『怨霊が棲む屋敷 呪われた旧家に嫁いだ花嫁』 第14話
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第2章 押し入れにひそむ多佳子
7 祝言と初夜
いよいよ、祝言の日がやってきた。
その日は、雲一つない見事な秋晴れで、式を行うにはもってこいの日だと世津子は大喜びであった。
もっとも、喜んでいるのは世津子だけで、他の者たちは準備でそれどころではない。
朝から屋敷中の者が忙しく動き回り、いつも以上に賑わいをみせた。
台所では料理の仕上げにてんてこ舞いのようで、時折、不慣れな若い使用人を叱る声までこの離れの間まで聞こえてくる。
式が行われる部屋は主屋に入ってすぐ、二間続きの大部屋のふすまを取り払って開放し、上座に主役たちの席を設け、部屋の中央を二列に渡るようにして招待客のお膳がずらりと並べられた。
式もそろそろ始まる頃になると、続々と客たちが集まり席につく。中には待ちきれずに一杯やり始める者もいた。
そういった者たちは孤月村でもそれなりの地位と発言力を持つ者たちで、彼らに劣る者は席の端っこで緊張した面持ちで縮こまって座っていた。
当主である利蔵の横で、白無垢をきた雪子はおとなしく、まるで人形のような微笑を浮かべ座っていた。
もちろん、お祝いにやってきた村人たちにも別室にて料理や酒が振る舞われるのだからこの日ばかりは仕事の手を休め、みなほくほくとした顔で集まってくる。
ようは、村全体がちょっとしたお祭りというわけである。
一方、結婚式の当事者であるというのに、どこか他人事のような眼差しで雪子はこの光景を眺めていた。いや、やはり他人事なのだろう。自分は蚊帳の外のようなものを感じずにはいられない。
「いやいや、これで利蔵家も安泰ですかな」
機嫌よく当主に声をかけてくる村人に、雪子はひっそりと苦笑いを刻む。
村では雪子の姿を見かけるたび嫌そうな顔をするのに、ここではいかにも仲間としてさも受け入れたという物言いがおかしかった。
「それにしても美しい嫁さんですなあ。これはきっと、生まれてくる子もべっぴんさんじゃろうて」
「しっかりと家のため、利蔵の当主様のために影となって支えるのが嫁としてのつとめじゃて」
「それにはまず、早く跡継ぎを産むこと。それも男子だ」
やはりここでも、跡継ぎの話だ。
「そうそう、それが雪子さんにとっての一番の仕事だ」
次々に祝いの言葉を述べにやってくる人々に、雪子は笑って応じる。
何も喋らなくていい。あなたは隆史の横に座ってただ笑っていればいいと式が始まる前、世津子から言い含められていた。
結婚式といえば、女性が主役とよく聞くが、ここではあくまで自分は当主の添え物、いや、単なるお披露目。
悪くいえば見世物にしかすぎない。
「それにしても、先妻二人を失いさすがに新たな嫁さんを貰うのは難しいだろうと思っていたが、ほんとうによかった。よかった。一時は多佳子の……」
そこまで言うと、男は突然はっとした顔をし青ざめる。
それまで賑やかだった回りの気配がしんと水をうったかのように鎮まった。みなの視線が咎めるような、恐れるような目でその男に据えられた。
「あ、いや」
どうやら酔った勢いで調子に乗ったらしい。
たかこ?
「あの……」
雪子はたかこのことを聞き出そうと身を乗りだしかけたが。
「いやいや! どうやらすっかり酔ってしまった。外の空気でも吸いに行こうかね」
男はそそくさと逃げるようにその場から立ちさっていく。
かわりに、別の男が引きつった笑顔を顔に張りつけながらお銚子を手に雪子の元に寄ってきた。
「ささ、雪子さんも飲みたまえ」
「……ありがとうございます」
男は雪子の手にした杯に酒を注ごうとする。
その手はかすかに震えていた。
「いただきます」
杯に口をつけようとした瞬間、雪子は目を瞠らせた。
盃になみなみと注がれた酒の表面が中央から波紋が広がるように波打ち、そこにぎょろりとした大きな目が映り込んだからだ。
その目がしだいにゆがみ、どろりとした血の色をした液体に変わっていく。
雪子は驚いて盃を取り落とす。
たちまち白無垢が真っ赤に染まっていった。
「こんな……これは……血?」
雪子は悲鳴をあげた。
◇・◇・◇・◇
目覚めると、見慣れた離れの部屋で眠っていた。
外はまだ明るく、式となっている会場からは、いまだに賑やかな声が聞こえてくる。気を失ってからそれほど時間はたっていないのだろう。
自分が目を覚ましたことに気づいた下働きの女性がそそくさと、無言で部屋を出て行く。
おそらく、雪子が目覚めたことを誰かに伝えに行ったのだろう。すると間もなく険しい顔をした世津子がやってきた。
雪子は慌てて半身を起こす。
まだ、めまいがするような感覚が残っている。
「こんな大切な日に倒れるとは情けない」
口を開くやいなやであった。
雪子の身体の心配よりも、世津子は式をだいなしにしたことを責めたてた。
雪子は申し訳なさそうに視線を落とす。
確かに、自分のせいで結婚式を中断させる羽目になった。
「すみません……あの、式はどうなりましたか?」
「隆史がとどこおりなく進めています」
「ほんとうにすみません……」
「まったく、なんてことでしょう。突然気を失って倒れるなんて、せっかくの式がだいなしです。お着物だって利蔵家の嫁として恥ずかしくないよう新しいものをあつらえたのですよ。それなのに、もっとしっかりしてくれなければ困るというのに。隆史の横でおとなしく座って笑っているだけでも無理だったのですか? 我慢ができなかったの?」
世津子はわざとらしくため息をつく。
「あなたは本当に何の役にも立たないのですね」
雪子はただすみませんと頭を下げ謝るしかなかった。
ふと、腕を持ち上げ手のひらを見る。
そこに血はついていなかった。
あれはなんだったの。
視線をあげると、世津子が凄まじい形相でこちらを見下ろしている。
「みなが笑っていましたよ。利蔵に来た嫁はずいぶん繊細な女だと」
それは先日雪子が倒れたときにやってきた八坂医師が言った言葉だ。八坂医師はその後、村のみなにそう言い回ったに違いない。
「すみません……」
雪子はただひたすら謝るしかなかった。
◇・◇・◇・◇
祝言をあげたその夜、雪子は隆史が部屋にやってくるのを待ち続けた。
今日から当主の部屋、つまり隆史の自室で夜をともにするのだ。そして、いよいよ今宵、初夜を迎える。
足音が聞こえるたび、雪子はびくりと肩を跳ね緊張した面持ちで身をこわばらせるが、その音が隆史のものでないと分かると、ほっとしたように息を吐く。
部屋には二組の布団が並べられている。
その横で正座をする雪子の目が時折、敷かれた布団に向けられては視線をそらし、膝の上に置いた手を見つめる。
今夜、私は隆史に抱かれる。
まだ、身体の具合はおもわしくなかったが、だからといって拒める雰囲気でもない。
正直に話せば隆史は無理に自分を抱こうとはしないだろうが、できることなら後々気まずくなる思いをしたくなかったし、何より、世津子の機嫌を損ねるのも避けたかった。
少しだけ我慢すればいいだけのことだ、と何度も自分に言い聞かせた。
その隆史は、いまだ宴の席で招待客の対応をしていた。
できることなら酔った客たちが朝まで隆史を離さないでいてくれたらと願ったが、どうやら、そういうわけにもいかなかったようだ。
つい先ほどまで、祝言が開かれている部屋から大勢の話し声や笑い声が聞こえてきたが、いつの間にかその賑やかさも消え、屋敷内にしんとした静けさが落ちていることに気づく。
雪子は膝の上に置いた手を握りしめた。
ついにこの時がきた。
やがて、廊下の向こうから足音が聞こえ、隆史が戻ってきたことを知った雪子は表情を堅くさせた。
部屋の扉が開いた。
入り口に立つ隆史を見られず、雪子はうつむいたまま身体を強ばらせる。
扉が閉まり、隆史が近寄ってくる気配。
歩き方からして、酔っているようであった。
側に膝をついた隆史に言葉もなく抱き寄せられる。
隆史の口から吐き出される酒のにおいが鼻をかすめ、雪子は思わず顔をそらす。
その仕草を恥じらっていると思われたのか、ふっと笑う隆史の手にあごを持ち上げられ、口づけをされた。
深い口づけをされたまま隆史の手が胸元に触れ、その手がゆっくりと下に落ち、夜着の帯にかかると、布団の上に倒され雪子は唇を噛みしめる。
夜着を脱がされあらわになった肌を、隆史の指や唇が性急に這い回った。
雪子はどこか虚ろな目で、ぼんやりと天井のふしを眺めていた。
初めての時は好きな人と結ばれたいと思っていた。
当然そうなると思っていた。
そこで雪子は何ともいえない気持ちになり苦笑いを唇に刻む。
好きな人と結ばれたいだなんて、これではまるで隆史さんのことを好きではないと言っているみたいじゃない。
両脚を開かされ、その間に隆史の身体が割って入ってくる。この行為はあくまで嫁としての義務だと思えば、どうってことはない。
ただ、疲れて眠りたいから、できることなら手早く済ませて欲しいと願って。
ふと、押し入れの辺りに嫌な気配を感じて雪子は視線を巡らせる。
こぶし一つ分ほど開いた押し入れ。
そこから誰かに見られているような気配を感じた。
「隆史さん!」
顔を上げた隆史が、怪訝そうに雪子を見る。
ー 第15話に続く ー