バンザイの掌の向き
内側説と正面説が対立していますが、正面説が本来の向きとする方が自然と思うのでその辺りを書いてみます。
例示された写真のまとめ
正面… 昭和天皇、中曽根元首相(軍の士官だった)、歴代総理、戦後の国会
内側… 安倍総理、麻生大臣など
内側説
遂行している人が比較的新しい時代の人で、教育基本法への改正圧力が高まった1990年代に発生した説ではないかという指摘がある。
根拠として掌を正面に向けて上げるのは降参を意味するから縁起が悪いという戦中の思想から引っ張ってきている。これだけです。
ここにいくつかの疑問が発生します。
1. なぜ降参だとまずいのか
日本の伝統的な作法として、主君と相対す時は寸鉄帯びていない事を示し害意のない事を明らかにする必要があった。刀の受け渡しは必ず束を主君に向ける。誤って切っ先を向ければ命に関わりかねない。
したがって、武装していない事を示すために掌を広げて見せる事は失礼でもなければ不吉でもない。内向きにすればそこに暗器を仕込んでいると思われ手討ちにされても仕方ないだろう。
そもそもの話として主君に対し降参あるいは服従の意を示すことに何の問題があるのか。
2. 万歳のはじまり
中国の歴史ドラマでは皇帝(のみ)に「万歳万歳万々歳」と唱和するシーンがある。天皇に対する万歳三唱は明治に旧天皇制を敷いた際、中国から輸入したもの。
したがって歴史は浅い。しかも日本が武力国家として成長する時期に取り入れられたものであることに注目したい。
この流れで民間にも三唱の形でバンザイが入ってきた。日常にバンザイ三唱(天皇に対してではなく喜びを共有する動作)が使われるようになると、時代下って縁起であるとか降参の動作との類似性に因縁付けられたのが指摘されている1990年代ではないかと思う。
捕虜となる事は不名誉で強く自決を促されるような世相の中で殊更に「降参」とそのポーズを忌避する傾向はあったが、天皇に対するバンザイ三唱との直接的な関わりはない。
むしろバンザイは自決玉砕のかけ声として知られたので敵国であったアメリカにも「バンザイ・アタック」という言葉が残っているほどである。
歴史が浅いと箔を付けたくなる。1990年代が問題視されるのは万歳三唱令という偽文書が出回った事件が象徴的だったからで、この慣例の動機付けや美化が戦中回帰の工作であったことはほぼ間違いがない。この偽文書の中に掌を内側に向けると書かれています。
こういった文書がなぜ出てきたかというと掌を内に向けるという決まり事が存在しなかったために後付けで作る必要があったからでしょう。
戦闘結果への強い意識(降参は悪)を様式化して取り入れたいという作為が感じられる。
戦闘し勝利する事を天皇崇拝へ繋げたいという意図がある。
正面説
内側説と反対になりますが、そもそもが喜びを表す動作であり、掌中に何かを含んで相対すしぐさやその打ち解け難い堅苦しい動作が場にそぐわぬ事は多くの実例が示しています。敵対的な意志や作為がなければ自然と掌を正面に向けることになります。
舞や踊りで掌の傾きや向きで物語る表現には何かしたらの意図があります。反対に作為がない事を示すには掌を正面に向けることが自然である、と分かる程度の表現感覚は人間には自然と備わっています。別れに手を振る際には自然と掌を相手に向けている筈ですがこれを不敬と取る人はいないでしょう。親愛の情を感じている筈です。
こういった自然な所作に物言いをつけ、根拠を与えようとする所は異常なこざかしさを感じます。