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ラッコのマナの家族
マナの親戚は陰ながらも活躍していた
マリンワールド海の中道のラッコのマナの親戚について一応あちこちにそれらしい情報はあるものの、それをまとめている本やサイトなどがないこと、長崎ではラッコがかなり繁殖していたらしいものの記録らしい記録がかつて飼育していた園館でもあまりありません。ラッコマニアの間での情報でも長崎のラッコのことは断片的にしかわかっていませんでした。
ラッコブーム時には旧大分マリーンパレスで、ラッコショーが一世を風靡するほどの人気があったそうですが、今は一頭もおらず見られなかったのが残念です。
そこで国内で飼育されているラッコが危機的状況ということもあったのでこのままラッコ達のことが忘れ去られるのも寂しいと思い、図書館の新聞検索サービスや記録を綴った本からマナの親戚について独自に調べることにしました。もともとマリンワールド海の中道に長崎や大分からラッコがやってくる前にいたラッコ達のこともわかりました。
まずは今年のマナの誕生日に、マリンワールドの企画でマナの成長記録の展示がありましたのでそちらを載せます
2019年の11月に行われたラッコのマナの七五三
鳥居を囲んでマナへのメッセージがぎっしり
マナの名前は父親と母親のマリンとナダから一文字ずつ取って”マナ”となりました。祖父と祖母は、大分のカイと長崎のチサ(智佐)です。マナ は兄妹から生まれましたので血縁が分かれるのは祖父母世代です。
ラッコのマナの親戚は、
祖父のカイのいた大分マリーンパレスうみたまご
マナの祖母方が暮らしていた長崎水族館(現:ペンギン水族館)
叔父叔母にあたるラッコがいた長崎バイオパーク
うみたまごは、訪問してカイ(在籍時はトントンという名前)のことを聞きましたが、記念誌でもカイの生まれた記事だけはどういうわけかなくマリンワールドへの搬出記録があるのみでした。
長崎ペンギン水族館は丁度ペンギン飼育開始60周年記念で、ペンギンと一緒に当時のラッコの記録の展示もやっていましたので資料がたくさん揃いました。当時ラッコ担当だった現館長さんも協力していただけました。
長崎バイオパークは、園の方で飼育していたラッコに関する記憶が薄れていて記録を残した本もなく少し手こずったのですが、当時ラッコを担当していた獣医の方がよその園にいることが判明しましたので電話をするとバイオパークで飼育してたラッコの詳細なリストを取り寄せて頂けました。
その他の資料は福岡県立図書館で地元の新聞の索引データベースから探したり、閉鎖する直前だった長崎県立図書館で長崎新聞の大体の日付に絞って長崎バイオパークのラッコに関する記事を探したりしました。長崎新聞の古い記事は索引データベースが大まかなものしかなかったので、福岡県立図書館でヒットしたラッコの記事も参考にして探しました。
すると長崎バイオパークが大きく取り上げられている’86年のリニューアルオープン時の一週間の連載が見つかりましたので、ラッコだけでなく長崎バイオパークの成り立ちを知る上でも重要な資料になりました。
次の記事からはそれぞれの園館のラッコ達について紹介していきます。