感想

↑この記事を読んで思うことがあったので、書き散らします。
過去イチ益体も脈絡もない話で、それこそ誰も得しません。だから何? って話です。読まなくていいです。


確かに、いいこと書いてある。
物書きとして、ためになることが。
いちいちもっともである。
自分も次に何か(有益なものを)書くときに参考にしたい。
フォローもしたし、すきも押した。
読者は楽もしたいし得もしたい、ごもっともです。
審査した作品に真摯に向き合う姿勢は素晴らしいと思います。
でも、疲れませんか? 書く(読む)仕事って大変そう……

私はnoteの記事を誰かに読まれたいと思って書いているわけではないし、コンテストに応募もしていないから、全く関係のない、蚊帳の外の人間だ。フォロー外から失礼しますというやつだ。
たまたま目に付いたから読んでみた。それだけ。

その結果「いいことかいてあるけど、入選目指してない人間には関係ない話だな」と思った。

ただ、楽したい得したいと思っている読者だけではないことを主張したくなって、この記事を書いている。
別に審査員の方をディスるつもりもないので、コメントではなく、わざわざ自分のnoteに書いている(タイトルもわざと曖昧なものにしている)。
これは映画の感想みたいなものである。

私がnoteを読む基準なんて、特にない。
なんかきれいな絵や写真が付いているとか、なんかきれいなタイトルが付いているとか、なんとなくきれいな文章が読めたらそれでいい。

純文学っぽい匂いがしたり、昭和の懐かしい香りがしたり、行間や全体の雰囲気から伝わる何かを摂取したくて眺めるだけだ。
暇つぶしにパラパラ眺める雑誌みたいなものである。見たくない醜悪なものを避け、興味のあるものだけを眺められるところが(ニュースアプリと違って)気にいっている。
ただの思い出話だったり、推しについて語るだけだったり、取説や、自社製品の宣伝だけだったりしても、それはそれで味があっていい。
言うならば、「味がある」ということ自体に「得」を感じているのかもしれないが……。

なんとなく興味があるものの周辺を適当にうろついているだけだから、別に利益がなくてもいい。
むしろ、noteには利害を持ち込みたくはない(自分なりの棲み分け)。

それでもいいよね。
noteをやってる全員が全員、得をしたいわけでも、有料noteで儲けたいわけでもない。
だから私は誰得?なものも書くし、読むし、他の人にも書き続けてほしい。
それだけ言いたかった(書きたかった)。

そもそもライターと小説家は別の生き物である。
同じ土俵に乗ってはいけない。

ライターは小説家のような書き方をしてはならないし、小説家がライターになるのは(筆力は別として、その性質上)難しい。
ライターになるには、小説家的な性質は隠しておかなければならない。
小説家志望であるために、(自我の強そうな性質を敬遠されて)ライター募集の選考に落ちることもある世の中だ。
むしろ小説家になりたい人間は、ライター業には関わらないほうかいいと思う。

ちなみに、今日の自分の文体が汚いことは自覚しています。

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