●選べる、だけでいいの?
性的マイノリティの視点から、世の中が少しずつ変わろうとしている。
まだまだ難しい面もたくさんあるし、「そういう人もいるらしいけど私の周りにはいない」という感覚が抜けないところもあると思う。
その中、女子がパンツを、男子がスカートを履いてもいいのではないか、と言う考えから、制服の自由度が上がっている話を聞く。
概ね賛成です。
でも、少しだけ、思うところがある。
そんなお話をします。
私は小学生の頃、ショートカットにしていました。
癖っ毛でどうにもならなかったこと
母親に「ショートカットが似合うよ」といつも言われていたこと
身長が高く、自分は「かわいい」部類には入れないと認識していたこと
それが理由。
弟には「お姉ちゃんじゃなくて、お兄ちゃんがいるみたい」と言われたり。
ピアノの発表会
女の子たちはリボンやレースのついたふわふわしたドレスを着る。
着てみたかった
けど、言い出せなかった。
ネイビーのワンピースを母が作ってくれた。
嬉しかった。けど少し、気持ちは違っていた。
本当は女の子らしくありたい。
でも周りにバカにされるんじゃないだろうか。
可愛くないこの巨体で、こんな顔で、ゴリラみたいだと罵られ、私が女の子らしい格好をしたら、笑われるんじゃないか。
…と。
そんな風に思っている10代の女の子は、たくさんいるのではないかと思います。
周りと比べて自分の位置を決めてしまいがちな時期。
多かれ少なかれあると思います。
私の場合は
やがて自分を守るために、
「自分はボーイッシュであることが好きなんだ」
と自分に嘘をつき始めました。
その方が、周りからの認識とズレることなく、苦しくないから。
楽だから。
傷つかないから。
もし当時、制服を選べる時代だとしたら。
怖くてスカートを選ぶことができなかったかもしれません。
他人の認識に合わせて、ズボンを選んでいたかもしれません。
「私がスカートなんか履くわけないじゃん」
なんて言いながら。
「やっぱLANはズボンだと思ったー!」
なんて言われながら。
スカートを履ける
制服を纏うのは
とても心地が良かった。
女の子であることを許されているような気がして。
選べる時代になること
それは素敵なことだと思う。
体は男性として生まれてきた人が、私が感じたように、スカートを纏うことで生きていることを許されるような気持ちになるなら、それは本当に素敵なことだと思う。
けれど、選べない子がいる
その選べない状況を作っているのは、その子の弱さや未熟さではない。
周りです。
社会です。
そこを改めなければ、全く意味がない。
誰でもトイレも
何かの書類の性別を選ぶ欄も
選べるようになったことで、気持ちが軽くなった人はたくさんいると思います。
でもその影に、
「女の子らしくありたい女の子」を殺した少女が、いるかもしれない。
この世界の上に、あたりまえに、いるかもしれないのです。
性的マイノリティ
特別ではなくて、当たり前になるように、みんなが考えること。
みんなの認識が、自然になるように。
女らしさ
男らしさ
女子力、とか
そんな言葉を当たり前にしない世の中になるといいなと思います。
自由には、責任がついてくる
それがわかるようになるのは
大人になってからだから
とても敏感な子どもたちが、あたたかい社会の中で、ひとりひとりが大切にされるといいと思います。
(制服の話なので、ここでは子どもたち、と書きます)
選べる、だけでいいの?
というタイトルの意味
そこで終わりではないのではないか
と、私は思います。