人を愛した事がない

タイトルを見て驚きましたか?

とある、昔見た少し古い映画の最期のシーンの台詞が、私の脳裏に深く焼き付いている。タイトルを思い出したいが、そこしか覚えてない。

山程の映画を幼い頃から見てきたが、また可能なら死ぬ前に可能ならもう一度見てみたい。

海辺の近くのキャビンで騒ぐ他の男友達ら。確か、友人の中の二人の結婚式だった気がする。

スーツとウェディングドレスが記憶にあるから。

女性の親友と、主人公の男性は手すりに捕まり、髪は風にふかれながら、女性の親友に聞く。

『誰かを愛した事はある?』


死期が近い青年の言葉に対して返した親友の言葉は、

『ないわ!』という笑みでした。

私は驚きました。

だって、誰かを愛した事がないということは、おかしいと社会ではされてる。。と社会に洗脳されていたから。その時の私は16くらいでした。

その会話が今も忘れられません。

『誰かを愛せる。そんな人に会えるなんて、奇跡みたいなものじゃない。そんなの一部の人だけよ。』

それは、偽物の励ましではなく、彼女の本音。

それに対し、彼はこう続ける。

『どんな気持ちなんだろう?誰かを本気で愛するて!僕は、それを味わいたかった。』
過去形なのが、辛い。。

確かに生きてる人間と
もう死期が確定してる人間の渇望してる物が違うのは当然だよね

私は、死ぬ前に後悔するのは、愛せる人に出会えなかったこと。だろうと思う。

よく、いつか会えるよとかそういう綺麗事て本当に要らないんだよね。

別にネガティブとかそういう訳でもない。誤解されがちなのは、友情以外で、愛せなければおかしいというようで、私は首をかしげる。

沢山の人が私を通りすぎていっただけ。それだけ。

自分の力でどうにか出来ないこと。

しかし、自分はそれを悲しく思い、死ぬ前に、彼のように渇望するだろうという事。

しかし、今は死んでるのか、生きてるのかわからないなかにいる。

彼女の言葉の側にいる。

最初はそう思っていた関係が過去にあったとしても、最期はそれが毒でしかない偽りの有害な関係であったという体験をしている人は多いと思う。

特に、domestic violence の多くの被害者は、女性であり、domestic violenceは頻繁に今この瞬間も世界中で起きている。

密室だけでなく、公でも。。

そして、警察は何にもしない。

これは、何処の国も似ている。

男尊女卑の日本だけでなく、アメリカやヨーロッパでさえ、まだまだ。

トラウマをおった後に、価値観が変わる人もいる。

あるいは、最初の環境で。

愛するという事が何なのかわからなくても、

問題ないと私はそれでも思うのだ。
例え、あなたが何歳でも。

家族愛、友情愛、恋愛、色々ある

別にどの関係性を持っていなかったとしても

あなたに必ずしも原因があるとは限らない

そして、殆どは運が私は大きいと思う。

コネクションは努力して、得られるものだけではない。

誰でもいいなら別。

数撃ちゃ当たるは、危険だから、女性にはお勧めしない。

そうしてる女性も沢山いるが、事件に巻き込まれやすい。

色んな場に出るということは、世間から、見られていること

透明な存在にはならないが

リスクも増える。

今は、そんな機会も昔と比較すると多くはないけれど、これも人にもより多い人は多いのだろう。

愛への渇望を人生の目標にしてしまうと、私の世界は崩壊する。

枠は至る所にある。

世間が作り出した枠から抜け出したい。

狭すぎるありとあらゆる枠から。

そして、単純に心から笑えて安心できる誰かと朝まで下らない事から、深い話までして、語り合いたい、笑いあいながら。

性別も何も関係なく、この映画の男女の親友のように。。