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『怨霊が棲む屋敷 呪われた旧家に嫁いだ花嫁』 第4話

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第1章 村祭りの夜のできごと

4 先のみえない不安

 足の裏に冷えた廊下の感触が伝わる。指先が凍えそうなくらい床は冷たく、屋敷内の空気も、ぴりぴりと肌を刺すようであった。
 玄関から右に回り込むようにして廊下を渡る。
 古い家だからかしら。
 本当に嫌な気配。
 そんなことを思い、雪子は世津子の後に続く。

 右に左にと迷路のような廊下をいくつも曲がっていく。
 縁側沿いには、見事な庭園が広がっていた。
 屋敷は広く複雑な構造で、そして、変わらず重苦しい雰囲気が漂っている。
 時折、何人かの使用人とすれ違ったが、皆、雪子の姿を見てはさっと視線をそらしてしまう。

 村人も屋敷の者たちも、自分を見る目は冷たく、あまり歓迎されているという感じではない。
 この村の者ではない、余所者だからか。
 仲間意識の強い村では、なかなか余所者を受け入れることはないと最初から分かっていた。それでも、自分はこれからこの利蔵家の嫁として生活していかなければならない。
 頑張って、村に馴染めるよう努力しなければ。

 雪子はぶるっと身体を震わせ肩を抱く。
 本当に寒いわ。
 それに、誰かに見られているような感じがして落ち着かない。
 ようやく目的の部屋についた。
 世津子は廊下に膝をつき、障子の向こうにいる人物に問いかける。

「隆史、雪子さんが到着しました」
 雪子は緊張する。
 この障子の向こうに、夫となる隆史がいる。
「ああ、どうぞ入って」
 中からの返事を待ち、世津子は障子をあけた。
 部屋では文机に向かい、利蔵隆史が書き物の手をとめ、膝をこちらに向け座りなおす。

「雪子さん、遠いところをよく来てくださいました」
 初めての歓迎の言葉と利蔵の爽やかな笑顔に、雪子はここへ来てようやくほっと息をもらす。
「さあ、座ってください」
「はい」
 すすめられ、利蔵の前に置かれた座布団に座る。
 その横に世津子も座った。
「手が離せない用事ができてしまい、迎えにいけず申し訳ありませんでした」
「いいえ、こちらこそわざわざお迎えの方をくださって、ありがとうございます」
「古めかしい家で驚かれたでしょう」
「想像以上に立派なお屋敷で驚きました」
 利蔵は満足そうに頷いた。

「新しい家に慣れるまでいろいろ大変かもしれませんが、よろしくお願いします」
 頭をさげる利蔵に、雪子も慌てて居住まいを正し深々と頭を下げた。
「ふつつか者ですが、こちらこそどうぞよろしくお願いいたします」
 強張った表情の雪子に、利蔵はふっと笑みを浮かべた。
「そんなに緊張なさらないで。今日からここがあなたの家なのですから。最初は戸惑うかもしれませんが、雪子さんの思うように過ごしてください」

 利蔵の温かい言葉に、緊張で強ばり続けてきた身体も解れていくような気がした。だが、時折、ちらりとこちらを見る世津子の視線が突き刺さるようで居心地の悪さを感じる。
「ありがとうございます」
「町とは違いここは静かでのんびりしたところです。雪子さんも気に入っていただけるとよいのですが」
「はい。はやくこちらの生活に慣れるよう努力いたします」

 そこで利蔵はくすりと笑った。
「雪子さんは堅苦しいですね。僕たちは夫婦となるのですよ」
 そう言われても、正直まだ実感がわかなかった。
 目の前にいる人が自分の夫。
 ふと、部屋の隅に置かれた棚の中に、銃身の長い銃が飾られていることに気づき雪子はじっと見つめる。
「銃?」
「ああ、猟銃です。時々、山に入り鹿やイノシシを狩るのです。これでもちゃんと免許を持っているのですよ」
「まあ」
「ときには、村人を襲う熊を撃つこともあります」
「熊がでるのですか?」
「こんな山奥ですからね。山菜を採りにいった者が熊に襲われることがまれにあります。なので、あまり一人で山に入らないように気をつけてください」
「はい」
 そこで会話が途切れた。

 ふと、利蔵は思い出したように膝をぽんと叩く。
「そうそう、もうすぐ夏祭りが行われます」
「お祭りですか?」
「ええ、ぜひ雪子さんも楽しんでいただきたい。それに、村の皆にも雪子さんのことを紹介できたらと」
「隆史」

 これまで、無言で二人の会話を聞いていた世津子が口を挟んできた。
「ああ、いけない。つい雪子さんに会えたのが嬉しくて、話し込んでしまいました。長旅で疲れたでしょう。今日はゆっくりとお休みになってください」
「ありがとうございます」
 利蔵の目が世津子に向けられた。
「雪子さんをお部屋に案内してくれますか」
 頷いて世津子が立ち上がった。つられて雪子も腰をあげる。
 部屋を出る時、もう一度隆史におじぎをすると、彼はにこりと微笑みを返してくれた。
 再び廊下を歩き部屋へと案内される。
 そこは、主屋から外れた離れであった。

「当分、この離れを使うように」
「ありがとうございます」
「後で使用人に夕膳を運ばせます。今夜の食事はここでとりなさい」
「はい」
「お風呂の場所はその者に聞くこと」
 もう一度、雪子ははい、と答える。
「明日から、あなたには屋敷のしきたりなど覚えてもらいます。分からないことがあれば、その都度、私か使用人たちに聞きなさい」
 そっけない言葉と口調に雪子はただはい、と頷くだけであった。
「使用人とはいえ、あなたよりも長くこの屋敷で働いている者ばかりです。私の言っている意味が分かりますね」

 余所者かつ新参者である自分は、屋敷内では一番格下と言いたいのだ。
「あなたには一日も早く利蔵の家に馴染んでもらうようお願いします。いいですね」
 雪子は無言で頷いた。
 もちろん、そのつもりだ。
 世津子はじろりと雪子を睨めつけると身をひるがえし、この場から去って行く。

 離れに入って荷物を置き、ようやく雪子は息を吐き座り込んだ。
 一気に疲れが押し寄せてきた。
 旅の疲れよりも、世津子とのやりとりにだ。
 私、本当にここでうまくやっていけるのかしら。
 そんな不安が胸をよぎっていく。
 疲れたわ。少しだけ、休んでもいいわよね。
 座卓に突っ伏した途端、雪子は深い眠りに落ちていった。

 どのくらい眠っていたのだろう。
 ザッザッ、と何者かが自分の背後で歩き回る音が聞こえた。
 どろりとした空気に全身を絡めとられ、まるで金縛りにあったように動けない。
 誰?
 目を開けたくても、まぶたが鉛のように重い。

 ごめんなさい。
 とても疲れていて……それに、身体が動かないの。

 ふと、何ものかの手が肩に触れた。その冷たい手の感触に雪子はびくりと肩を跳ね飛び起きる。
 慌てて背後を振り返ると、一人の女性が立っていた。
 彼女の側には夕食の膳が置かれている。
 柱にかけられた時計を見やると、午後六時を過ぎていた。
 ほんの少し休むつもりが、けっこうな時間ここで眠っていたことになる。

「申し訳ございません。何度もお声をかけたのですが、返事がなかったもので。勝手に部屋に入らせていただきました」
「ごめんなさい」
 雪子は慌てて寝乱れた髪と衣服を整える。
 いくら疲れていたとはいえ、屋敷についてそうそう眠りこけていたとは、だらしがない女だと思われたかもしれない。しかし、膳を運んでくれた女性は雪子が眠っていたことを特に気にもとめた様子もなく淡々と言葉を継ぐ。

「お食事はこちらに置いておきますので、召しあがってください」
「ありがとうございます」
 それでは、と礼をして立ち去ろうとする女性を雪子は慌てて呼び止める。
「あの、お風呂はどこでしょう。後でいただきたいと思って」
「それでしたら、あちらです。あそこの建物がお風呂場です」
 女は庭の向こう、離れから見える建物を指差した。
「ありがとうございます」
「いつでも必要なときに使ってくださってかまいません」
「すみません」

 雪子は苦笑いを浮かべた。先程からありがとうと、すみませんしか答えていないではないか。
「後ほど、お膳をさげにまいります」
 女はもう一度頭を下げると、部屋から去っていく。
 重苦しい雰囲気に今日何度目かのため息をつき、運ばれたお膳の前に座る。

 軽くお昼をとって以来何も口にしていないのに、どういうわけか食欲がわかなかった。
 お膳の上にはお椀に南瓜と高野豆腐の煮物。山菜のおひたし、佃煮と川魚が並べられていた。
 食欲はなかったが、残すのも気が引ける。とはいえ、たった一人で主屋から離れた場所で食事をするのも味気ないものである。

 あくまで自分は余所者として、屋敷の皆から切り離された生活を強いられるのだろうか。
 いつになったら、いや、どの時点で利蔵家の、孤月村の人間として認めてもらえるのか。
 先の見えない不安に雪子の胸は押し潰される。
 食事を無理矢理胃におさめると、先ほどの女性がタイミング良く現れお膳を下げていく。

 とくにすることもないので、早々にお風呂をいただき、雪子はぼんやりと離れで過ごし寝床についた。
 緊張と不安で眠れないかと思ったが、やはり身体は疲れていたのだろう。またたく間に深い眠りの底へ落ちていった。

ー 第5話に続く ー 

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