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カーテンコールは鳴り止まない



演劇の公演は、一期一会だ。

学生時代に裏方で関わっていた舞台で
総合監督がカーテンが開く前に
士気を上げるために仰った言葉が
今も核心をついて離れない。

同じ舞台、同じ瞬間は二度と現れないんだ、
だから今この時を一生懸命、演ろう。

ロングランで
何度もやっている公演で、
キャストもスタッフも誰一人変わらず、
例えその箱の中にいる全てが同じ様に見えても。

全員同じお客様で迎える公演は2度とない。

舞台とはそういうものだ。
舞台は生きている。

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〝そういうものだ〟と知っていたのに

私は今また強烈に後悔している。

三浦春馬ファン界隈には激震が走り、
すんなりと喜んだミュージカルファンよりも
やはり複雑な想いを抱えた人たちが
多かったのではないか。

春馬くんを想う人たちにとっては
やはり、とてつもなく重要事項だ。

昨晩からまたyoutubeで初演、再演の際の
公開リハやゲネ、昨年公開された愛のこもった動画を観漁ってしまった。

幾度めかの沼衝動。

あぁ、2019年のあの公演がやはり観たかった。
観たかったんだ。
パズルの様にネット上に散らばる動画を脳内で全編編集して観た気になっているが
劇場には行けていない。

幼き子どもたちを理由に、
今はそういう場に行ける状態ではないと決めつけてチケットを取らなかった。
(頑張っても取れなかった可能性の方が高い)


冬のテレビで観た輝かしい姿に、
ただならぬ覚悟を感じ、
初演よりも彼のスキルは格段に上がっていると感じた。


あの時にどうにかして行かなかったのか。
巡る想いはそればかり。

過去の後悔は色濃く残るものだ。


〝あの時〟観たかった景色が
もう観ることが叶わないという事実と
それでも物語は続いていくという現実。

その狭間で今日も生きている。

人が心を揺さぶられる瞬間は
生きているうちに何度あるんだろう。

一人の人にこんなにも
見せてくれた表情に魅了され、
泣いたり笑ったり
ふとした瞬間に癒されたり
彼の活躍に自分も頑張ろうと思わされたり
哲学的な思考に刺激を受けたり
見ているだけで幸せだったり、
推しという存在は素晴らしい。

そんな奇跡のような彩をくれた彼が

もういない。

あるのは、それだけなんだ。


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三浦春馬くんが出演したミュージカルの中でも代表作といっても過言ではない
【Kinky boots】

彼はこの物語の中で
ドラァグクイーンのローラを演じた。


2015年までの、いわゆる世間が見るイケメン俳優枠(決してそうは思わないが)の姿からは
想像も出来ない扮装の出立ちで驚いたが、ローラに魅了されるのまでに時間はかからなかった。

彼がキンキーブーツを鑑賞した時に雷に打たれたような衝撃があったと語る様に、
観た者はみんな心を奪われたのではないか。

とにかく春馬ローラは美しく、強かった。


キンキーブーツ。
ミュージカルとなって登場した2012年10月のシカゴ公演開幕時の批評は賛否両論。

2013年のブロードウェイと翌年の全米ツアーでもキャストは異なり(春馬くん憧れのビリー・ポーターはブロードウェイオリジナルキャスト)

そして昨年松竹が配給したミュージカルが映画化された際のローラはマット・ヘンリー。

この時点で3人のローラがいる。

海を渡りアジアへも広がりを見せたのちに
2016年、日本での東京、大阪での上演となる。

youtubeでは世界各地のローラの姿を拝見できる。同じローラでも表現の仕方、歌唱力、キャラクターの立て方は各地で違う事が分かる。

きっと、春馬くんが再再演をしていても
2022年はまた別のローラを魅せてくれていたであろうから、そこには永遠に期待しかないけれど
日本に新たなローラが生まれる事を
世界は待っているのかもしれない。

それほどキンキーファミリーは世界中にいる。



現実的な話、来年度の計画は
同じ社会の人間として非常に重要であり
ネットで批判的なコメントがあれど
キャパに対するチケットが売れれば問題なく
春馬くんが愛した産業を続ける事が出来る。

ただ引き続き間引き席や、興行に見合わない収益ならば彼が愛したキンキーブーツという作品はおろかミュージカルや舞台芸術というナマモノが
日本で上演される事は本当に途絶えていってしまうかもしれない。

私はローラ交代よりもそちらを危惧している。
(そう思う事で冷静になろうとしている)

行ける事なら、東京公演に行きたいなと今は思う。(明日はどうなるか分からない)


日々の余裕のなさに拍車がかかる
11月から12月、年末へ。

空を眺めながら

心穏やかに過ごしていてほしい
それだけを想う

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