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『怨霊が棲む屋敷 呪われた旧家に嫁いだ花嫁』 第3話

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第1章 村祭りの夜のできごと

3 閉ざされた村に嫁ぐ 

雪子ゆきこが、あんな立派な地主様のところへお嫁にいくだなんて、神様に感謝しなければいけないねえ」
 雪子は苦笑いを口元に刻み、神棚に向かって手を合わせる母の背中を見つめていた。
 雪子の結婚が決まって以来、母はこんな調子で機嫌がよい。
 心から娘の結婚を喜んでいるのだ。

「行き遅れた娘をもらってくださる方がいるなんて、本当にありがたい、ありがたい」
 雪子は今年で二十四歳になる。
 すでに周りの同級生や友人たちは結婚して子どもがいる。なのに、雪子はいまだ独身。恋人すらいない。

 色白の細面な顔立ちに、形のよい薄い唇。通った鼻筋に切れ長の目。美人な方ではあるにも関わらず、これまでまったく男っ気がなかった。
 神社である家の手伝いに追われ、なかなかよい男性と巡り会う機会がなかったせいもあるのかも。

 婚期を逃しかけ、もしかしたら一生いい人に巡り会うこともなく、このまま独身を通すのかと周りから心配されていた矢先のことであったから、母もよほど嬉しかったようで、毎日のようにはしゃいでいた。

 縁談話が雪子に持ち込まれたのは、一ヶ月前のことである。
 相手は孤月村の地主の旦那様で、名を利蔵隆史とくらたかふみといい、すらりとした長身に均整のとれた体つき。整った顔立ち、女性の心を蕩かすような甘い声。
 若い娘ならば一瞬にして、熱をあげてしまいそうな美しい若者であった。

 利蔵家の若き当主である利蔵隆史は、時折仕事で町にやって来ては雪子の実家の神社に足を運びお参りをしていった。
 隆史を初めて神社の境内で見かけたのは、今年の春の初め。
 それから何度か参拝にやってくる隆史に、雪子から熱心ですねと声をかけたのが最初で、以来、隆史がやって来るたびに他愛もない会話をするようになった。時には彼に誘われ食事に行くことも。

 物腰が柔らかく、穏やかな好青年だというのが雪子の隆史に対する印象である。そして、彼が結婚を申し込んできたのは、出会ってから三ヶ月後の初夏の頃。

 隆史からの結婚の申し込みに、涙混じりに一番喜んだのは母であった。
 だが、父は母と同じように手放しで喜ぶことはなかった。
 結婚の話を聞いた父の顔が渋いものだったのは、今でもよく覚えている。
 それは、大切な一人娘を嫁にやるという、父親としての複雑な思いからだろうと、このときの雪子は疑いもしなかった。
「雪子、無理して嫁がなくてもいい」

 正直、隆史とは出会ったばかりで、好意はあってもそれが恋愛感情なのか、このときの雪子にはまだはっきりと分からなかった。
 とはいえ、雪子も年齢が年齢。自分を好いてくれるのなら嬉しいことだ。

 それに、ここで結婚を逃せばもしかしたら、それこそ一生誰かと結ばれることはないかも。子どもだって望めなくなる。だから、隆史のことはこれからゆっくりと知り、歩み寄ればいいと思っていた。
 山奥の寒村に馴染めるかどうかも、このときの雪子はそれほど深く考えていなかった。

「父さん大丈夫よ。こんな私をお嫁に迎えてくれるのだからむしろ感謝しなければ」
「だが、利蔵家は……」
「利蔵家がどうしたの?」
「いや」
 言葉を濁す父に雪子は笑った。

「父さんは心配しすぎよ。本当に私は大丈夫だから」
 雪子はつとめて明るく笑った。
 だが、もしここで娘の結婚を渋る父の理由を執拗に問いつめていたら。
 あるいは、父が利蔵家にまつわる深い業を話していたら。
 そうしたら、この後に起こる因縁に満ちた恐怖に、雪子が巻き込まれることもなかった。

 もっとも父として、嫁いでいく雪子を心から純粋に祝福したかった。よけいなことを話して、娘に心配をかけたくはなかったという思いもあったのかもしれない。
「それよりも、立派なお屋敷で私なんかがやっていけるか、その方が心配だわ。私、お父さんに似て大雑把な性格だから」

 娘のことを気遣い、それ以上のことは父は何も言わなかった。
 実際の結婚式はまだ三ヶ月後の秋ではあったが、行儀見習いも兼ね、屋敷に慣れるのはどうですかという先方の提案に従い、雪子は早々に利蔵家がある孤月村へと向かった。

◇・◇・◇・◇

 孤月村に到着した頃には、すでに昼を過ぎていた。
 町から延々とバスに揺られ、〝孤月村入り口〟という停留所まで一時間。
 そこから、利蔵家から迎えにやってきた車に乗り、さらに峠を一つ越えるのだという。
 道の状態も悪く、車はつねに揺れた。

 最初は迎えに来た者にいろいろ話かけていた雪子であったが、あまりの悪路に舌を噛みそうになり、しだいに口数が減り、とうとう口を閉ざしてしまった。
 乗り物に弱い者なら、すぐに酔っていただろう。
 それほどひどい道であった。

 窓からの景色を眺める。
 辺りは深い山々に囲まれ、代わり映えのしない景観。
 遠い場所にあると隆史に散々聞かされていたが、こうして自分の足で出向くと、とてつもなく遠い所なのだとあらためて実感する。そう簡単に実家に帰ることもできないであろう。

 車はいったん停止する。
「少し休憩をしましょう」
「はい」
 車から降りた雪子は深呼吸をする。長時間、車に揺られ続け正直、身体中が悲鳴をあげていた。
「あれが孤月村でございます」
 山の頂上のちょっとした展望台に立つと、迎えの者が一点を指さした。
 示されたその指先、ぐるりと山に囲まれたくぼみに、これから雪子が向かう村があった。

 田畑が広がり、ところどころに家が点々と存在する。
 よくいえばのどかな、悪くいえば不便すぎる場所というのが雪子の感想であった。
「あそこの山の中腹あたりに建っているお屋敷が利蔵家でございます」
 思わず言葉を失う。
 遠目からでもはっきりと確認できるくらい、屋敷が立派であることは分かった。
 ぐるりと白い壁に囲まれた屋敷はまるで城塞のようで、村一番の権力者だと聞かされていたが、これほどまで立派な屋敷だとは雪子の想像をはるかに超えていた。

 隆史は謙遜して、田舎の古い家だと笑って言っていたが、本当にあんな屋敷の嫁として自分がこれからやっていけるかどうか不安と気後れを抱く。
「参りましょうか」
「はい……」
 迎えの者に促され、再び雪子は車に乗る。
 車はさらに四、五十分ほど走り、ようやく村にたどりついた。

 あらかじめ雪子が来ることを聞かされていたのか、利蔵家の前に到着すると、村人たちが集まっていた。
 車から降りた雪子を見るなり、彼らはひそひそと、こちらには聞こえない声で会話を始め、遠慮のない視線を向けてきた。

 どうやら、自分を歓迎するために集まったわけではないと雪子は察する。
 仕事を中断してきたのか、皆作業着姿であった。乏しい表情のため、どの顔も同じに見え、雪子は戸惑う。
 村もそこに住まう人々も、独特の雰囲気であった。

 村人たちと目があった雪子は会釈をするが、彼らは無言でこちらを見つめ返すばかり。
 外から来た人間が珍しいのか、それとも、挨拶を返したくないほど余所者を歓迎していないのか。
 あるいはその両方か。

 思えば迎えに来てくれた人も、こちらから訊ねることにはあたりさわりのない返事をしたが、向こうから話題を振ってくることはなかった。
 あきらかに、距離をおいて接しているというふうであった。

 一抹の不安を抱きつつ、雪子は利蔵家表門へと続く緩やかな坂をみやり、屋敷を見上げた。
 遠目で見ても立派な屋敷であったがこうして間近で見ると、やはり利蔵家がこの村でどれほどの存在で、権力を有しているのか想像にかたくない。
 屋敷はまるでお城としかいいようがなかった。
 どこまでが敷地なのか、漆喰の白壁の塀が延々と続き、塀の向こうには立派な主屋の一角がのぞかせている。
 思わず口を開けて屋敷を見上げる雪子を、迎えの者が参りましょうと促してきた。

 雪子はごくりと唾を飲み、表情を引き締めて歩き出す。
 緊張で震える手をきつく握りしめた。
 今日からこの屋敷が自分の新しい家となる。
 がんばって馴染んでいく努力をしなければならない。

 長屋門をくぐり、利蔵家の敷地内へと足を踏み入れる。
 外から見たときと同様、主屋を囲むように作られた庭園も風靡なものであった。
 手入れの行き届いた木に池。風情のある灯籠。あの灯籠は夜になれば灯りがつくのか。きっと見事な景観だろう。さらに、池には朱塗りの橋までかかり、池には鯉が優雅に泳いでいた。

 土蔵や何の用途で使われているのか分からない建物に、離れと思われる別邸まである。
 実家の崩れかけた神社だって修繕もままならないのに、これだけの屋敷を維持するのは大変であろう。
 そんな下世話なことまで考える。

 玄関まで続く石畳を歩き、ようやく主屋へたどりつく。
「ここでお持ちください」
「はい」
「大奥様、雪子様が到着されました」
 そう言い、ここまで自分を連れてきてくれた者は雪子を一人残し去って行った。

 玄関先に立つ雪子は周りを見渡し両腕をさすった。
 初めて利蔵家の屋敷に足を踏み入れた瞬間、嫌な気配に身震いをする。
 全身が総毛立ち、風邪を引く前兆のような背筋に悪寒が走った。

 寒い……。
 季節は初夏だというのに、この肌寒さはなんだろうか。それに、息をするのも苦しいくらい、重く澱んだ空気が全身にまとわりつく。

 息苦しいのは緊張のせいばかりではない。
 まるで、雪子がこの屋敷に入ることを拒絶するような気配。
 考えすぎだろうか。
 それに、異様なにおいがした。何のにおいかと問われても答えようがない。饐えたような腐臭。

 雪子は手を鼻にあてた。
 ここにいる者はこの異臭に気づかないのだろうか。それとも、自分だけが敏感になりすぎているのか。
 嫌な感じ……。
 神社の娘だからといって雪子に霊感やそういった特別なものはまったくない。それでも、この屋敷全体をとりまく不穏な空気を感じるのはこれまで経験のないことであった。

 その場に取り残された雪子は、戸惑いながらも寒さに両腕をさすり屋敷の中を見渡した。
 屋敷の外も見事であったが、中はさらに圧巻の一言としかいいようがない。
 黒光りした床は艶やかで、手入れを欠かさないでいるのだろう。塵ひとつ落ちていない。
 歴史を感じさせる立派な梁。どこかの重要文化財で見かけるような、見事な調度品の数々。

 とりまく寒々しい空気をのぞけば、すべてが息を飲むほど素晴らしいの一言であった。
 大奥様が現れるのを雪子は待ち続けた。
 その間、誰一人姿を見せず、心細くなってきたところへ、ようやく一人の老齢の女性が現れた。

 ぴしりと背筋を伸ばした和装姿の女性だ。
 髪を結い上げ、立ち居振る舞いもきびきびとしている。年のわりには年齢を感じさせない雰囲気であった。
 この人が大奥様と呼ばれている利蔵世津子せつこである。
 雪子は表情を引き締め、姿勢を正した。

「雪子です。これからお世話になります。どうぞよろしくお願いします」
 現れた女性に深々と頭を下げる。再び顔を上げると、世津子は冷ややかな目でこちらを見下ろしていた。
 世津子とは結納のときに一度だけ顔を合わせたが、雪子は彼女が苦手だった。会えば自分が相手にどう思われているかなど、おのずと分かるもの。
 世津子は敵意を剥き出しにした目で、自分を見つめていた。

 間違いなく嫌われている。
 だが、これからは仲良くやっていかなければならない。
「部屋に案内します」
 さっそく、ついてきなさいとばかりに歩き出す。
 挨拶も、ここまでやってきたねぎらいも、歓迎の言葉一つもない相手の態度に雪子は戸惑う。
 世津子がこちらを振り返ることもなく歩いて行くため、雪子は慌てて後を追う。

 そして、雪子は利蔵家に足を踏み入れた。

ー 第4話に続く ー 

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