『怨霊が棲む屋敷 呪われた旧家に嫁いだ花嫁』 第43話
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第5章 雪子の決意
5 多佳子の家へ
朝になれば村全体に騒ぎは広まる。
山岡夫婦が夜中に、猟銃を持った利蔵の嫁に襲われたと。
「いったん俺の家に来い。落ち着いてから朝がくるのを待とう」
お互いを支え合いながら、二人は高木の家へ向かった。
高木の家についた雪子は薬箱を持ち出し、傷を負った高木の腕を手当する。
薬箱の場所は以前、鈴子の怪我の手当をしたときに知っていた。
「ごめんなさい、私のせいで」
消毒をしガーゼをあてると、たちまちガーゼが血で染まっていく。
雪子は泣きそうな目でうなだれた。
「そんな顔をするな。たいしたことではない。気にするな」
「でも……」
高木は口元を歪めて笑った。
「あれだけのことをやらかしたくせに、弱気な態度だな」
「それとこれとは別です」
「そうか?」
「そうです。だって、私のせいで高木さんが怪我をした。ごめんなさい」
しかし、高木は気にするなといわんばかりに腕を振った。
「この程度の怪我など怪我のうちにはいらない。この間なんか薪割りで危うく斧を落として足を怪我しそうになった」
明るく笑いながら言い、高木は汚れたシャツを脱ぎ、新しいシャツに腕を通した。
筋肉質でしなやかな高木の上半身に思わず見とれ、こんな時なのに雪子は頬を赤く染めた。
高木と目が合い、雪子ははっとなって慌てて視線をそらす。
着替えを終えた高木は、真剣な顔で雪子と向き合った。
「少し休んでから、あんたは朝一番でこの村を出ろ。でないと、逆上した村のやつらが何をしでかすか分からない」
「いいえ、高木さん、私、多佳子の家に行ってみようと思うんです」
何をばかなことを言い出すのだとばかりに、高木は顔を歪めた。
遠くで、かすかにゴロゴロと空気が震える音が聞こえてきた。
雷だ。
雨が降るのか。
「今からか?」
「はい。もしかしたら、何か多佳子のことが分かるのではないかと思って。高木さん、彼女の家を知っていますか?」
しばし間をおいた後、高木は重い口を開いた。
「村の共同墓地の近くだ。だが、多佳子の家は二十年以上も空き家のまま。誰も家を手入れしている者もいないから荒れ放題だぞ」
「それでも何か掴めることがあるかも。お願いです、連れていってください」
そう、何もしないよりはいい。
たとえ多佳子の消息がつかめなくても、多佳子のことが何か分かれば。
しかし、高木は渋い顔を崩さない。
雪子は静かに高木から視線をそらした。
私、自分勝手なことばかり高木さんにお願いして。
これ以上高木を巻き込んではいけないと思った雪子は、ぐっと手を握りしめる。
「共同墓地の近くですね。探してみます」
高木に頭を下げ、背を向け歩き出そうとした雪子に。
「待て」
と、高木は雪子を引き止め、着ていた自分の上着を雪子の肩に羽織らせた。
「そのままでは風邪をひく」
夜着のままだった自分の姿に気づき、今さらながらに顔を赤くする。
かけられた上着を胸の前でかき合わせると、ふっと、お日様のようないい匂いが鼻先をかすめた。
泣きたくなった。
「俺の上着で悪いが、ないよりはましだろう? ちゃんと洗ってある」
「ありがとうございます」
「無茶ばかりして。もう少し自分の身体も気をつかえ」
諫める高木の言葉に、雪子は素直にはい、と声を落とす。
「行くぞ」
「でも、これ以上高木さんに……」
「ここまできて迷惑も何もないだろう? それに、俺も気にならないといえば嘘になるからな。多佳子のことも、あんたのことも」
「私?」
「放っておけないだろ」
そこまで言って高木は頭をかきむしった。
「行くぞ」
高木の広い背中を見つめ、雪子は頷いた。
村の共同墓地は北西の山奥に存在する。
滅多に人が寄りつく場所ではないため、この辺りは昼でも閑散として薄気味の悪い場所であった。
夜ともなれば、なおさら。
墓地へ続く脇道を左にそれると、多佳子の家がある。
自分の背丈よりも高く伸びた雑草が、道幅いっぱいに広がり、それが通路にまで侵蝕し、草木をかきわけなければ前に進めない状態であった。
先頭を歩く高木が、手にした鎌で草を刈りながら後へ続く雪子のために道を作ってくれた。
そんな高木の広い背中を見つめ、彼がいてくれて心強いと思った。
思えば、出会った時の印象は最悪だった。そっけなくて怖い顔をして。
なのに今は……。
「ついたぞ」
高木の声に雪子は思考の底から浮き上がる。
家の周りにも雑草が広がり、壁一面に蔦がはびこっていた。
見るからに、長い間人が訪れたという形跡はなく放置されたまま。ところどころ窓ガラスが割れ、窓枠の木も朽ちかけている。
はたして、家の中はいったいどうなっているのかと考えるだけで身が震えたが、ここまで来て引き返すわけにはいかない。
雪子は暗がりにたたずむ建物に懐中電灯をあてた。
廃墟と化した家。いや、家というよりも小屋に近い。
扉の前で二人は顔を見合わせうなずき合う。
扉を開くと、ぎしりと軋んだ音がたつ。
鍵はかけられていない。
雪子は家の中を懐中電灯で照らした。
足の踏み場もないほど家の中は荒れているだろうと覚悟していたが、意外にも中はあっさりとしたものであった。
いや、そもそも家財道具がほとんどないのだ。
埃くさいにおいに混じり、饐えたような腐臭が漂ってくる。
手を鼻に持っていく。高木から借りた上着の袖口からほっとするようなお日様の匂いが香った。
かさりと物音が響き雪子は肩を跳ねた。咄嗟に音のした方に懐中電灯を照らすと、鼠が走って逃げていく。
雪子はつめていた息を吐き出した。
そこでようやく自分が緊張していたことに気づく。
もう一度深呼吸をして肩の力を抜く。
土間の隅には古びてぼろきれのような布団がしかれたまま。ここで、病気の母親がずっと寝ていたのだろう。
その母親も、多佳子が姿を消した直後に、この布団の上で誰にも看取られることなく息を引きとった。
さらに、奥の部屋に懐中電灯をあてる。
座卓の上にはそのまま放置された食器。
家は多佳子がいなくなった状態のまま、まるで時が止まったかのように思われた。
ふと、部屋の隅に置かれた戸棚に小箱を見つけ、雪子は高木と目を見合わせた。
乱雑に者が散らかっている部屋の中で、その小箱だけがきちんと棚に収まり、まるで宝箱のように見えた。
おそるおそる雪子は小箱を手に取り、蓋を開ける。そこに、折りたたまれた一枚のハンカチを見つけた。
「ハンカチ……」
「ハンカチがどうした?」
「ええ、このハンカチ、私が利蔵の家に来たばかりの頃拾ったの。庭の椿の木の下で」
「拾った?」
まさか、という顔で高木は不可解そうに首を傾げる。
利蔵家の庭で拾ったものがなぜ、ここにあるのだと疑問に思うのも当然だ。
雪子はそのハンカチに、懐中電灯の光をあてる。
どこにでもあるような白いハンカチ。だが、白い中央に付着した黒っぽいシミ。この村へ来た当初、利蔵の屋敷の木の下で拾ったハンカチと同じシミだ。
「間違いない。このハンカチ。これは多佳子のものだったというわけ?」
そういえば、利蔵の庭で拾ったハンカチは、持ち主を見つけたら帰そうと部屋に持ち帰ったのだが、いつの間にか消えていた。
落とした者が気づいて持っていったのだと思い、とくに気にもとめていなかったが。
さらに箱の底に古びた手帳があった。
中をめくってみると乱雑な文字が並んでいる。
日記だ。
「これ……」
他人の日記を勝手に読むことに気がひけたが、もしかしたら何か手がかりがつかめるかもしれない。
そう思った雪子は、高木と一緒に手帳のページをめくった。
第44話に続く ー