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『怨霊が棲む屋敷 呪われた旧家に嫁いだ花嫁』 第21話

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第3章 多佳子の逆襲

4 多佳子の影 

「なんてこった!」
 伊瀬毅が山で事故をおこして死んでから、五日が経とうとしていた。
 その間ずっと、波木多郎なみきたろうは落ち着かない毎日を過ごしていた。
「誰よりも山に詳しかった毅があんな事故を起こすなんてありえねえ。ありゃ、事故なんかじゃねえ。あれは多佳子に殺された。そうだ、そうに決まってる!」

『おまえら、ゆるさない』

 納屋で多佳子が口にした怨みの声が頭から離れなかった。
 多郎は手にした酒瓶をじかに口をつけ、一気にあおり飲み干す。
 まだ昼間だというにもかかわらず、多郎は仕事にも行かず朝からあびるように酒を飲んでいた。

 利蔵に頼まれ多佳子を乱暴してから、毎日こんな自堕落な生活であった。
 そうでもしなければやっていられなかった。
 多郎は普段は生真面目で、仕事熱心な男であったが、無類の酒好きで、飲むと天地がひっくり返ったかのごとく人が変わり、乱暴になるのだ。
 そんな多郎を村の者は敬遠し、持てあましているところがあった。

「あの男も酒さえ飲まなければ」
 というのが、村人たちの多郎に対する口癖だ。
 そんな多郎が仕事も行かず飲んだくれるようになったのは、多佳子の事件以降、おかしな現象を見るようになったからである。

 家にいても外にいても、ふっと目の端を黒い影のようなものが横切って行くのを感じた。
 影を目で追いかけるが誰もいない。
 なのに、常に誰かに見られているような視線につきまとわれ、それは眠っていても同じであった。

 眠りにつくたび、長い黒髪の女が夢に現れては不気味な笑い顔と大きな目で多郎を見つめているという悪夢にうなされた。
 夢の中に現れる女は多佳子だろう。
 その多佳子も、あの日以来突然、村から姿を消した。
 いてもいなくてもこの村にとってどうでもいい存在であったし、自分も今まで多佳子を気にもとめたことなどないが、あのことがあってからというものやはり、多佳子のことが気になった。

 一度こっそりと多佳子の家に様子を見に行ったが、本人の姿はなく、家には病気の母親が一人、布団で寝ているだけであった。
 そんな母親のために、多郎はにぎり飯をこっそり置いていったのだが、はたして食べてくれただろうか。

 おそらく、多佳子は死んだ。
 多郎はそう確信していた。
 若い娘が村から姿を消したとなれば、もはや死んだとしか考えられない。それに、動くこともままならない病気の母親を残していくこともあり得ないと思ったからだ。
 だが、そうだとすればいったい多佳子はいつ、どこで、どうやって死んだのか。

 自殺なのか。
 自殺だとしたら、その原因をつくったのは自分以外に他ならない。
 それとも、殺されたのか。
 利蔵は多佳子の存在をうとましく思っていた。
 邪魔者を消そうと思い多佳子を殺した。

 村の有力者だ。
 気に入らない者を一人消すなどわけもない。
 それほど利蔵の家は強大だ。
 一見、人当たりのよさそうで優しそうな利蔵家当主だが、結局は家のため自分を守るため、あんな嫌な役目を村の下っ端に押しつけてきた。

 そういうものだ。
 そして、それがまかり通るから、利蔵家は恐ろしい。
 それはともかく、もし多佳子が殺されたというなら、その遺体はどこにある? 遺体をどこかに埋めたかあるいは、燃やしたか。

 それともやはり単なる事故か。
 そうであってくれればどんなに気が楽になるだろうか。
 とにかく多佳子の姿が生きていても死んでいても見つからない限り、多郎の気持ちを落ち着かせることはできなかった。

 多郎はぎりぎりと歯を鳴らし、酒をあおろうとして中身が空であったことに気づき舌打ちをする。
「くそ! 利蔵の奴、俺にあんな面倒ごとを押しつけやがって!」
 空瓶を乱暴に座卓に置き、あらたな酒を求めて立ち上がる多郎の目の端に、台所にさっと消えていく黒い影を見つけ、顔を引きつらせる。

 恐る恐るそこまで這いつくばっていくと、床に長い黒髪が落ちていた。
 自分の毛ではない。
 母親も髪は長くない。
「もうやめてくれ。俺は利蔵の旦那に頼まれてやったんだ。利蔵を敵に回したらこの村で生きていけなくなるからだ。仕方がなかったんだ」
 多郎は頭を抱えながら身体を震わせ、その場にうずくまった。


 ── 多郎?


「……起きとくれ、多郎!」
 母親に名を呼ばれ、多郎はむくりと顔をあげた。
 寒さに思わず身体をぶるっとさせる。
 酔っ払っていつの間にか座卓に突っ伏し眠っていたようだ。

 すでに辺りは薄暗い。
 またしても嫌な夢を見たと、起きがけに一杯酒を飲もうと座卓の酒瓶に手を伸ばすが、中身は空だった。
「多郎、早く風呂にはいってきちまいな。まったく、ろくに働きもしないで毎日、毎日飲んだくれて、この穀潰しが! 酒代だって安くはないんだよ」
「何が酒代だ。けちって小便みてえな、くそまずい酒飲ませてるくせによ!」
 ぐちぐちと、けちくさい小言を言いつのる母親を怒鳴り散らし、多郎は酩酊した足どりで風呂場に向かった。

 右に左にと身体をふらつかせ、狭い部屋に所狭しと並ぶ家具や食器棚にぶつかっていく。
「あたしたちはもう寝るよ。ちゃんと電気を消しとくれよ! 電気代だって……」
 寝床から聞こえてくる母親の声に、多郎はちっと舌打ちを鳴らし。
「うるせえっ!」
 と声を荒らげる。

 ひっ、としゃっくりを繰り返し、多郎は脱衣所で服を脱ぐ。
 下履きを脱ごうとして片足をあげると、ぐらりと身体が傾いた。
 足元がふらふらとして覚束ない。
 おまけに、頭が割れるように痛みだす。
 どうやら、今日はいつも以上に飲み過ぎた。
 さっさと風呂に入って寝てしまおう。これだけ酔っていれば、悪い夢を見ることはないだろう。
 そうであって欲しい。

 湯船につかりうとうとしかけたところへ、ひやりとした風が流れ多郎は我に返った。
 窓を見るとわずかだが開いていて、そこから冷たい風が入り込んだのだ。
 開いている窓を閉めようとして手を持ち上げ中腰になった多郎は、そのまま中途半端な姿勢で固まる。

 窓格子の向こうから、誰かが覗いている気配がしたのだ。
 湯船から立ちのぼる煙でよく見えない。
 目を細め、首を突き出した多郎は、窓の向こうに目を凝らす。
 格子の隙間から、ぎょろりと動く大きな目と、血走った白目があった。

「た、多佳子!」
 驚いて湯船からあがろうとするが、まったく身動きがとれないことに気づく。
 視線を落とすと、湯船にゆらゆらと藻草のように揺らめく黒いものが身体中に絡みついていた。

 長い黒髪だった。
 おまけに、湯からへどろのような悪臭が立ちのぼり、鼻の奥を刺激した。
「な、なんだ! 気持ち悪りい!」
 湯の中で漂う黒髪の隙間から、先ほど窓から覗いていたものと同じ大きな目が多郎をじいと見つめていた。

 多郎は悲鳴をあげた。
 ぬるぬるとした黒髪を無理矢理引きはがそうとするも、どう足掻いても取りのぞけない。
 そうこうするうちに、湯の温度が急速にあがっていく。

「熱い! 熱いっ!」
 上昇していく湯の熱さで、多郎の肌がみるみる真っ赤に染まっていく。ごぼごぼと煮えたぎる湯の温度はまさに熱湯。
 漂う髪の毛の間から、白い手がにゅっと伸び多郎の頭をわしづかみにした。
「ひい!」

 凄まじい力で湯の中に頭を引きずりこまれていく。
「あついっ! あぶ……っ!」
 湯の表面にぶくぶくと泡がたった。
 激しく暴れる多郎の身体が、やがて動かなくなる。

ー 第22話に続く ー 

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