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駄洒落番長の城🏯を知ろう⑥ 江戸城〜大都会に天守台があるって知ってました?!



映画「もしも徳川家康が総理大臣になったら」を観てまいりました。

"城を知ろうシリーズ" を執筆するきっかけは、東京という大都会の礎を築いた徳川家康を勉強するために観始めたNHK大河ドラマ「どうする家康」です。
これでもか?!と次から次へとお出ましになるイケメン俳優の方々のお陰で、見事に戦国時代にハマりました。

そんな家康マイブームの最中に、この映画のことを知り、7月26日の封切りを首を長くして待っておりました。

映画はコメディですが、現代の日本人に向けてなかなかに熱いメッセージが込められており、「真面目におふざけ」具合が非常に良かったです。

劇中"家康がビルの屋上から東京を見渡すシーン"があるのですが、これが私には衝撃的でした。

なぜなら、皇居に城🏯が建っていたからです!!

そうかぁ、そうだよねー、あそこにお城が建っていたんだよねぇ。

今更ながら気づきました。東京には江戸城があったんです。なぜ、今はお城がないのかしら?いつ、なくなっちゃったのかしら?お城が建っていたところって、今はどうなっているのかな? なにか残っているのかな?
私、何も知らない。。。

こうなったら居ても立っても居られません。
調べると、皇居の一画に一般市民も入れる場所があるようです。

💡💡💡そうだ、今がチャンスだ!

いざ参らん!
人がいなくなる、お盆休みのTOKYO へ!!


早っ!
もう着きました。


入園料、なんと無料!


いきなりカッコ良すぎる大手門がお出迎え


入ってすぐに、この石垣にハートを射抜かれました💘
東京のど真ん中に、こんな美しい建造物があったとは!


格調が高い


外国人観光客の方と比べると、サイズ感がわかりやすい



皇居東御苑は、昭和35年に皇居附属庭園として整備することが閣議決定され、昭和43年に完成、一般公開されている。
面積 21万㎡。

この日は災害級の猛暑日。
片手に日傘、片手にスマホ&ハンカチで地図が持てず、立て看板を頼りに苑内を進みます。そのうち看板見るのも面倒臭くなり、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ、適当に歩くことになりました。私の読み通り、お盆休みの御苑は空いており、この暑さもあって行き交う人は少なかったです。9割は外国人観光客でした。

見どころ満載の東御苑ですが、植物園のようでもあります。バラ園、竹林、茶畑、果樹古品種園(江戸時代に食用されていた品種!)、雑木林(都市近郊で徐々に失われてしまっているため復元!)などなど、皇居吹上御苑から移植された植物や、皇族の方々のお考えを受けた緑地帯が沢山あるんです。
「桜の島」(地図18)には沢山の桜の品種が植っているそうです。"御衣黄"あるかしら?春になったら、見に行ってみようかな?


そして、こんなコーナーもあったんです↓↓
(地図34)

ご自身が住んでいる所の Symbolic Tree 
何かご存知ですか?

高松城で学んだ私にとって、この問題は簡単。
「鹿児島県の木は?」
「"蘇鉄"です!」
看板の前で自信満々に答えました。


へ?

カイコウズ
鹿児島の木はもう一つあって、クスノキ

「そぅてつかぁ。。ソテツじゃないんだぁ??」
と、ブツブツ言いながら写真を撮っていたら、外国人観光客の皆さんが興味深げに集まってきてしまい、ビビりました。

皇居東御苑には門が三つあります。

私が入ってきた大手門(地図1)
平川門(地図33)↓↓

どこぞの国から来たのかな?🇯🇵楽しんでくれたかな?


そして、北桔橋門(きたはねばしもん)(地図21)↓↓

「ふぅん、この門は小さいな」と思いながら、振り返りました。

すると、いきなり目の前に現れたんです!!!


江戸城天守台💘


ちゃんと地図を見なかったのが幸いして、感動が大きい!!

見てください!この美しい稜線!


明暦の大火(1657年)で天守が焼失。
翌1658年に加賀藩担当で再建されたこの天守台は、
白っぽい安山岩が使用されている。

焼失した天守はこちら↓↓

江戸城天守復元模型(地図25)

江戸城は、慶長、元和、寛永と三度にわたり、天守が築かれました。三代将軍家光が建てた寛永期の天守は、今も資料が豊富に残されており、それを基にした1/30スケール模型が本丸休憩所隣に展示されています。

この寛永天守は明暦の大火で焼失するまで20年しか存続しませんでした。四度目の再建計画は、天守台を造ったところで中止されました。

軍事上無用な天守再建より江戸の町の復興を優先させたと言われています。

以後、天守の役割を果たしたのがこちら↓↓

富士見櫓(地図11)

櫓(やぐら)も明暦の大火で焼失してしまいましたが、1659年に再建され、今に至ります。
歴代の将軍が、ここから富士山、両国の花火、品川の海を眺めていたそうです。当時は遠くがよく見えたでしょう。夜は真っ暗だったろうなぁ。海の色は今と同じかしら?

眺めと言えば、御苑には展望台(地図26)もあるんです。最後に、天守台や大奥跡、本丸跡を一望したくて、噴き出す汗と共に階段を登りました。

へ?

映画「もし徳」の家康とは反対の景色。
つまり、江戸城から東京のビル群を眺める展望台。


天守台を見るつもりで登ってきたので少し期待外れでしたが、この景色を眺めていたら、、、おや、ここでお出ましですね。

得意の「私のメタバース(妄想世界)」!!

ダジャレ殿が、加賀藩の殿様と一緒にこの大都会を眺めています。

殿 「加賀殿、天守台の再建は大儀であった。だが、天守は造らぬことにした。民の暮らしの安寧が先じゃ。東京大空襲という昭和の大火を知っておるか? 復興して、今はこの眺めじゃ。」

加賀殿 「ご自身の利ではなく、日の本の民を思えばこその天守再建中止、さすがは殿!と、感じ入りました。」

治世には、知性が必要じゃからのぅ。むはははは🤪

実はこの中止、当時の副将軍 保科正之の進言だったそう。
いつの時代も優秀なNo.2が欠かせない。


2024年は、世界各国で国のリーダーを決める選挙が相次ぐ年です。どこの国も何やら苦悩しているように見受けられます。過去の偉人のデーターを読み込んだ人工知能AIに治世させる「もし徳」は、そういう観点からも大変興味深いです。
特に若い世代の方に観ていただきたい。
是非に及ばず、是非ぜよ!!

ん?
遠くで誰か何か言っている。

江戸は、えぇどぉ〜

もしや?!
おおぉ!大権現様のお声だ!
死後、神格化され、東照宮に祀られる家康公の超絶ベタな駄洒落には、、、
誰も文句は"言えやすまい"

ね?

YES👍 家康❣️


🏯を🏯う!江戸城は、おも🏯い!

🪭江戸城の築城は太田道灌。1457年完成。
🪭北条家支城の時期あり。

🪭1590年、徳川家康入城。大規模改修工事開始。
🪭江戸城は日本一広大で、天守も一番高かった。
🪭1657年、明暦の大火で江戸城は焼失、
その後、天守は再建されなかった。
🪭1868年、無血開城、つまり明治維新。
江戸城は東京城と名を変える。
🪭1869年、東京城は皇城と名を変え、
西の丸が天皇家の住居兼政務の場となる。
🪭明治維新前に、本丸御殿焼失(1863年)、二の丸御殿焼失(1867年)していたが、
当時の幕府は財政難で再建できずにいた。
その場所が現在の「皇居東御苑」
🪭1873年、西の丸御殿も焼失。1889年に新宮殿竣工、「皇城」から「宮城」に改称された。
🪭約270年の長きにわたり徳川幕府の政治の中心地だった江戸城は、赤穂事件(忠臣蔵)や桜田門外の変など歴史的事件の舞台となること多数!