伊月一空の心霊奇話 ーそのいわく付きの品、浄化しますー 第40話
◆第1話はこちら
第3章 呪い人形
4 涙を流す市松人形
はたきで埃を払うように、頭からチャラ弁の言葉を振り払う。『縁』で働くこと自体は楽しい。
お店の雰囲気も、落ち着いていて好きだ。
小物やアクセサリー、陶器やお人形、どれもこれもため息がこぼれるほど素晴らしい品物が多く、心が癒やされる。
はたきをかけながら、紗紀は目の前の人形を見て再び手を止めた。
市松人形? わあ、上品な顔立ちね。
まるで生きているよう。
きっと、高価な人形なんだろうな。でも、きれいな顔立ちをしているけれど、こういうのってどこか怖いのよね。
それこそ心霊番組に出てきそう。
紗紀ははたきを置き、両手で人形に手を伸ばし持ち上げた。
この人形もやはりいわく付きなのかな? それとも、すでに浄化されたものなのか。
一空は霊能者としての仕事の他に、この骨董品店に集まってきた品物たちの思いを浄化させて無にし、あるいは、物たちの思いを鎮め、新たな持ち主へと縁を結ぶ仕事をしている。
この間のように、紗紀が持っていた簪にまつわる縁を結び、持ち主の未練を断ち浄化させ、友人の恭子が買った姿見に潜む女性の霊の無念を晴らし姿見を清めた。
他にも、店には並べられない強い因縁が潜む品物も、奥の部屋に厳重に鍵をかけて保管していると言っていた。
それらは、滅多なことでは外には出さないらしい。
時がきたときに、手をかけるのだと言っていた。
おそらく、それこそ呪いがかけられ、持ち主に悪影響を及ぼす品なのだろう。できるなら、お目にかかるのは遠慮したい。
それにしても、物を浄化させるってどういうタイミングなのか。
一空は眠っていたそれらが縁を感じたときに動き出し、語りかけてくることもあると言っていた。
「語りかけるって、それこそ、どういうタイミングなんですか?」
「それはさまざまだ。例えば、呪いの指輪の時と同様に、波長が合うこともある」
波長ねえ、と首を傾げ人形を棚に戻そうとしたその時。
『かえりたい』
え?
『あいたい』
『ごめんなさい』
手にしていた人形から、そんな声が聞こえた気がした。
いや、聞こえたというよりは、呪いの指輪の時と同様、直接頭の中に響いた、という方が当てはまる。
「い、い、一空さん!」
紗紀の叫び声に、一空は読んでいた本から視線を上げた。
「ああ、お客さんがお見えのようだぞ」
言われて扉の方を見ると、小さな女の子を連れた母娘が、今まさに店に入ろうと扉に手をかけていた。
「いらっしゃいませ」
紗紀は入ってきた母娘を笑顔で迎える。
女の子は店内を見渡し、紗紀が手にしていた人形を見つけると駆け寄ってきた。
「ママ、このお人形欲しい!」
「え!」
と、驚いた声をもらしたのは紗紀だ。
今時の子どもが、こういう市松人形を欲しがるとは思えない。
よりにもよってどうして、こんなレトロな人形を選ぶの。
「お顔がきれい。ねえママ、欲しい、欲しい!」
子どもに人形を抱っこさせようと思ったが、母親の顔を見て止めた。
なぜなら、母親の方はその表情からして、乗り気ではなさそうだったからだ。
うん、分かる。
市松人形って、ちょっと怖いもんね。
「ママ、こういうお人形は苦手だわ。他の人形にしましょう。ね?」
「やだー」
「困らせることを言わないの。すみません。突然、この子がここに入りたいと言うから」
行くわよ、と言って娘の手を引き紗紀に会釈すると、店を出て行った。
「確かに、こういう人形を欲しがる子どもは珍しいと思うけれど」
紗紀は手にしている人形に視線を落とす。
すると──。
『かえりたい』
『あいたい』
『ごめんなさい』
再びか細い声が聞こえた。
人形に視線を落とすと、涙を流している。
「一空さん、この子が喋りながら泣いています!」
一空は椅子から立ち上がり、あごに手を当て人形を見つめた。
「どうやら、本格的な仕事になりそうだ」
「今も真面目に仕事をしていますが」
しかし、一空は聞いていない。
「縁によって、この人形に込められた思いが動き出した」
「これが、物が動き出したタイミングですか? 人形の思いを浄化させるんですよね。で、私は何をすればいいのでしょう? 師匠」
と、軽い口調で言ってみる。
師匠と言う言葉に、一空は目を細めじろりと紗紀を見返した。
「睨まなくても。弟子にすると言うなら、一空さんは私の師匠ですよね?」
「ふうん。僕の弟子と名乗るなら、多少の荒行は覚悟するんだな」
「でも、怖いことからは守ってくれるんですよね?」
と、念を押す。
一空は端整な顔に意味深な笑みを浮かべただけであった。
その日の夜、紗紀は夢を見た。
例の市松人形が、あいたい、かえりたい、ごめんなさいを何度も繰り返しながら泣いているのを。
ー 第41話に続く ー