『怨霊が棲む屋敷 呪われた旧家に嫁いだ花嫁』 第1話
第1章 村祭りの夜のできごと
1 村の嫌われ者
その日は、孤月村でおこなわれる、夏祭りの夜であった。
祭りといっても、出店が並び、花火を打ちあげるといった派手なものではなく、村の空き地に櫓を組み、集まった村人が好き勝手に飲み食いをしながら、歌をうたい踊るというお祭りである。
赤い提灯が揺れ並ぶ櫓の下でめかし込んだ村娘が、一人の若者を囲んではしゃいでいる。
その華やかな集団を、曽根多佳子は祭りの会場から離れた木の陰にぽつりと立ち、食い入るように見つめていた。
彼女の目は、娘たちと会話をしているその男だけにそそがれている。
男は孤月村を仕切る利蔵家の当主である。
整った容貌。長身で均整のとれた体つき。田舎村にはそぐわない、あか抜けた雰囲気をもつ青年であった。見た目もよく、さらに村の権力者の当主ともなれば、年頃の娘たちが下心剥きだしに集まってくるのは当然のこと。
男にはすでに許嫁がいるが、それでも娘たちはおかまいなし。男に気に入られ運良く子でも産めば正妻にはなれずとも、豊かな家の妾になれるのだ。
立ちつくす多佳子の脇を、酔った三人の男が千鳥足でやって来た。
男たちのうちの一人が足をよろめかせ、木陰に立つ多佳子の存在に気づかずぶつかってくる。
その拍子に、多佳子は前につんのめって地面に膝をつく。
男は自分がぶつかった人物を見て、あからさまに顔をしかめた。
「多佳子じゃねえか。祭りの日に嫌な顔を見ちまったぜ。ついてねえ」
まったくだ、と連れの男たちも不愉快そうに片頬を歪めた。
誰ひとり、地面に倒れた多佳子を助け起こそうとする者はいない。それどころか、多佳子を見る男たちの目はまるで汚物を見るようであった。
多佳子は無言のまま、ぶつかってきた男を上目遣いで見る。
「なんだよその目は。相変わらず薄気味の悪い女だな」
「毅、そんな女にかまっていないで行こうぜ」
毅と呼ばれた男はああ、と返事をする。
「おまえがここにいたら、せっかくの祭りもだいなしだ。とっとと消えろ」
毅は多佳子に向かって唾を吐く。
それを見た他の者は腹を抱えて大笑いをした。
「それにしても、若い女はみんな利蔵の旦那に持ってかれちまうな」
男たちは恨めしそうに、櫓の下にいる娘たちの群れを見やる。
「俺らなんか、相手にもしないって感じだな」
「おいおい、若い女ならほら、ここにもいるだろ?」
「何だったら多郎、この女を誘ってやれ」
毅は多佳子をあごで示し、皮肉混じりに言う。
「冗談! こんな醜女を相手にするくらいなら、家畜小屋にいる豚の方がまだましだ」
「ちがいねえ」
ひとしきり馬鹿笑いをした彼らは、多佳子に背を向け去って行く。
地面に膝をついたまま多佳子はうつむく。
多佳子とてまだ十七歳という年頃の娘。なのに、祭りの夜だというのに、男たちは多佳子に声をかけるどころか、寄りつくこともしない。
なぜなら、思わず目を背けたくなるほど多佳子が醜女だったからだ。
器量が悪く、親からはどうしてこんな不細工な娘を産んじまったんだろうと毎日のように嘆かれた。
ならば、その器量の悪さを補うほど明るく朗らかで、誰からも好かれる性格かというとそうではなく、多佳子が側にいるだけで場の雰囲気が悪くなるとまで言われた。
したがって、多佳子には恋人どころか、同世代の友人すらいない。
縦長の顔は子どもの頃から馬面とからかわれ、頬骨が張った顔にのっぺりとしたひたい。しゃくれた顎。顔中、吹き出物のせいで凹凸の目立つ肌はみるからに不潔そうだ。
落ちくぼんだまぶたに、目は異様に大きく、眼球が飛び出しているように見えた。おまけに目と目が離れているため、顔の造作のバランスが悪い。
腰までとどく長く質量の多い黒髪は、やぼったさを感じた。
口数も少なく、何を考えているのか分からない。
彼女も進んで村人たちに馴染もうとしない。そういう理由で、多佳子は村の誰からも良い印象をもたれることはなかった。
ふと、多佳子の目の前に手が差し出された。
視線を上げると、先ほど見つめていた男、利蔵家の当主が腰をかがめ、爽やかな笑顔で多佳子を見下ろしていた。
「大丈夫? 手」
手を出してという利蔵の仕草に、多佳子は半分口を開け、欠けた前歯を覗かせ視線を泳がせる。
「転んだ時に擦りむいたんだね。ちょっと待って」
利蔵は白いハンカチを取り出し、怪我をした多佳子の手のひらに巻きつけた。
「家に帰ったらきちんと消毒するといい」
多佳子はもう一度、上目遣いで相手を見上げる。
「利蔵さーん、何しているの? こちらに来て一緒に踊りましょう」
櫓から、娘たちが戻ってきてとばかりに手を振り利蔵を呼んでいる。
「ああ、待って。今行くから。それじゃ」
多佳子は手のひらに巻かれたハンカチに視線を落とし、次に軽快な足どりで去って行く利蔵の背を食い入るように見つめた。
吹き出物で荒れた多佳子の頬が、赤くなった。
◇・◇・◇・◇
翌日。
昨夜の祭りの余韻も消え、村にはいつもと変わらない日常が訪れる。
起床し身支度を調えていた利蔵の耳に、失礼します、と遠慮がちな声が障子の向こうから聞こえてきた。
下男のひとりが頭を下げている影が見えた。
「どうした?」
「へえ、旦那様にお会いしたいという方が表門の前に訪ねてます」
「僕に? 誰だろう」
時刻は、朝の七時前。
他人の家を約束もなく訪問するには、常識が外れている時間だ。
「それが……尋ねても名乗らないもので」
下男は申し訳ございません、と声を落とす。
「そうか……分かった。すぐ行こう」
部屋を出て、待ち人がいる表門へと早歩きで向かった利蔵は、門を開け視線を巡らせた。
門柱の隅にひとりの娘が立っている。
長い黒髪を結わえることなく肩に垂らし、うつむき加減でたたずむ娘。
着ているものはすり切れ黒ずみ、清潔感が感じられない。他に誰もいないところをみると、この娘が自分を呼び出した人物のようだ。
娘の手には、白いハンカチが巻き付けられていた。
「ああ、君は昨日の……」
娘は顔を上げた。
「ええと……」
前髪の隙間から、ぎょろりとした目が利蔵を見上げる。昨夜は暗がりで気づかなかったが、あまり気分のいい雰囲気の娘ではない。
娘は口元をゆがめニイっ、と笑う。
黄ばんだ歯と欠けた前歯に嫌でも視線がいき、目のやり場に困惑する。
その笑い顔すらおぞましいものを感じた。
そういえば、村で異質なまでに暗い印象の娘を時折見かけることがあったことを思い出す。
名を確か。
「曽根……」
「多佳子」
利蔵は目を細めた。
そう、曽根多佳子。
村で嫌われ者の娘の名だ。
「そうそう、曽根多佳子さんだったね。それで、こんな時間に僕を訪ねてきて、どうしたのかな?」
多佳子と名乗った娘はじっと利蔵を見上げる。
「あいにきた」
「僕に会いに来た? ああ、昨夜のお礼をわざわざ言いにきたのだね。たいしたことはしていないから気にしなくていい」
多佳子は無言で突っ立ったまま。
昨夜の礼を言うわけでもないし、お辞儀をするわけでもない。
前髪の隙間から、じっとこちらを見上げるだけ。
「怪我、早く治るといいね。じゃあ、僕はこれから出かける用があるから」
そう言って、利蔵は屋敷に戻っていく。
門が閉まるまで、多佳子は笑いながらこちらを見つめていた。
ぴたりと門が閉ざされたと同時に、利蔵は眉根を寄せた。
結局、彼女は何をしに屋敷に来たのだろうか。
利蔵は側で庭掃除をしていた下男を呼び止めた。
先ほどの下男とは別の男だ。
「君、曽根多佳子という娘を知っているか?」
へえ、と下男は庭掃除の手をとめ頷く。
「村の外れで病気の母親と二人暮らしをしている娘です」
「そうか」
と言い、利蔵は足早に屋敷に戻った。
胸にわだかまる気味の悪さは残されたものの、曽根多佳子の件もこれっきりだと思っていた利蔵にとって、それほど今朝のことを気にとめることはしなかった。しかし、多佳子は翌朝も、ほぼ同時刻に屋敷を訪ねてきた。
「今日は何かな」
昨日と同じく、じっとこちらを見上げるだけで、多佳子はなかなか口を開こうとはしない。
多佳子の手に、白いハンカチが握られていることに利蔵は気づく。
「ああ、ハンカチを返しに来たのだね。それは返さなくてもいいよ。多佳子さんにあげるから」
すると、多佳子はニイっと笑い、手にしたハンカチを口元に当てた。
多佳子の笑い顔はおぞましいものすら感じた。
それにしても、改めて見ると、とてつもなく醜い女だ。
若い娘が笑顔を浮かべれば、誰だって可愛らしいものだが、多佳子の笑った顔に可愛いという表現は当てはまらない。
それどころか、人を不愉快にさせるものがあった。
「じゃあ、僕はもう行くよ」
いつまでも、わけの分からない娘につき合っているほど、こちらも暇ではない。
利蔵は早々に切り上げ、屋敷へ戻った。
だが、まだこの時、異常ともいえる多佳子のしつこさに、利蔵自身のみならず、村人たちを巻き込み恐怖の底へと陥ることになろうとは、思いもしなかった。
ー 第2話に続くー