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『怨霊が棲む屋敷 呪われた旧家に嫁いだ花嫁』 第17話
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第2章 押し入れにひそむ多佳子
10 嫌な気配のする部屋
翌朝、目覚めた雪子は虚ろな目で天井を見つめていた。
隆史に抱かれた瞬間、押し入れのあたりがどうしても気になったが、結局、わけの分からないうちにことが終わったらしく、途中で意識を失ったようだ。
隣を見るとすでに隆史の姿はない。
圧迫されるような空気の重さに胸が苦しい。
こめかみを指先で何度も押さえる。ふと、思い出したように壁の時計を見ると、すでにいい時間になっていた。
「もうこんな時間!」
うっかり、寝過ごした。
急いで身支度を調え、台所へ向かう。
「おはようございます。遅くなって、すみません!」
案の定、雪子に向けられるみなの目は、冷ややかであった。
屋敷の人間すべてが起きて働いているというのに、あんたはずいぶんといいご身分だこと、疲れているのはあんただけではないのに、とでも言いたげな眼差しに肩身の狭い思いを抱く。
昨日のお祝いの賑やかさなどまるでなかったかのような、いつもの日常であった。
部屋の隅には冷めた朝食の膳がひっそりと置かれている。
雪子の分の朝食だ。
食欲がなかったが、食べなければまた嫌味を言われると、雪子は回りが忙しく動き回っている中、流し込むように朝食を済ませた。
これなら、最初の頃のように離れで一人食事をとったほうがまだましだ。
地主様の嫁といっても他は知らないが、ここではたんなる跡継ぎを産む道具であり、働き手の一人にしか過ぎない。
昨日の祝言の疲れや初夜のための身体の痛みも関係なく、食事を終えてすぐに雪子は屋敷の掃除を始めた。
雪子に与えられた仕事はここへ来てから変わらず、屋敷中の清掃である。
廊下のぞうきんがけをしていた雪子は、主屋の一番奥の部屋の前で立ち止まった。
ここへ来てからずっと感じる嫌なにおいが、今日に限ってこの部屋から漂ってくるような気がしたからであった。
しばし、その部屋の前で立ち尽くす。
においとともに、何か禍々しい気配が部屋の中から感じるのは気のせいであろうか。
そういえば、この屋敷に来てからこの部屋だけがいつも閉まったまま。開いているところを見たことがない。
においの原因は分からないが、少し扉を開けて風を通したほうがいいのでは、と雪子は障子に手をかけた。
まだ陽が高い時間だというのに、この部屋だけが他とは違って薄暗い。
いやな気配が漂い、空気が重く息苦しいような。
恐る恐る部屋に足を踏み入れ、ごくりと唾を飲み込む。
いやな感じが、さらに濃く感じられた。
身体中を走る悪寒。
澱んだ空気が身体に絡みつくような。
換気をしている間に掃除を済ませようと、足元に視線を落とす。部屋の中央の畳に黒いシミの跡を見つける。
何? この黒いシミ。
雪子は絞ったぞうきんで何度もその黒いシミを拭うが消えない。
少しでもシミが落ちないかと懸命に畳を拭っていた雪子だが、ふと、何かが背中にのしかかるような重みを感じ、息をとめる。
どろりとした空気に、まるで身体が押し潰されてしまいそうだった。
「押し入れ?」
押し入れのあたりにとてつもない違和感を覚え雪子は歩み寄る。
そういえば、昨夜も隆史に抱かれる直前、押し入れのあたりが気になって仕方がなかった。
手を伸ばし押し入れの引手に手をかける。
ごくりと喉を鳴らし、扉をゆっくりと開けた。
雪子は大きく息を吐き出す。
中には何もなかった。
がらんとした空洞が広がっているだけ。
苦笑して雪子は押し入れを閉じようとしたその時、ひたりと足の甲に冷たいものが触れた気がして視線を落とす。
持っていたぞうきんが手から離れた。
わずかな押し入れの隙間から青白い手が伸び、雪子の足の甲に触れていたからだ。
喉の奥に悲鳴が絡みつく。
足を引こうとした雪子の足首を、その手がつかんで離さない。
手を振り払おうと足を振るが、とてつもない力で握られ、払えなかった。
「やめ、やめて……」
「雪子さん!」
背後を振り返ると、部屋の前に世津子が凄まじい形相で立っている。
もう一度、足に視線を落とすと、足首をつかんでいた手が消えていた。
気のせいだったのか。
わけが分からず雪子は世津子と押し入れを交互に見やる。
「この部屋でいったい何をしているのですか!」
世津子の口調はきつく、雪子がこの部屋に入ったのが気に入らなかったらしい。
「勝手にこの部屋に入ってはいけないと言ったはずです!」
この部屋に入ってはいけないという話など一度も聞かされていなかったが、目を吊り上げて怒鳴る相手に何も言い返すことはできなかった。
もっとも、口答えなど許されない雰囲気だ。
だが、世津子が現れたことで雪子はほっと息をもらす。
おかげで、先ほどまでの嫌な感覚と、不可思議な現象が消えたからだ。
ー 第18話に続く ー