●対等でありたいと思いながら反対の場所にいた。
男性とデートをした時に、荷物を持って貰うのが嫌でした。
「その荷物持とうか?」
「なんで?大丈夫だよ」
「だって男が持つものかと思ったから」
「そんなことないよ」
あと
ご飯を奢って貰うことも苦手です。
誕生日や記念日だとしても、これを買って欲しいとおねだり…というのも、しません。
(子どもの頃は母に買って買って言ってましたが。あとサンタさんにも^^;)
自分で買いたい
自分で持ちたい
対等でありたい
なのに何故かうまく行かなくてモヤモヤ…
という気持ち。
以前もお話ししましたが、今は女性と一緒にいます。
彼女との生活は、始まったらとても自然でした。
2人で買い物をした時に、
「重たい牛乳、こっちのカバンに入るから持つよ」
「ありがとう、そうしたらトイレットペーパー嵩張るから、こっちは持つね」
「うん、ありがとう」
とか
そういうやり取りをします。
心地いいなあと思っていたのですがあまり理由に気づいていなかったんです。
それは自分の中に、
「男性だからって持ってくれなくていいのに。私だって牛乳くらい持てる」とか
「(男性だからって持ってくれて)ありがとう」とか
「自分達の行動の中に、男性だから、女性だから、という前置きがあって、それが本心ではないような気がしていたんだ。」
と気付きました。
同性の彼女とは、そういう意味では対等に考えやすかったんですね。きっと。
それで何が言いたいかというと
もちろん、
「男女は対等じゃないからダメだ!」
ということではありませんよ!
自分がどうして苦しかったのか。
嫌だなあと、モヤモヤしてきたのか。
その理由が自分の中で明確になったということです。
いまは彼女と生活していますので、別の人と付き合いたいとかそういうことは微塵も考えていませんが、自分の困り感がわかれば、誰と一緒にいる時でも、自分らしくいるためにはどうすればいいのかを考える手掛かりになる。
いやなものはいや!
すきなものはすき!
それがわたし!!
と思ってるのに
簡単そうで、難しい。
自分のことだけどわからないことって、たくさんありますね。
それと
この気づきで、自分が男女差別を嫌いながら、男女差別の考え方に囚われすぎていることにも気がつけました。
こういうのは、育ってきた環境、かけられてきた言葉で、変わってくるものですよね。
目に見えない感覚の部分なので、気付くためには色々な人の話を聞いて、文章を読んで、自分の気持ちをを言語化してあげることも大切。
「その荷物持とうか?」
と言ってくれた彼の言葉の優しさを、ちゃんと感じられる自分であったなら、男女間でもモヤモヤせずに過ごせたかもしれない。
振り返って反省したり
そこから前を向いたり
人生って色々です…。
だからこそ
男性とのお付き合い
女性とのお付き合い
大きなふたつの括りがあるのではなくて、その時その時いろんな気持ちがあってグラデーションなんだ、という考え方をしたい。
人と人とのお付き合い
そのカップルが幸せな落とし所が見つかるのが、ベストですね!