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死。

先月後半。
社長のお母さんが亡くなった。
突然の話ではなくある程度分かっていた訃報。もう米寿近くになっておられたし、認知症もかなり進んでいたし、仕方がないかもしれない。

通夜と告別式は滞りなく終わられ、家族葬ならではのこぢんまりしたいい弔いだったとは思う。

今月に入り、さて明日明後日と仕事を片付ければ夏季休暇、というタイミングで、会社では盆明けの大きな仕事のための準備をしていた。おおかたの機械や部品などは揃えられ、後は大きな仕事以外で入ってくるメンテナンスなどをするための部品を注文して行く。いつもの事。在庫があればそれを使うが倉庫には無く、ならばいつものように車で20分ほど離れた部品屋へ在庫の有無などを問い合わせるため、パートさんが電話をかけた。

「〇〇の59が欲しいんですが、ありますか?はい、…はい、なるほど。…じゃあ明日届けてもらえたら…」

いつも通りの在庫確認。電話の向こうはいつものドライな事務の女性。多分別の営業所にあるから明日なら配達可能、という返事か、若しくは盆休み明けになる、のどちらかの返事のはず。

「…え、ええっ?!」

不意に、パートさんが大きく驚いた。はい、はい、はい…とメモを取りながら明らかに動揺している。
メモには、
『8/3 亡』
と書かれている。

どういう事?
混乱した頭でパートさんの持つ受話器を見つめていた。

いつも配達に来てくれていた、その会社の営業所長さんが、急逝された。
享年54。
理由までは分からないが、亡くなった日の朝、起きてこないのを不審に思った奥さんが寝室へ見に行くと布団の中で既に冷たくなっていたそう。
前日に営業所長さんは部品の納品でうちの会社に来てくれていた。連日の暑さで「暑いっすねぇ!」と声をかけると「ホンマ、たまらんっすねぇ」と笑顔で返事をしてくれた。
パートさんのご実家近くにお住まいなので、ふとした会話からよく喋るようになり、いつも頼りになる方だった。

信じられない。信じたくない。
もうあの笑顔が見られないなんて。


私は、自分がいつ死んでもいいと思って生きている。
躁鬱であるというのもある。
自殺未遂もした。希死念慮も消えない。
でも、周りの人には幸せに生きていて欲しい。
私はいいんだ。私は生きている事すらいいのか?と疑問に思うほど、私はいつ死んでもいい。
もしかしたら明日、突発的に死にたくなってしまうかもしれない。

自分の命はどうだっていい。
営業所長さんに至っては、まだお子さんも学生。働き盛りだし、信じたくないくらいだから、私が代わりになるから、生き返って!と言いたいくらいだ。

3週間ほどずっと、どうにもこの辛い気分が拭えず、心が乱れている。
地震の不穏な話も聞く。台風も近づいている。不自然に猛暑が続く。

どうか、どうか私以外の方々が幸せであるように。
私はどうでもいいから。
お願い。お願いします。