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話しすぎて夏

前回、溜めて出せないという話を書きましたが、
今日はうって変わって、話しすぎたかなと反省した件w

相手から指摘されたわけではないけれど、
出しすぎたかなとよぎったので、ここに残すことにします。

私は、雑談が苦手でした。
大きく括るとコミュニケーション弱者だったと思います。

自分の話をするのを躊躇い、人の深い話を聴くのを好んでいたので、
天気は会話の冒頭としてはありでしたが、
メディア(芸能界の噂話など)、トレンドなどの話題は、興味がないと全くわからないし、つまらなくて。
でも顔にも出せなくて、相手の方を向いてニコニコしてました😅

今日あったこと、最近感じていることを、
日記から始まり、SNSに書くことで頭の中をスッキリさせられることを知り、
パートナーに対し、「話す」をするようになりました。

書くときと同じように、頭で整理して、アウトプットして、適当に返事をもらったり、聞いてもらったという満足を感じて、をそれはもう楽しくやっていて、話すっていいな!って思っていたんだけれど、
それをどうして反省したのかというと、

彼から来たあることから、
「なんでも聞きたいわけではないよね」 という言葉が私の頭をよぎったからです。

私の世界と彼の世界。
それぞれが別に存在していて、お互いにそれを尊重したいと思っている。
尊重されたい・・・もありますね。(今頭を巡らせました)

人間関係についても、趣味嗜好についても、
無理に自分に繋げなくていいよという彼の言葉には納得しているんだけれど、
どうやら私は、
繋げるという前提がなくても、話す = 過大な情報を提供することで、
聞いた聞いてないとか、無駄に心配とか、イヤな気分にさせていたかもしれません。


身近な人とのやり取りって、忘れた頃に繊細な一面を見せる。

私たちはこういうとき、いつも文字でモヤモヤするので、
話をしたいと私は言いますが、電話は一方的にはできないものですしね。
顔を見たらもっとすんなりなんだけど、昨夜は寝付きが悪かったよ~。


ここに宣言もかねて、改めて私の世界の枠を点検することにしました。

今日いちにちあったことを全部話さないと気がすまない時期は終わったのかもしれない。
こうして書けばどなたかが読んでくれる場もあるし、お気に入りのノートも見つけたのです。

ここに書いた理由はね、
あなたが身近な人とのやり取りの中で、ショックを受けたり、シャットアウトしたくなることが起きるかもしれない思いや感覚を、
私に一度話してみたらいいと思ったからです。

一見ネガティブかもしれませんが、
そこに、あなたの大切にしたいことが存在しているから、それを確認するためです。




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