見出し画像

もろうた時とちから

今日で、宝塚大劇場を卒業された、宝塚歌劇団・月組トップスターの珠城りょうさん。 

これまでに何度、珠城さんには励まされてきたことだろう。

「私の全身で、愛をお伝えしていきます!」

そんな、普通だったら恥ずかしくて受け取れないような言葉でも、珠城さんの言葉なら、そのまっすぐな愛が、私のハートに直接届く感じがした。珠城さんが登場するだけで、涙が自然と流れてくる、ということもよくあった。いつも劇場でたくさんの愛に包まれて、日常に戻って行くことができた。   

退団を目前に控え、コロナ禍で普段のようにはファンと密に交流できない状況を前にしても、「直接は会うことはできないけれど、感謝の気持ちは絶対に伝わると信じています。」そんな言葉を伝えてくれる。(私は陰からこっそり応援するファンで、もともと近くで直接お目にかかったことはなかったけれど・・・。)

私はこの言葉になぜか、いたく感動してしまった。どうしてだろう・・・と思ったのだけれど、私は「こんな状況の中で卒業していかなければならない珠城さん、見送らなければならない珠城さんファン」のおかれた状況を嘆いていたのかもしれない。「絶対に」という少し強めの言葉を使ったメッセージに、「こんな状況だけど、でも大丈夫。大切なものは伝わる。」って思うことができて、すごく安心できたんだなと思った。そして、そんな風なメッセージを伝えてくれた珠城さんに、深く深く、感謝と尊敬の念を感じる。

そして退団公演の中で。

「もろうた時と力、そなたなら何に使う」

珠城さんが、自分自身に問いかけるセリフがある。客席でものすごい気迫のこもったこのセリフを浴びて(聞いてというより浴びてという感じだった)、「そうだ!私ももらった時と力、何に使うか真剣に考えなきゃ!」めちゃくちゃ単純にもそんなことを考えた。悲しいシーンだけど、同時にすごくエネルギーが湧いてきた。

珠城さんは、ご自身のことを「万能」だとは思っていらっしゃらないかもしれない。公演の内容にかけるわけではないけれど、ご自分の「限り」を知っていて、でもだからこそ、限りある「ちから」を限りなく信じている、そんな感じなのではないだろうか?と思った。

そして、そんな珠城さんから「ちから」をもらった私も、私にできることで、誰かの「ちからに」なりたいなと、今思っている。

「私なんてまだまだ・・・」とか遠慮していたら、もったいないのかもしれない。「謙遜?じょーだんじゃねえっ」とBADDYに怒られてしまうかもしれない。

珠城りょうさん、月組の皆さん、今日まで本当にありがとうございました。東京千秋楽のその日まで、皆さんが舞台を思い切り楽しみ、走り切ることができますように。


いいなと思ったら応援しよう!