だと思い込み、ことごとく彼の元に嫁いできた村の女性を呪い殺していった。そして、隆史の子どもを身ごもった自分にも、子を産ませまいと阻止する。

 確かめなければならない。
 多佳子を探しだせれば、すべてを終わらせることができるかも。
「私、屋敷に行きます。確かめたいことがあるんです。もしかしたら、多佳子を見つけられるかも」
 辺りを包むしんとした静寂。

 朽ちかけた家の隙間から、生ぬるい風が入り込み、湿気を孕んだ空気が身体にまとわりつく。
 ひび割れたガラス窓の向こう、見上げた空にどんよりとした雲が押しよせ地上に影を落としていく。

 突如、一筋の稲妻が天を切り裂き閃光を放った。
 遠くから雷鳴の音が鳴り響く。
 それが一間ごとに近づき、やがて大地を振動させ轟音をたてる。
 交互に押し寄せる稲妻と雷鳴。
「分かった。俺も行こう」

 納屋からシャベルを持ち出した雪子は、迷うことなく椿の木の根元にシャベルをつきたてた。
「待て」
 高木は雪子の手からシャベルを取りあげる。
「俺がやる」
「でも!」
「あんたがやるよりも、男の俺の方が早い。それに、あんたは……」
 高木は雪子のお腹に視線を落とす。

 身ごもってから癖になったのか、雪子は右手をお腹のあたりに手を添えていた。
「納屋に入って待っていろ」
 高木は空を仰いだ。
 つられて雪子も上空を見上げる。
 厚く垂れこめた雲のせいか、いつもよりも空が低い。

「じきに雨が降る。身体を冷やしたら毒だ」
 しかし、雪子は言い出したのは私の方だからとばかりに、厳しい顔つきで否と首を振る。
「いいから俺の言う通りに、あんたは……」
「いいえ、ここにいます」

 高木の言葉を遮り、雪子はもう一度首を横に振る。
 その目に意志の固さを宿して。
 しばし、互いに見合っていた二人だが、とうとう高木の方が折れ、やれやれといったていで息をつく。

 雪子が頑固な性格だということは、この数ヶ月一緒に行動をしてきた高木も周知のところ。
 もはや、これ以上何を言っても聞く耳は持たないだろう。ならば、雪子を説得するよりも、雨が降りだす前にさっさと土を掘ったほうがよさそうだ、と高木は考えたのだ。
「なら、せめてそこの木の陰にいろ」
「はい」
 高木の言葉に従い、雪子は隣の木の下に立つ。

 ザッザッと、土を掘り返す音が静寂の中で響く。
 足元が泥まみれになるのもかまわず、高木は土を掘り続けた。
「ほんとうに、ここに多佳子がいるというのか」
 最初は慎重に土を掘っていた高木だが、しだいにその手が荒くなる。
 なかなか目的のものに辿り着かないという苛立ちと、のんびり掘ってなどいられないという焦りのせいだ。

 高木のひたいにじっとりと汗が浮かびあがる。
 それでも高木は、手を休めることなく掘り続けた。
 雪子は分からないと首を振った。
「ただの予想だから」
 だが、もしこれで多佳子を見つけられたら、彼女も浮かばれることができるだろうか。

 しらずしらず、お腹のあたりに置いていた手を祈るように雪子は握りしめていた。
 見つかってほしい。
 だが、見つかればいったい誰が彼女をここに埋めたのかということになる。いや、誰と問うまでもない。
 それは、多佳子に付きまとわれていた先代の利蔵家当主か、あるいは、世津子。
 それとも二人の共犯か。

 隠し続けてきた二十五年前の真相が暴かれたとき、この家はどうなるのか。
 そこへ、土を掘り返す音に気づいた隆史が、夜着姿のまま慌てた形相で駆けつけてきた。
 やはり、隆史に知られずにことを進めることは無理であった。
「何をやっている!」
 雪子は現れた隆史を、一瞥しただけであった。

「答えろ! 何をやっているかと聞いている!」
「どうしても確かめたいことがあります」
「確かめたいことだと?」
 ふと、隆史の目が脇目も振らず土を掘り返している人物が、高木だということに気づいた。

 責めるような目で、隆史は雪子を見据える。
 一方、高木は利蔵の当主が現れても怯むことなく、脇目も振らず、ひたすら土を掘り続けた。
「雪子、これはどういうことだ。なぜ、この男がここにいる!」
 夜中に隣で眠っていたはずの妻が屋敷を抜け出し、別の男と一緒にいる。
 さらにその男は何をしているのかと思えば、他人の家の庭を掘っているのだから隆史が怒り出すのも当然のこと。

「こいつはうちの庭で何をしている!」
 訝しむその声と様子から、やはり、隆史は何も知らないのだということを雪子は確信する。
「ここに、この木の下に、多佳子がいるかもしれないからです」
「多佳子だって?」
「はい」
「どうしてこんなところに多佳子がいる。勝手な真似は許さない。いいからやめるんだ!」

 土を掘る高木をとめようと、隆史は肩をいからせ大股で近寄ってくる。
 その二人の間に割って入った雪子は両手を広げた。
「あなたも呪い殺されたいのですか!」
「呪い? 何をばかなことを。なぜ僕が……」
 雪子は真剣な目で隆史を見上げた。

「二十五年前、先代蔵家当主の三番目の妻が子どもを産んだ直後、当主も急死した」
 雪子の目は、私が言いたいこと、分かりますよね? という目であった。
「それがなんだという。僕の父は……」
「気づいていないのですか? あなたに付きまとう多佳子の影を」
「僕に? なぜ、多佳子が僕につきまとう!」
 憤りもあらわに隆史は吐き捨てる。
 その様子からして、隆史自身、そういったことに鈍いのか何も感じていないようだ。

「私、見たんです」
 雪子は眠っていた隆史の布団の中に、多佳子の亡霊が忍んでいたことを語った。
 その話を聞いた隆史は、顔を青ざめさせる。
「隆史さんと隆史さんのお父さまはとても顔が似ています。もしかしたら、多佳子があなたにとり憑いているのも、あなたが先代の利蔵の当主だと思い込んでいるのかもしれない」
「まさか! そもそも、多佳子のことは聞いたことはあるが、僕はその多佳子そのものを知らない。なのに、なぜその多佳子が僕に……いくら父と僕の顔が似ているからといって」
「真実は、多佳子に聞かないと分からないけれどもね」

 その多佳子も、すでにこの世にはいない存在。
 隆史は頭を抱えた。
「確かに二人の妻が亡くなったのは多佳子の呪いだったのかもしれない。まるで、父のときと同じ死に方をしたのだから。だけど、僕まで多佳子につきまとわれることになるとは……僕はどうすればいい」
「隆史さん?」
 雪子は首を傾げ、にっこりと笑い隆史を見上げる。

「隆史さんは、前の奥様が多佳子の呪いで亡くなったと知りながら、私を妻に迎えたのですか? 私も殺されるかもしれないと、分かっていながら」
「それは……」
 答えられず、それっきり隆史は口をつぐんだ。
 否定すらしなかった隆史に、雪子はそれほど衝撃を受けていないことに気づく。なのに、心にぽっかりと穴が開いたように虚しい気持ちになってしまうのはなぜだろう。

 脱力したようにその場に座り込み、うなだれた隆史を、雪子は冷めた目で見つめていた。
「何をしているの!」
 落ちた沈黙を破るような叫び声に、三人は振り返る。
 視線の先、凄まじい形相で縁側に立つ世津子の姿があった。
「そこは、その木の下には……何をしているの! やめて! やめて!」
 縁側から降り、裸足のまま世津子が駈けてくる。
「やめてちょうだい! お願いだからやめて……そこを掘らないで!」
 世津子の悲鳴は悲痛なものを感じさせた。

 雪子はごくりと唾を飲みくだす。
 半狂乱になり髪を振り乱す世津子の様子に、不確かだったものが確信へと変わった。

 多佳子はこの木の下に埋まっている。
 間違いなく彼女はここにいる。
 多佳子をここに埋めたのは誰なのか?
 おそらく、それが誰かを彼女は知っている。

 ざくりと土を掻いていたシャベルがそれまでとは違う、別の音をたてた。
 何か手応えを感じたらしい高木は、いったん手をとめ雪子を見る。
 雪子はごくりと喉を鳴らし、続けてとうなずいて高木に合図を送る。
 緊張した面持ちで、高木はさらに土を掘り返した。
 今度は慎重に。
 それが現れた。

 土の中に埋まっていた白骨化した遺骸が姿を現した。さらに、殺害に使用されたと思われる凶器、日本刀も発見された。
 雪子はその場に崩れるように座り込む。
 隆史もまた、茫然とした顔で木の根元に埋まっている白骨を、虚ろな目で見下ろしていた。

「こんなものが庭に埋められていたなんて……」
「ああ……なんてこと! 利蔵の家もこれでお終い……お終いだわ!」
 世津子の悲鳴にも似た声を聞きつけ、何人かの屋敷の使用人たちもこの場に集まってきた。

 ふと、見上げた空から雨がぽつぽつと降り始めた。
 その雨が、やがて地を叩きつけるほどの大雨に変わっていく。
 降りしきる雨の中、世津子は声をあげ泣き叫んだ。

第46話に続く ー 

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