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『怨霊が棲む屋敷 呪われた旧家に嫁いだ花嫁』 第42話
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第5章 雪子の決意
4 古い写真
その夜、床についた雪子は、じっと布団の中で時が来るのを待っていた。
十時を過ぎた頃、青年団の集まりから帰ってきた隆史が布団の中にもぐりこむ。
やがて、隆史の寝息が聞こえてきた。
隆史が深く寝入ったことを確認した雪子は、身を起こし立ち上がると、隆史の枕元を横切り猟銃がおさめられている棚へと歩み寄る。
どうせ嫌われているのなら、何をしたって怖くない。
村に馴染もうとか、寄り添おうとかそんな考えは捨てた。
利蔵の家を追い出されたってかまわない。
雪子は息をつめ、猟銃が保管されている棚の扉を開けた。
カタリと音が鳴り、慌てて側で眠る隆史をかえりみるが、酔っているせいもあるのか、目覚める気配はない。
細く息を吐き、雪子はゆっくりとした動作で棚から猟銃をとりだした。そして、足音を忍ばせ屋敷から出ると一軒の家に向かった。
昼間、高木から教えてもらった村の長寿、山岡の家だ。
今宵は月もなく辺りは暗闇に包まれている。
雪子は懐中電灯を手に、猟銃を胸に抱え、夜のあぜ道を半ば急ぐように歩く。あらかじめ山岡家の場所は確認していたから、暗がりの中でも迷うことはなかった。
目的の家に到着し、雪子は身体を振るわせた。
緊張を解こうと深く息を吸い、心を静める。
住んでいるのは年老いた夫婦のみ。
山岡勝治とその妻トメ子。
子どもは成人して村を出ている。町で仕事を見つけそこで暮らしているのだ。
なおさら都合がよかった。
雪子は扉に手をかけた。
立て付けの悪い扉を横に引くと、軋んだ音をたてて開く。
この村では一日中鍵は閉めず、寝るときでさえ開けっ放しだ。
ぎしりと音が鳴ってひやりとしたが、山岡夫婦が起きてくる様子はなく、家の中はしんとしている。
息をつめ、雪子はさらに扉をあけ、身体が滑り込めるくらいまで隙間ができたところで山岡家へと入っていった。
私にこんな度胸があっただなんて意外ね。
寝室に向かい、二つ布団を並べて眠る山岡夫婦を見下ろす。
雪子は猟銃をかまえ、息を吸った。
「起きて」
「うう……」
「起きなさい」
雪子の声に眠っていた山岡老夫婦がびくりと布団から飛び上がった。
「ひ!」
「誰だね、あんた!」
「大声をださないで。聞きたいことがあるの」
「その声は利蔵んとこの嫁」
「雪子か? 雪子がいったい何しにきおった」
「あんた! 見ておくれよ! 雪子の手」
雪子の手に猟銃が握られていることに気づいた山岡夫婦は、目を飛び出さんばかりに見開き口をあわあわさせた。
「これから尋ねることに答えて」
突きつけられた猟銃に怯え、妻のトメ子はひいっ、と悲鳴をあげる。
「素直に答えてくれたら、手荒なことはしないわ」
「おまえ、こんなことして許されると思ってんのか!」
「こっちも必死なの」
山岡夫婦はお互い身を寄せ合うようにして抱き合う。
「なんで雪子が猟銃を持っておる!」
「文句を言うなら、鍵もかけずにこれを保管していた、利蔵の当主のずさんな管理を問い詰めなさい」
「い、い、いったい、こんな真似までして、何を聞きにきおった!」
「多佳子よ。多佳子はどこにいるの?」
厳密にいうなら、多佳子の死体はどこにあるの? というべきか。
「またその話か! あんた多佳子のことをあれこれ聞き回っているそうじゃないか。多佳子は二十年以上も前に死んだと守谷のじいさんから聞いたんだろ?」
守屋のじいさんとは、初めて多佳子のことを聞き出そうと村の広場に行ったときにとっ捕まえて無理矢理聞き出した人物である。
「死んだ? そうね、もちろんそう聞いたわ。でも、多佳子は行方不明のまま見つかっていない。死んだとしたら、多佳子の遺体はどこにあるの?」
「知らん」
「知らないわけないでしょう」
「知らんものは知らん!」
「言いなさい!」
雪子はぐっと銃口を山岡夫妻に向けた。
老夫婦は顔を青ざめ、身を震わせる。
妻のトメ子の股間がしっとりと濡れ、黄色いシミが布団に広がっていった。
アンモニア臭がつんと鼻の奥をかすめていく。
恐怖のあまり失禁したのだ。
もちろん、これはただの脅しだ。
そもそも雪子に猟銃など扱えるわけがない。それどころか、弾だって入っていないのだから。
よくよく考えれば、山岡とてそのくらいのことは気づくだろう。だが、パニックを起こし、今はそこまで頭が回っていない。
「ほんとうだ。そうだ! 行方不明になる直前、多佳子が利蔵の家に行ったのを見たという者がいる」
「ええ、それは知っているわ。それで?」
「それきり、誰も多佳子を見かけていない。もしかしたら、自分の家に帰ったのかもしれない。だが、とにかく、それ以来多佳子の姿は村で見かけていないんだ!」
利蔵の家に向かったのを最後に、多佳子は行方不明となった。
どこを探しても村で多佳子の姿を見つけだすことはできず、もしかしたら、山に入って何らかの事故にでもあったのかもしれないと、県警が付近の山を捜索したが、それでも多佳子を見つけることはできなかった。
曽根多佳子が他に行きそうなところを知らないか? 警察の問いに、誰も一言も首を傾げるばかりで何も答えない。
いや、答えられなかった。
誰一人嫌われ者の多佳子のことを気にかける者などいなかったから。
「なぜ、気にしなかったの?」
「多佳子は村の嫌われ者だ。目を背けたくなるほどの醜女だし、誰とも交流を持とうとはしなかった。薄気味悪い女だ。頭もおかしかった。多佳子がいなくなろうがどうしようが、誰も何とも思わん!」
「人ひとりが消えたのよ」
「この村はそういうところだ。そうじゃ、多佳子の写真を見るか?」
「写真? 写真があるの?」
「確か一枚だけ何かのときに撮った古い写真が……ばあさん、写真を見せてやれ!」
夫の指示で、トメ子は腰が抜けたように側の棚まで這いつくばり、引き出しからごそごそと写真を探し、それを雪子に差し出してきた。
「それを見ればあんただって多佳子がどれほど薄気味悪い女で、かかわりたくないか、分かるはずじゃ!」
雪子は差し出された写真を受け取り、懐中電灯をあて、目をこらした。
「右端に写っているのが、多佳子じゃ!」
写真に気を削がれた雪子の隙をつき、山岡が這うようにして台所へと消えていったことに雪子は気づかなかった。
写真の右隅に日付が書いてある。
今から25年前の八月二十日。
一番右端、長い髪を垂らし、伸びきった前髪の隙間からじっとこちらをのぞき込むように見ている女。
古びた写真のため、はっきりと顔を識別することはできなかったが、確かに気味の悪い雰囲気をかもしだしている女性だった。
そう、夢で見た女と同じ。
だが、それでもどんなに気味が悪かろうとも、突然姿を消し、それきり知らんふりなどあり得ない。
気に入らない人間なら、その者が消えようが、殺されようが、この村の者はどうでもいいのだ。
今だってそんな風習が残されている。
もし、ここで雪子が何者かに殺され消えても、誰も何とも思いはしないのだろう。そして、実家の両親には、ただ行方不明になったと伝えるだけ。
おそろしい村だ。
雪子は身を震わせた。
その瞬間、手が緩む。
そこへ、山岡勝治が包丁を手に台所から現れ襲いかかってきた。
「この女ーっ!」
悲鳴をあげる雪子目がけて、山岡の手に握られた包丁が振りあげられた。
殺される。
自分の死が多佳子の死と重なった。
助けて。
お腹をかばうようにその場に座り込んで身を丸め、相手の攻撃を防ごうとしたその時。
「雪子さん!」
自分の名を呼ぶ力強い声に、雪子は顔をあげると、口元に手を持っていき目を見開いた。
こんなことがあるのだろうか。
目の前に高木が自分を庇うように立っていた。
相手の凶器から自分を守ってくれていたのだ。
「高木さん……どうして」
高木の足元に点々と血が落ち、畳を赤く濡らした。
山岡の振りおろした包丁が、高木の腕を裂いたのだ。
高木は山岡の手首を握り、ねじり上げた。
痛みに山岡は呻き声をあげ、手にしていた包丁を落とす。
すぐさま、足元に落ちた凶器を高木は足で蹴り、山岡の手の届かないところへ遠ざける。
「高木さん、血が!」
悲鳴をあげる雪子を、高木は肩越しに振り返った。
「俺は大丈夫。かすり傷だ」
「大丈夫なわけ……」
高木は山岡を突き飛ばし、崩れかけた雪子の身体を支えた。
一方、山岡は人を傷つけたという衝撃で我に返り、布団の上でふるふると震えている。
その横で妻のトメ子は魂が抜けたように、だらしがなく口をあけ、惚けた顔をしていた。
「立てるか? 怪我は?」
雪子に向き直った高木の手が両肩に置かれた。
「身体は? お腹の子は?」
矢継ぎ早に身体の具合を訊ねてくる高木に、雪子は大丈夫です、何でもないです、と首を振る。
「どうしてここへ?」
「悪い予感というか、虫の知らせというか……外に出てみたら、懐中電灯を手にあぜ道を歩く人物がいるのを見た。もしかしたらと思ったら案の定、その人物は山岡の家の方向に向かっていく。それで後を追いかけてきた。それにしても、あんた、こんな無茶なことをして」
「ああ……」
雪子は手にしていた猟銃を見てさらに怯えた。
信じられなかった。
自分がこんな凶器で人を脅したりするなど。
殺す意思などなくとも、これは立派な犯罪だ。
震える雪子の手から高木は猟銃をとりあげようとするが、指が硬直したかのように動かなかった。
高木は一つ一つ雪子の指を猟銃からはがすように広げ、離れた雪子の手からそれを受け取る。
「私……」
「来い」
「でも……」
「いいから来い!」
なかば強引に高木に腕を引かれ、山岡家を出た。
第43話に続く ー