梅雨のあとさき

かあちゃん。今日、スーパーに行ったら大きな、30センチ近くある鰹の切り身がとっても安く売っていたんだよ。

「今年の鰹は脂がのっていて美味しいよ。大漁だったからこの値段!    今夜はこれで美味しいご飯を食べて」と店員さんが声をあげていた。

大漁と聞いて久しぶりに金子みすゞさんの詩を思い出した。

「浜は祭りのようだけど 海の中では何万の鰮のとむらいをするだろう」

買ってきた鰹を切れない包丁で切りながら、みすゞさんはどんな思いでこの詩を書いたのだろうと想像してみた。きっと何万もの鰮の群れと海流を一緒に泳いでいたのだろう。網にかかるなんて思いもせずに。

僕は覚えている。母ちゃんが一人でいるとき、みすゞさんの他の詩を読んでいたときのことを。「わたしが さびしいときは お友達は笑うの わたしがさびしいときは 仏様もさびしいの」。そうして独り言のように言っていた。

「さびしいかい? さびしかないや」

認知症が進み始めた頃、職場にいた僕の携帯に一日に何度も電話が鳴った。授業や会議をしている間、携帯をみることはできなかったけど、部屋に戻って携帯をみるとおびただしい数の履歴。スクロールを繰り返しても履歴の数は終わらなかった。留守番電話に切り替わっては切って、またかけ直す....。僕がかけても耳の聞こえない母ちゃんは電話を受け取れなかった。

あのダイヤルを何度押し続けたのだろう。そして留守番電話に切り替わったときになんどため息をついたのだろう。いや、ひょっとしたら叫んだのかもしれない。

僕は悲しいことにその時は「うるさい」としか思わなかった。授業に追われ、国際会議に追われ、自分の責務を全うするだけで精一杯だと思っていた。

さみしかったろな、さみしかったろな。自分が自分でなくなるのが分かりながら電話をかけている自分が惨めだったろな。ごめんよ。ごめんよ。さみしい想いをさせて。

ずっと後になって、母ちゃんはふらふらとさまようになっては転んで、ベッドから出られなくなった。それでもベッドの中で壁に足をかけては歩いてどこかに行こうとしていた。家に帰ると枕のところに足があって、顔はベッドの柵から落ちそうだった。

「とんこだよ。帰ったよ」  声をかけても、

「おかあさん、おかあさん」というばかり。もう僕の名前を呼ばない。

「母ちゃん、原爆が落ちる前、母ちゃん、お母さんにいじめられていた、いつも怒られて、身体をつねられていたって言ってたよね、どのお母さんを呼んでいるの?」

それでも「おかあさん、おかあさん」と繰り返すばかり。僕には虚ろな目を向けたまま。

僕の名前も、口もきかなくなった母ちゃん。でも、最後の僕の誕生日に蝋燭に火をつけたケーキを前に僕がHappy Birhtdayを歌ったら、2番から一緒に歌ってくれたね。「母ちゃん、とんこのこと怒っている?」と聞いたら首を横に振った。僕は泣きそうだった。

それから3週間後に天国に旅立った母ちゃん。                 もう「さびしいかい さびしかないや」って言っていないよね。

今日は7月18日。あの日から四年たった。あの日は雨だったね。今年は早く梅雨が明けたよ。母ちゃん、ありがとう。大好きだよ。



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