果たして俺は楽譜を読めているのだろうか? という話(・_・)ゞ
先だって「ピアノが弾けるということ」について長い雑文を書いたので、ことのついでに、積年の疑問に関して自分の整理のために書き残しておこう。
それは、「俺は楽譜が読めているのだろうか」という問題である。
先日の記事に書いた『ラ・カンパネラ』の徳永さんは、楽譜が読めないということだった。
YouTubeの動画を教材にして練習したということだが、どんな動画かというと、どの音の時にピアノのどの鍵を押さえるのかを図示したものを、曲の進行に従ってスクロールしていく、というものだった。
それにしても、「楽譜が読めない」人が楽譜を読めないのは、なぜなのだろうか(トートロジー丸出し)。
というか――
順序立てて書くので、途中で早合点しないでほしい。
俺には、「楽譜が読めない」という人のことが、理解できない。大多数の人は、読めないはずがないと思う。
ただし、俺の今の状態を「楽譜が読める」と称してよいのであれば、である。
俺は、自分の今の状態を「楽譜が読める」と称してよいのかどうか、分からないでいる。
俺が楽譜を読む手順は、以下のとおりだ。
まず、音符を見る。ト音記号の譜面なら、下第一線のドから第四間のミまでは、見た瞬間に何の音かを自信を持って即答できる。
下第二間から下と、第五線から上は、「えーっと」と、ちょっと考えなくてはならない。数えなくてはならない。「ここがミだから、上へ行ってファソラ……あ、シか」といった具合に手繰っていく。
ヘ音記号の譜面なら、もっと心もとなくなる。見た瞬間に自信を持って音名を確言できるのは、第二間と第三線と第三間ぐらいのもので、それ以外は「ドシラソ……」みたいに手繰っていかないと分からない。
ただ、手繰っていきさえすれば、音名はすべて分かる。
音名が分かれば、その音がピアノのどの鍵に該当するのかは分かる。分かれば、その鍵を押すことができる。
これは、「楽譜が読めている」のだろうか?
俺の考えでは、この一連の行為を「楽譜が読めている」と言えるのなら、世の中に「楽譜が読めない」人は、ほぼ存在しないのではないか、と思うのである。
なぜなら、どれかひとつの音符の音名さえ覚えれば、すべての音名を手繰っていけるはずだからだ。ドでもミでもソでも何でもいい、ひとつ確定できれば、後はすべて手繰れる。よもや、ただひとつの音名とその音の五線譜上での位置をすら覚えられない、などという人は、ほぼ存在しないだろう。
そして、音と鍵とは一対一対応なのだから、対応する鍵を選択することもまた、誰にだって可能だ。これも、最低どれかひとつの音と鍵の組み合わせさえ覚えておけば、すべて手繰っていけるはずだ。
つまり、俺が「楽譜が読めている」のであれば、誰にでも楽譜は読める。読めなくてはおかしい。
読むのにどれだけ時間がかかるかは人によりけりだが、その時間の長短は「量」の差であって本質的な「質」の差ではない。
ひと目見て確言できる音がドだけで、他はすべてドから手繰っていかなくてはならない人であっても、それは「読めない」のではなく、「読めるけどムチャクチャ遅い」だけなのである。
(とりあえず音階の話だけに限っている。音符の長さやリズムの話もあって、こっちのほうが複雑かも知れないけど、本質的には同じだと思っているので)
いやまあこの方法で楽譜読んでピアノ弾くより、スクロール見て覚えたほうが早いとは思うんだけどさ(・_・)ゞ
しかし、俺が考える「楽譜が読める」状態は、こうじゃない。
五線譜上の音符を見たら、それをそのまま、どの鍵を押すのかに変換できる、というのが、俺の考える「楽譜が読める」だ。脳内で(たいていは口に出して)音名を確認する作業を経由することなく。
だから、俺の基準で言えば、俺は「楽譜が読めない」。長年ずっと、「楽譜が読めるようになりたい」と思っているのである。
プロの音楽家の皆さんは、どうやって「楽譜を読んで」いるのだろうか。どなたか教えてください。
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