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私はあなたの引き立て役じゃない 第1話
【あらすじ】
私は塔子の引き立て役。彼女は私の何もかもを奪っていく。
地味で目立たない井田依子は、社内でも美人と評判の塔子の引き立て役であった。だがある日、好きになった人を塔子に奪われ依子は彼女に殺意を抱く。そして、ある事件をきっかけに、二人の立場が逆転することに。それをきっかけに依子の塔子への仕返しが始まる。
1 私はあの女の引き立て役
井田依子は塔子の引き立て役だ。
おそらく誰もがそう思っているだろうし、事実、社内の人たちがそう言っているのを耳にしたことがある。
塔子とは職場の同期で、入社以来なにかと一緒に行動をする機会もあり、自然と仲良くなった。
慣れない環境に複雑な人間関係。
戸惑う依子に対し、塔子はすぐに周りとうち解け、仕事の覚えもはやく、あっという間に社内に馴染んでいった。
美人で社交的、存在するだけでその場の雰囲気が華やぐ塔子の側には、常に男女問わず人が集まった。
一方、依子は内向的で引っ込み思案。
自分の意見すらまともに言えず、存在すら忘れられてしまうほど影が薄い。
地味な顔にやぼったい黒縁眼鏡。
いつカットに行ったのかわからない、伸ばしっぱなしの黒髪と、目元まで隠れる前髪は依子の印象をさらに暗くさせた
仕事帰りに春物のコートが見たいと言う塔子につき合うことになったのだが、繁華街を塔子と並んで歩くと、嫌というほど自分の欠点を思い知らされる。
通りすがる男性たちが塔子に目をとめ、振り返っていく。
依子は見向きもされない。
それどころか、一緒にいる女は友人か? つり合わねえと、あからさまな暴言さえ聞こえてくることもあった。
依子はこっそりとため息をつく。
ミニスカートにブーツ。ファーつきの白いコート。
お洒落で女性らしい装いの塔子に対し、依子はデニムに茶色いセーター、足元はくたびれかけたスニーカー。太り気味の体型をさらに膨張させるダウンジャケットというラフな、悪く言えば色気のない格好だ。
いくら職場の服装が自由だからといっても、この格好は社会人としてどうなのか、と自分でも疑問に思うこともある。
だから、塔子の立ち寄るショップに行くたび、場違いな雰囲気に圧倒され、肩身の狭い思いをしていた。
できれば買い物などつき合いたくなかった。
ならば断ればいい。けれど、それができない。
社内でも人気のある塔子に嫌われ、職場で孤立するのが怖かったから。
塔子に従い、ショップを巡り歩いていた依子はふと、靴を売る店の前で足を止めた。
ショーウインドウに飾られた白いパンプスに目がとまる。
「どうしたの?」
依子の視線の先を追う塔子が、目敏く白いパンプスを見て目を輝かせた。
「あら、上品な靴ね。素敵じゃない。見ていく?」
「待って!」
こちらの返事も待たずに店に入ろうとする塔子を、慌てて引き止める。
依子が履いているスニーカーでは、店の雰囲気に合わなさすぎて恥ずかしい。
「ちょっといいなと思っただけだから、欲しいわけじゃ」
「そう?」
塔子の視線が、依子の頭からつま先まで舐めるように移動する。
「依子もオシャレすればいいのに。元がいいのだからもったいないと思うよ。身なりとかに無頓着すぎ。メイクくらいしたら? 通勤にそういう格好もノーメイクも浮いているよ」
と、指摘しながら依子の格好をあげつらう塔子の言葉に、苦笑いを浮かべる。
よけいなお世話だ。
それに、元がいいなどと、心にもないことを言うから、否定も肯定もできず返事に窮する。
「あまり興味ないから。服もメイクも」
嘘だ。
本当は可愛いお洋服や心が踊るコスメにも興味があるのに、自分には似合わないという思い込みが強すぎて、お洒落をすることに踏み出せないでいる。
「ふーん、あの靴、絶対に依子に似合うと思うけどなあ」
「そうかな」
曖昧な返事をしながら、依子はもう一度ショーウィンドウに飾られた白いパンプスに視線をやる。
あの靴を履いて塔子のようにお洒落をしたら、どんな気分だろう。
とはいえ、そんな機会もないし、そもそもあの靴に似合う服を持っていない。
それでも、依子の頭から白いパンプスのことが忘れられなかった。
◇・◇・◇・◇
次の日、仕事終わりのチャイムとともに職場を飛び出した依子は、昨日のショップへと真っ直ぐに向かった。
結局、一晩たっても欲しいという欲求が消えず、むしろ、手に入れたいという思いが膨れあがり、仕事中も考えてしまうほどであった。
こんなに思い悩むなら、思い切って買ってしまおう。
そう決断し、胸をはずませながらショップに急いだ依子だが、店先のショーウィンドウを覗いて表情をこわばらせる。
昨日まで飾られていた靴がそこになかった。
売れてしまったのか。
いや、もしかしたら商品の展示変えで、店内にあるかも知れない。
そんな望みを抱いて依子は、勇気を出し店の中へ足を踏み入れた。
店内には他に客はいなく、嫌でも店員の視線が依子に集中することになる。
依子の足下を見た店員の口元に、うっすらと嘲笑がさしたのは気のせいか。
はやく靴を買って店を出ようと、依子は昨日見かけた白いパンプスを探すため、きょろきょろと店内を見渡すが、いくら探しても見あたらない。
やがて、作りものめいた笑みを浮かべた店員が近寄ってきた
「何かお探しでしょうか?」
「あの、あそこ、昨日あそこににあった白い靴……」
依子はショーウインドウを指差した。
店員はああ、と声をもらす。
「申し訳ございません。そのパンプスでございましたら、昨日の夜お電話でお取り置きをして欲しいとご連絡がありまして」
つまり、売れてしまったのだ。
「そうですか……」
落胆する依子に、店員は似たような白い靴をすすめてきた。
「こちらはいかがです?」
店員の言葉にそうですね、と曖昧に返事をする。
似たような靴ではだめなのだ。
欲しかったのは、あの白いパンプスなのだから。
依子の反応を確かめつつ、さらに別のパンプスを持ってこようとする店員に頭を下げ、依子は逃げるように店を出た。
こんなことなら昨日のうちに買っておけばよかった。
欲しいと思った時に手に入れておけばよかった。
いや、ないものはしかたがない。
そう、無駄な出費にならなくて良かったではないか。そもそもあんな靴など買ってもどうせ自分には似合わない。
依子はそう自分に言い聞かせた。
◇・◇・◇・◇
「ねえ、今日の飲み会、営業の安積さんも来るって」
仕事が終わり、飲み会に向けて念入りにメイク直しをする女たち。
その一言で、女子トイレにいる彼女たちの間から、黄色い悲鳴があがった。
「うそー! 安積さんが来るの!」
「超楽しみ!」
定期的に社内で行われる飲み会。
強制ではないといえ、よほどの理由がない限り出席するのが暗黙の了解であった。
依子のいる事務はほとんどが女性で、男性といえば中年にさしかかった既婚者ばかり。しかし、営業部は若い男性が多く、中でも安積は仕事もでき、営業成績ナンバーワン。
さらに、すらりとした高身長に、筋肉質な身体つき、超イケメンで、スタイリッシュとくれば、女性たちが騒がないはずがない。
社内でも人気ナンバーワンの男だ。
いつも仕事で忙しい安積は、外回りや客先との接待で多忙のため、社内の飲み会に参加するのは希であるため、彼が飲み会に出席するとなると、女たちにとっては一大イベントだ。
見渡せば、女たちはお洒落な格好をして気合いが入っている。
口には出さないが、みな安積を狙う気満々だ。
浮かれている彼女らを横目に依子は、憂鬱な表情を浮かべため息をつく。
隣に立つ塔子に視線を向けると、彼女も今日は一段と華やかな装いだった。
ふわりと裾が広がる女性らしく甘い雰囲気のワンピース。
依子にはブランドのことはわからないが、靴もアクセサリーもハイブランドものだろう。
塔子の足元を見た依子は、あっ、と声をもらした。
昨日、買えなかったあの白いパンプスを、塔子が履いていたのだ。
じっと見つめる依子の視線に気づいた塔子は、ふふふ、と口元に手を当て笑った。
「気づいた? ふふ、買っちゃった。この靴、絶対に素敵だと思ったから」
昨日店員が言っていた客とは、塔子のことだったのだ。
呆然とする依子の反応に、塔子は首を傾げた。
「あれ? もしかして、依子も狙っていたとか?」
依子は慌てて首を振って否定する。
「まさか。似合うよ、塔子に」
そう答える依子の声も表情も強ばっていた。
「あれ? 依子機嫌悪くなっちゃった? ごめんね。だって依子、興味ないって言ってたじゃない。もしかして、怒っているの?」
「塔子どうしたの?」
「何かあった?」
「え、依子とけんか?」
他の女子たちが、依子と塔子の間に入ってくる。
「あ、塔子素敵な靴ね」
目敏く女たちは、塔子の真新しいパンプスを目にする。
「一昨日、依子と一緒にウインドウショッピングをしてこのパンプスを買ったんだけど、興味ないっていったくせに、今になって依子が実は欲しかったって言うの。なんか私、依子のもの横取りしちゃったみたい」
すると、周りから失笑がもれる。
もちろん、嘲笑の矛先は依子にだ。
「大丈夫。その靴、依子の太い脚には似合わないから。ねー?」
依子は引きつった笑いを浮かべた。
何も言えなかった。
ただ笑うしかなかった。
「依子がどうしても欲しいっていうなら譲るよ。だって、依子は友達だもの」
瞳を潤ませ、塔子は小首を傾げて言う。
「大丈夫。別に欲しかったわけじゃないから。それに、その靴だって塔子に履いてもらったほうが喜ぶよ」
「そうかな? やっぱりそうだよね」
確かに、白いパンプスは塔子の華やかな格好と、細い脚に似合っていた。
◇・◇・◇・◇
飲み会の席で、依子は誰と会話をするわけでもなく、一人ぽつんと座っていた。
端の席ならまだしも、真ん中という場所がよけい居心地が悪い。
両隣では、楽しそうな会話と笑いで盛り上がっている。
最初は隣に座っていた男性が気を利かせて話しかけてきたが、二、三言葉を交わしたものの会話が続かず、相手は早々に席を移動し、依子だけその場に取り残された。
ちらりと塔子を見やると、彼女は集まってきた人たちと楽しそうにお喋りをしている。
そのほとんどが男性で、ちやほやされて、塔子も嬉しそうだ。
塔子に思いを寄せている男たちも多い。
この機会に親しくなろうと思うのも当然だろう。
一方営業部のイケメン、安積の周りにも、街灯に群がる蛾のように女たちが集まっている。
退屈。
つまらない。
依子はグラスのビールにちびりと口をつけた。
飲めないからと断ることもできず、グラスになみなみと注がれ、すでに生ぬるくなったビール。
いつものごとく、自分に話しかけてくる者はいない。かといって自分から話の輪に入っていく勇気もない。
はやく飲み会が終わらないかと腕時計に視線を落としたその時、一人の男性が隣にすとんと座った。
「え?」
営業部の鴫野だ。
何度か社内で見かけ、挨拶を交わした程度。
まともに会話をしたことはない。
「もしかしてお酒、苦手なんじゃない? ウーロン茶でも頼む」
すかさず通りがかった店員に、鴫野はウーロン茶を注文する。
依子はちらりと鴫野を見る。
やせ形で眼鏡をかけた穏やかで優しそうな人だ。
そういえば、挨拶をするときも、いつも笑顔で答えてくれた。
依子は困惑顔で視線を泳がせた。
せっかく鴫野が隣に座ってくれたというのに、気の利いた会話の一つも浮かばない。
どうしよう。
「僕も、その作家好きなんだ」
唐突に、鴫野は椅子の背もたれに置いていた依子のバッグを指差した。
開いたバッグの口から読みかけの文庫本の背表紙がのぞいている。
依子は驚いた顔で鴫野を見つめ返した。
依子の表情を見て、鴫野は勘違いしたらしい。
「ごめん! 鞄から見えたから、僕もその本を読んだから話がしたいなって……いや、鞄の中を覗くつもりはなくて」
鴫野はばつがわるそうに口ごもる。
依子が驚いたのはそんな理由ではなくて。
「この本、昨日発売されたばかりなのに、もう読み終えたのですか?」
「徹夜で一気に。おかげで寝不足」
頭をかきながら笑う鴫野の顔は人懐こい。
つられて依子も笑う。
「本、好きなんですか?」
「時間があれば本ばかり読んでいるよ」
「あの、他にはどんな本を読んでいるんですか?」
うーん、と考え込む顔で鴫野は次々と作品名を口にする。
そのほとんどが依子も読んだもので、思わず嬉しくなった。
それから二人は読書という共通の話題で盛り上がった。
あっという間に時間は過ぎ、いつもなら、お開きになりそうでなかなかならない雰囲気に苛立ちを感じていたが、今日ばかりはまだ終わって欲しくないと願ったほどだ。
飲み会が終了すると、二次会に行く者とそうでない者とに別れる。
今まで依子は二次会に参加したことはない。
誘ってくれる人もいない。
依子は二次会組の群れの中にいる鴫野の姿を一度だけ見つめ、そして駅に向かって歩き出した。
しばらく歩くと、自分を呼び止める声に振り返る。
少し離れたところから鴫野が手を振りながら、こちらへと駆けてくる姿が見えた。
「駅まで一緒に帰ろう」
追いついてきた鴫野は、軽く肩を弾ませ依子の横に並んで歩き出す。
「二次会には行かないのですか?」
「今日は断った。寝不足だし、あいつらにつき合っていたら終電に乗り遅れる」
そうですか、と内心の嬉しさを隠し依子は小声で呟いた。
もっと鴫野さんと話がしたい。
鴫野さんのことを知りたい。
そんな気持ちを抱きながらも、繁華街を抜け駅まで歩く五分の道のりは、先ほど楽しく喋ったのが嘘であったかのように無言であった。
結局、たいした会話をすることもなく、駅に着く。
「お疲れ様でした」
鴫野とは方向が違うため、改札を入ったところで別れる。
依子が乗る電車が、間もなくホームに到着するというアナウンスが流れた。
それでは、と依子は頭を下げる。
「井田さん、よかったら、僕とLINEの交換してくれないかな」
思いも寄らない鴫野の言葉に、え? と聞き返す。
「井田さんと話をして楽しかったから、趣味も合うし、もっと話がしたいなって。だから、LINEしてもいい?」
「は、はい! ぜひ!」
依子は頬を紅潮させ、スマホを握りしめた。
男の人とLINEを交換するなんて初めてだった。
その時、スマホが震えた。
依子は目を輝かせる。
鴫野がさっそくLINEを送ってくれたと思ったからだ。
しかし──。
『鴫野くんと、楽しそうだったね。見てたよ』
相手は鴫野ではなく、塔子だった。
◇・◇・◇・◇
それから三ヶ月が経った。
鴫野とはほぼ毎日、LINEのやりとりが続いた。
おもに、読んだ本の感想や、おすすめの本を教えあうというものであったが、依子は鴫野からのLINEを心待ちにするようになった。
社内で顔を合わすことがあれば、今までのように挨拶をするだけでなく、立ち止まって話をするようにもなった。
時には、仕事帰りに二人で食事に行くことも。
見た目の印象は真面目で堅い雰囲気の鴫野だが、会話をしてみると楽しく、依子を飽きさせることはなかった。
何より鴫野は誠実で礼儀正しい人であった。
「井田さん、来週の土曜日空いてる?」
「え? はい。空いています」
「もしよかったら、映画に行かない?」
「え?」
「この間井田さんが観たいって言っていたミステリーもの。来週公開だから」
「覚えていてくれたの?」
「もちろんだよ」
爽やかに笑う鴫野の笑顔に、依子は頬を染める。
胸がトクリと鳴った。
もしかして鴫野さんは私に好意を寄せてくれている?
私、期待していいのかな?
仕事帰り、駅へと向かう途中、鴫野がさりげなく車道側を歩いてくれた。
「何か食べて帰ろう。何がいい?」
「な、何でも……鴫野さんの好きなもので」
「じゃあ、パスタにしようか」
「は、はい!」
今まで男性から優しく扱われることのなかった依子にとって、鴫野の行動一つに胸をときめかせた。
やがて鴫野に対する思いが依子の胸をしめ、それが恋心に変わっていくにはそう時間はかからなかった。
鴫野さんとのデートが待ちきれない。
はやく来週の土曜日が来るといいのに。
そこで依子ははた、と気づく。デートに着ていく服がないことに。
「新しい服、買っちゃおうかな」
だが、翌週に入ってから、ぱたりと鴫野からの連絡が途絶えた。
依子から何度かLINEを送ってみたが、既読はつくものの返事はない。
何度もスマホをチェックしては、落胆して肩を落とし、ため息をこぼす日が続いた。
私、何か嫌われるようなことをしたのだろうか。
いいえ、きっと仕事が忙しくて返事をする暇がないのよね。
けれど、鴫野からの連絡が途絶えたあたりから、鴫野と塔子が楽しそうに会話をしている場面を社内で何度か見かけた。
二人が一緒に並んで退社していくところも。
依子の心に不安が広がっていく。
とにかく、土曜日の待ち合わせのことを確認してみよう、と鴫野の姿を探し、話しかけようとするが、目が合っても、ふいと視線を逸らされ、話しかけるきっかけをつかめないでいた。
まさか鴫野さんと塔子は。
依子の胸に嫌な予感がよぎる。
そんな鬱々とした日が続き、とうとう約束の土曜日を迎えたが、結局、鴫野から連絡はなかった。
どうして鴫野さんは塔子と親しくしているのだろうか。
塔子本人に確かめてみようと思ったものの、言い出す勇気がないまま数日が過ぎたある日、仕事帰りに塔子の買い物につき合うことになった。
買い物を終え、カフェで一息ついたところで、依子は思い切って尋ねてみた。
「あのね塔子、鴫野さんとは」
テーブルに頬杖をつき、アイスティーのストローをくわえながら、塔子が上目遣いで見つめてくる。
塔子の唇がくすりと笑む。
「別に、つき合っているわけじゃないのよ」
「え?」
依子の胸に鈍いような痛みが走る。
「鴫野君って本が好きじゃない? 亡くなった祖父の書斎にある本のことを話したら興味をもったみたいで。それから何度か会うようになったの。彼、ほんと本が好きなのね。読みたいって言ってた本を貸してあげたら、すごく喜んだわ。それでね……」
唇に人差し指をあて、内緒話をするように塔子は声をひそめた。
「依子にだけは話すけどぉ、これは絶対秘密よ。先々週だったかな、鴫野くんに映画に誘われたの」
「映画……?」
「なんかミステリーっぽいものだったかな。全然興味がなかったから、途中で退屈になって眠くなっちゃったけど」
依子は言葉を失う。
おそらくそれは、一緒に観に行こうと誘ってくれた映画だ。
鴫野は約束を破り、塔子と一緒に観に行ったのだ。
「映画を観た後、ディナーに行って、それから」
それ以上は聞きたくない! と、依子は首を横に振る。
「けっこうお酒も入ったしね、まあ、何となくそういう流れで」
塔子はうふふ、と笑う。
つまり、二人は雰囲気に流されて、男女の関係になった。
依子の密かな思いは、一瞬にして打ち砕かれた。
唇を噛みしめテーブルに置いていた手をそっと、膝の上に移す。その手が、小刻みに震えていることを塔子に気づかれないために。
「鴫野くんって、真面目でおとなしそうに見えるけれど、意外と積極的なの。あたし、ちょっと驚いたわ」
「へ、え……」
なぜ、悔しがる。
よくよく考えれば、鴫野からつき合ってと言われたわけではない。
一人で勘違いして浮かれていたのは自分だ。
誰だって、塔子のような美人と一緒にいれば、心が傾くのは当たり前。
結局、鴫野もそうだった。
塔子のお喋りは続く。
「でも、それ以来鴫野くんたら、彼氏気取りでうっとうしいのよね。あたし全然タイプじゃないのに。ああ、そういえば依子、最近彼と親しかったじゃない? もしかして……」
「違う!」
思わず声を上げ、自分で自分の声に驚く。
「そんなんじゃない、から」
塔子は私の欲しいものすべてを奪っていく。
とことん私を惨めにする。
「そう? ならいいのだけれど」
にっと笑って、塔子はストローをくわえ、上目遣いにこちらを見る。
含みをもたせた塔子の笑みに、依子は確信する。
塔子は私の気持ちを知っていて、わざと鴫野を奪った。
塔子の意地の悪さに怒りがふつふつとわいた。
わき上がるのは憎しみ。
カフェを出て駅につき、ホームで電車待ちをする間、依子は隣に並ぶ塔子をちらりと見やる。
『まもなく特急電車が通過します。危ないですから黄色い線まで――』
アナウンスが流れ、依子は一歩後ろにさがった。
この女さえいなければ。
私の前から消えてしまえば。
そうだ、よろけた振りをして背中を押せばいい。
私は悪くない。
塔子が悪いのだ。
すべての雑音が遠のいていく。
依子は息を荒くさせた。
さあ、背中を押せ。
線路に突き落とせ。
落とせ。
落とせ!
心の中でもう一人の依子の声が、塔子を突き落とせと囁く。
ホームの端から電車が滑り込んできた。
依子は塔子の背中に両手を突き出す。
「依子?」
塔子が振り返ったと同時に、目の前を勢いよく電車が通り抜けていく。
吹き抜けていく冷たい風に、依子は我に返る。
両手を塔子の背中に向けた格好のまま、依子は今にも泣きそうに顔を歪めた。
私、何をしようとしたの。
罪悪感と恐怖に身体を震わせた。
扉が開き、車内に乗ろうと乗客たちが後ろから押し寄せてくる。
その流れに逆らい依子は一歩、二歩後ずさる。
「どうしたの? 依子、乗らないの?」
「違う……」
依子は何度も首を横に振る。
そして、身をひるがえし、その場から逃げるように走り去った。
その後、依子は体調不良という理由で、会社を三ヶ月、休職した。
ー 第2話に続く ー
第2話以降