駄洒落番長のOMG⑨ そうだ、比叡山に行こう! 延暦寺 横川篇〜おみくじの結果は?!
2023年最後の記事は何を書こうかな?
そんなことを考えていた時にイスラエル・パレスチナの紛争が勃発しました。
太古の昔からの宗教的な問題に加え、欧州、中東、アメリカの政治的な絡みもあり、この紛争の背景は、日本人にはなかなかわかりづらい面があります。
日本には、無宗教という宗教がある、とか、八百万の神がいる、とか言われます。
かく言う私も「苦しい時の神頼み」です。
何かお願いする時は、手を擦り合わせて「神様仏様御先祖様、ムニャムニャムニャ」と唱えます。
12月ともなれば、なんの疑いもなく「Merry Christmas 🎄」と祝い、大晦日には除夜の鐘を聴いて感慨に耽り、一夜明ければ神社⛩️に初詣に行きます。
ユダヤ教、イスラム教、キリスト教といった一神教を信じる方々には、日本人の多くが都合に合わせて沢山の神様仏様を信じる様は、どのように映るのでしょうか。
「神仏習合」
このOMG シリーズを連載するにあたり、神社仏閣について勉強して知った言葉です。
大昔はお坊さんが神社を管理したり、神前でお経をあげるのは普通で、寺は寺、神社は神社と分けたのは明治時代の国策によるものだそうです。
大昔のスタイルを「神仏習合」と言いますが、時代により少しずつ違います。
仏教が伝来した当初は、仏は外国の神様として日本の神々と同類でした。仏教が本格的に広まっていくと、神前で読経するようになりました。
平安時代以降は仏教優位の神仏習合でしたが、江戸時代になると、儒者、国学者が神仏分離を言い出します。しかし、庶民には村の鎮守の杜と仏堂が並ぶのは日常の光景でした。
高野山(OMG シリーズ①)を訪れた時のことです。
明治時代の神仏分離以後に生まれ育った私は、高野山の壇上伽藍(だんじょうがらん:諸堂が軒を連ねる地域で、奥之院と並ぶ霊場の一つ)の端に御社⛩️があることに違和感を感じたのですが、「空海が高野山開創にあたり結界守護のために地元の山神を祀った」というようなことが案内板に書いてあり、「へえぇ」と思った事を思い出します。
つまり、あの風景は江戸時代以前は普通だったのですね。
2023年最後の記事は、この神仏習合が相応しいのではないか?と思い立ち、調べてみると、、
なんと!!
2020年、コロナ禍突入で泣く泣くキャンセルした比叡山が、実は神仏習合を今に残す場所だったことがわかりました。
ようやくアフターコロナになりました。
こうなったらもう行くしかありません!
さぁ、いざ参らん!
日本仏教の母山 比叡山延暦寺へ!!
早っ!
もう山の麓に着きました。