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【映画感想:ファーストキス】駈の15年間はきっと秋に成った
※本日公開の映画の感想です(ネタバレ配慮なし)
※おうちで焼いた美味しそうな餃子写真をお借りしました
生きてほしい。二度と会えなくても
坂元裕二脚本のラブストーリーなのだから、一筋縄ではいかないぞと臨戦態勢で向かったつもりだったけれど、駈が決意したシーンから涙腺が閉じることを忘れてしまった。
物語は夫である硯駈が命を落とす場面から始まる。映像は確定的なシーンの直前の直前まで映されると同時に、彼の声で、地球史視点で見た人の一生の短さが語られるというセンシティブなオープニングに、開始1分も経たずに心にしっかり擦り傷を負った。後で触れるが、この達観していそうな印象を持たせる台詞が、後半効いてくる。
予告を始め宣伝で流れている通り、この後、妻のカンナがとある偶然から過去にタイムスリップする術を手に入れ、夫があの日命を落とさなかった未来(現在)を手にするべく奔走する。その様は、脚本+台本の言葉遣いや場面のテンポ、松たか子のコメディエンヌな側面、そして丹精された画がすべて合わさって、”おかしみ”と”いとおしみ”をもって描かれる。残されたチャンスも減っていく中、カンナが行き着いたのは「自分と駈が結婚しなかった未来」の線を採用すること。
ここまでは事前に明かされているので、この先が醍醐味となる。(そしてその醍醐味で涙腺を壊した。)カンナのちょっとした不注意から、駈は相手が未来から来た人間だと気付く。そして、自分の死期を知る。最後に決意し、カンナに思いを伝える。2人がホテルのどこか、ソファのある空間で会話するだけなのではあるが、十数分(らしい。パンフレットP43参照)のそのシーンにすべてが詰まっていた。
恋愛感情と靴下の片方はいつかなくなります。
幾度ものタイムスリップの内の1つでカンナがそう語ったことを始め、彼女の中で「恋愛」と「結婚」に対する差分が明確なように思える。そんな人間が、離婚相手の靴下を履いている。片方はいつかなくなると言い捨てたそれを、サイズが合わなくて踵部分が足首に来てしまっていてもなお、両足に揃えている。その様から、彼女の15年間の末が悲しみに暮れていても、そこにまだ愛されている夫の姿を、駈は見出したのかもしれない。
だから、笑顔で生きてほしいと決意できた。
自分が知らない15年間を知っている、しかも妻になっている相手が、自分が死んだことで怒りを覚えている。死なせないために、互いが結婚を、恋をしない世界線を選ぼうとしている。きっと、今でも自分を愛してくれている彼女が。軽く言いのけたような表情をしながら、その結論に至るまでに、何度も何度もこの1日を繰り返している彼女が。どうしたら彼女を、救えるか。いや、そんな大それたことまでゆかずとも、同じく自分が去った世界でも、今より少しでも、笑顔で、しあわせに生きてもらえるか。
そう、考えを巡らせたのかもしれない。
この十数分は鑑賞者と大体同じ速さで時間が流れているのだと思うので、もちろん駈は20代のままだし、カンナも40代のままだ。なのに、会話の中で、二人の距離感はかつての親密な(あるいはつい最近の冷えた)状態に近づいていく。それは駈の言葉遣いや、カンナの声色などから感じられて、それに伴って私は『ハウルの動く城』のソフィーを脳裏に浮かべていた。
彼女は荒れ地の魔女に呪いをかけられて老婆となり、転がり込んだ魔法使いハウルの城で、彼と心を通わせていく。作中で、心と行動に伴って彼女の年齢が変わる様から、私は「自分で発する言葉が、自分に呪いをかけることがある」と心に刻んだことがある。自分なんて、と謙虚に添えた言葉のつもりが、思うように自分の力を発揮できない状況に落とし込んでしまうこともある。逆に、空回りでも励ます言葉が、力を与えることもある。
駈は、初手で自分の死期を突きつけられて、ましてや結婚生活が冷え切ったもので、いかに自分の行動が妻を苦しめていたかを伝えられ、未来の自分に代わってか思わず謝罪する。恋ときめく青年から、家庭内別居の中年男性へ。そんな彼をカンナは「謝らなくていい」と制す。
でも、謝るべき未来の自分は、もう謝れないのだ。お互いそんな機会も作れずに、二度と会えなくなった。謝れるように、否、ごめんよりありがとうを彼女に伝えられないか。
決意した彼は、プロポーズをした頃の彼に見えた。
そして、手紙も『ありがとう。どうか幸せに。』で綴じられる。冒頭、人の一生の短さがいかに一瞬であるかを語った彼が、たった(と言っていいのか)15年の彼女との結婚生活をやり直したいと思った事実に胸が熱くなった。
「ドラマみたい」とか「映画みたい」と思うようなことって、意外と人生においてちょこちょこ起きる気がするんです。(中略)もともと現実の世界にありふれたものなのかもしれない。
駈を演じる松村が語る言葉に、終盤、手紙に書き出しながら振り返る「カンナとの想い出」が過った。(勿論、自分の死期を知ってしまった15年前のあの瞬間もまた、そうである。)ありふれていて、見逃していて、視界の隅に頓挫しているものほど、掘り返したら大事なものなのかもしれない。そう、鑑賞者に問うようだった。
今回描かれたのは死で別たれた夫婦だったが、私自身に置き換えた時に、人と人とが摩擦を繰り返す日々で、「やり直したい」の一歩手前で一度立ち止まる勇気を得た気がする。
タイムスリップという大枠での時間移動の中で、季節もまた丁寧に描かれている。カンナと出逢ったあの夏を、そのまま駈の人生の夏とし、死を冬とするならば、彼が結婚生活15年間を豊かな秋に成せたかどうかは、明白だ。
シナリオブックが今週末に届くので、また変わる部分があるかも。とりあえず、映画館で作品を観て、そのままカフェに直行してパンフレットを読んだ記録として。
以下に、くだらないことを書き散らします。
タイムスリップする時の車のもや、ファンタジーとしてはよくある演出だけど、それはそれとして現実的に何か考えられないかなと思った。とすると、真冬の夜中から真夏の昼間に移されたので、水蒸気なのかな?とか。
「交際1か月でプロポーズする硯駈」を、”論理的思考を持ちながらも、恋愛においては本能的"とするか、"2009年8月1日に15年後の硯カンナと恋に落ちているから"とするか。(後者は死期を知った部分は含まず、かき氷の待ち列などで親交を深めたところを重視とする。)2009年8月1日に数時間~半日過ごしたことでカンナに惹かれるところを見ると前者も有力だし、タイムループして過去が上書きされることも考えると後者もあり得る…。プロポーズを承諾された駈の反応に確かに差異はあったけれど、前者の可能性を消せるほど決定的ではない気がする。
「硯駈が手紙を残した理由」を、カンナがまたタイムスリップする世界線に進むことを阻止するためか?(前項と絡めて考えていて、普通に遺された者に贈ったラブレターと思っても良い気がする)
パンフレットに綴じられているレシート、コロッケもドーナツも1個で…。2つ買っても片方が冷蔵庫の中でいつまでも冷やされて待っていたことが、何度かあったのだなと涙。カンナは靴下で、駈はコロッケだったのかも。
最後の最後、お昼食べて寝ちゃったカンナも、エアコンのリモコンの場所がすぐ分かるカンナも、代引きじゃない冷凍餃子を受け取るカンナも、今まで見ていたカンナではないことに少し淋しさ(という愛)。いや、同じ人間なのですけど…。
鹿ってなんだったんだ。
子供2人は親もいたので実在する人間の子供なのだと思うけど、確信を突く印象があったのでニアリーキューピッドとして見てる。(「不倫ですか?」も、子供が大人の薬指をそんなにしっかり見るかな…とか)
硯って丘と海があるよね、硯もカンナも削り取る道具だよね、ミルフィーユだね~、古代生物=化石が埋まっているのも地層という地球のミルフィーユだね~