青木真也選手と榊原社長のリングケージ論がめちゃめちゃ面白い
今週末に迫った超RIZIN3に出場する皇治選手とそのセコンド青木選手と榊原社長の三者対談で話されたケージ論がめちゃめちゃ面白い。
このリングケージ論の何が面白いかというと、
「RIZINのリング式はスポーツとしての成熟化の呪縛とそこからMMAが逃れるために文化的な価値がある」
という考察が立てられること。
まず、基本的にスポーツというものは競技自体が成熟していくにつれ、より若いうちから才能のある人材を効率的に育てる流れと共にトップにしかスポットライトが当たらなくなっていくという「成熟化の呪縛」というのがあるものだが、そこには例外で関東地区のみの箱根駅伝と高校生のみの甲子園というものがある。
箱根駅伝には距離、区間、制限時間の厳しさによる多数の繰り上げスタートがあり、甲子園には浜風の吹く球場での一発勝負があり、そこには不確定要素や人間ドラマを生む舞台装置によってトップリーグとの差別化がなされている。
これと同じく、RIZINのリング式には頭部や体の大部分が外に出過ぎた際のストップ、ロープブレイクや場外落下などの舞台装置が隠されており、やや有利なポジションだったのにも関わらず五分のポジションに戻されるシーンなども見受けられる。
それゆえ、MMAというスポーツにおいての合理性正確性を求めるならば、ケージ式が最適解であり、世界のトップ団体はケージ式を採用しているのも事実であるため、リング式に対して否の声が多いのは競技として正論だと思う反面、MMAがスポーツとして「成熟化の呪縛」から逃れるためのRIZINのリング式というものには文化的な価値があり、ひょっとすると20年30年経った頃には称賛の声が多くなっているのではないだろうかという仮説を立ててみる。
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