『人形つかい』みたいな世の中になったらイヤだなあ(._.)
本記事は、新型コロナウイルスについてごく一般的な知識しか持たない素人が感じたことをだらだらと書き連ねたものです。念のため。
俺はマスクを着用していない。世の中で不足していて購入できないというのもあるが、現時点では必要を感じていないからだ。
あれは、風邪のような症状がある人が咳やくしゃみによって発生する飛沫をガードすることで他者への感染を防ぐ、という点では意味があるが、受動的な感染防止にはほとんど役に立たないと聞く。
マスクが不足しているのであれば、医療関係に従事する人だとか、接客業に従事する人だとか、そういう人たちが優先的に使用するべきで、俺のような「今のところ健康な一般人」の優先順位は著しく低いから、乏しい在庫を買い漁って着用する必要はない。
なので、最近の通勤電車などで80%ぐらいの人がマスクをしているのを見ると、まあ一部は風邪の症状が出ている人や花粉症の人もいるのだろうが、大半は「なんかよー知らんけどとりあえずマスクしとく」という程度の人なのではないか、と疑っている。辛辣に言えば「自分の頭で考えない人」という表現でもよかろう。
俺は今のところ熱もないし咳も出ないし、何かが引っ掛かって咳き込む時やくしゃみが出る時はいわゆる「咳エチケット」を実施している。手洗いも、まあ完璧ではないだろうが励行している。
だからこれ以上俺には為すべきことはないと思っていたのだが、3月22日のNHKスペシャルを見て、「そうも言ってられないかもなあ」と思いはじめた。
これは非常に見るべき点の多い番組だった。新コロ対策室の責任者という、おそらく今の日本で最も多忙かつ最も重責を担っている人が出演していた。一分一秒でも惜しいだろうに、貴重な時間を割いてテレビに出演したのである。その片言隻句すらも無駄に聞くわけにはいくまい。
その中で俺が深い関心を持たされたのが、「マイクロ飛沫」である。
新コロ感染症は、「接触感染」と「飛沫感染」で感染していくものだと考えられている。俺のような「今のところ健康な一般人」は、前者は手洗いの徹底、後者は専門家の言うところの「3条件」を避けることで、ほぼ防御できるものと期待される。
3条件というのは「密閉・密集・密接」で、換気の悪い閉鎖空間で・大勢の人間が集まり・近接した距離で会話や発声を行う、の三つの条件が揃うと感染が起きやすいという知見である。
日本で満員電車での通勤がほとんど回避されていないのに爆発的感染に至っていないのは、電車の中ではみんなあまり喋らなくて「密接」が発生しにくいからではないか、と言われている。なるほど、理屈に合っている。
ところが今回の新コロ、どうやら「マイクロ飛沫」でも感染する、と仮定しないと説明がつかない状況が確認されるらしい。
マイクロ飛沫というのはごくごく小さな飛沫である。普通の咳やくしゃみの際に発生する飛沫はごく短時間で落下してしまうが、マイクロ飛沫は軽いので、20分経過してもまだそのへんでふわふわ漂っているのだそうだ。
そしてこのマイクロ飛沫は、咳やくしゃみだけではなく、普通に発声するだけでも発生する(駄洒落ではない)。
このマイクロ飛沫がどの程度の感染力を有しているのかによるが、無視できない感染力があるなら、3条件を回避してもかなりの危険度が残ることになるのではないだろうか。
発生してから20分も漂っているのであれば、さほど密集していない状態で、かつ発生時には近接していなかった人にも、害が及ぶ可能性がある。
また、咳やくしゃみだけでなく普通に発声するだけで発生するなら、無自覚で無症状の感染者から感染する可能性がある。風邪の症状がある人はマスクを着用し、症状がなくても咳エチケットを徹底していれば、マイクロ飛沫の発散をほぼ防止できるかもしれないが、ただ普通に喋るだけでも発生するなら、無症状の人でも油断できない――無症状の人自身も、無症状の人と接する人も、両方とも。
もしかしたら俺だって実は既に無症状感染者で、一昨日の朝、クリーニング屋さんのカウンター越しに店長さんを感染させてしまったかもしれないのである(その逆もあり得る)。
これを防ぐには、症状があろうがなかろうが全員が無条件にマスクを着用するしかないのではないか?
あるいは、複数の人が同席している場所では相互の距離の大小に関わらずいっさい発声しないとか?
ともかく、このマイクロ飛沫に関するさらに詳しい知見がほしいところだ。
感染力はどの程度のものなのか? その感染力は、症状がある感染者と無症状感染者とでは違いがあるのか?
発声しなければ発生しないものなのか? 普通の鼻呼吸では? 口呼吸では? 深呼吸は? あくびやしゃっくりは?
また、NHKスペシャルでは、換気をすればマイクロ飛沫が吹き飛ばされることが実験で明らかにされていた。ありがたい情報だが、どの程度の換気が必要なのだろうか? たとえば、京都地下鉄では新コロ対策として一部の窓を数センチ開けているのだが、あれで足りるのだろうか?
これらが明らかになり、無症状感染者から感染する蓋然性は非常に低いとか、マイクロ飛沫は発声しない限り発生しないとか、ごく軽微な換気や空気清浄機の使用などで簡単に除去できるとか、そういう結論ならさほど恐れることはない。
しかしそうでなければ、全員マスク着用義務化が最も簡単で効果的なソリューションではないだろうか?
症状がないからといって感染していないとは確言できない。自分もそうかもしれないし周囲もそうかもしれない。実際、感染者の80%は軽症以下だと聞く。
今日は無感染者だったとしても、明日は無症状感染者になっているかもしれないし、明後日はそれを周囲に感染させているかもしれない。そして、自分も周囲も、症状がないままなら、自分が感染者だという自覚を持つことはない。
その連鎖が、いつかどこかで高齢者や基礎疾患を持つ人に行き当たるかもしれないのだ。
冒頭に書いたように、いまマスクをしている人の大部分は深く考えもせず機械的に着用しているだけだと思う。テレビで「●●が◆◆に効く!」とやっているのを見れば翌朝さっそく店に突撃して●●を買い求める手合いである。いや、もっと身近に、最近トイレットペーパーを買い占めに走ったような手合いであると言ったほうがよいだろうか。
しかし実は、一周回って、機械的にマスク着用を励行することこそが、感染拡大を防ぐ最も効果的な行為だったのかもしれない。何も考えずにとりあえずマスクをしている人たちを小馬鹿にしていた俺のほうが、実は馬鹿者だったのかもしれないのである。
悲しい話である。
ともかく、さらなる分析や検討が切実に待たれる。そして、叶うものなら、マスクなど着用しなくても心配のないところにまで終息してほしいものである。
でないと、世の中の常識がいろいろと変化を来してしまうかもしれない。
たとえば、ハインラインの『人形つかい』で全国民が裸で過ごさねばならなかった(上半身だけだったかな? いま手もとに書籍がないので分からん)みたいに、ホンマに「マスク着用法」てなものが制定される破目になるとか。
そんでもって、マスクしてない人は反社会分子みたいに扱われるとか(・_・)ゞ
あと、「隠されたもの」は見たくなるのが人情である。そして、「見たいのに見えないもの」にはエロチシズムが発生するのがお約束である。マスク着用が恒久的に義務づけられたら、顔の下半分を衆目に晒すことはとんでもない破廉恥な行為とされるようになり、それを他人、特に異性(同性の場合もあろうが省略)に見せることは性的関係に至ることを了承する意思表示だと看做されるようになるのではないだろうか(・_・)ゞ
それはそれでフィクションとしてはなかなか面白そうであるが、できればそんな世の中にはならないでほしいと思うのである。
あと、どうでもいいんだけど、『人形つかい』の表紙って今こんなのになってるのね。
これじゃ内容ぜんぜん分からんような気がするんだけど(・_・)ゞ
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