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ついにランディング。カナダ永住権を確定させた当時の日記。

(2019年9月17日当時の日記)

カナダへの便に乗るため成田空港のチェックインカウンターに行くと、長蛇の列がありました。

「今現在、コンピューターがシャットダウンしていまして手作業でチェックイン手続きをしています」とのこと。

2時間前に着いていて本当に良かったです。

ようやく私たち家族の番になるころにはコンピューターが元通りになったようで、チェックインがスムーズになってきました。

こわれもの注意のシールを張ってもらい、チケット発券という時になって、

「あれ?お子さんお二人のeTA(=電子渡航認証)が登録されていません」って……。

私はパスポートを更新していたからその際にeTAをオンラインで申請してすぐ発行してもらえました。eTAは最長5年、パスポートの有効期限に合わせて有効期限が設定されているため、2016年7月に渡加した際にeTAをとってまだ3年ですから妻と子ども達の有効期限は大丈夫だと思っていたのでした。

なぜ、子ども達だけeTAが登録されていないのだろう?

そもそも、CoPRを持っているんだからeTAが必要ないのでは?

チェックインカウンターの日本人スタッフにIRCCのホームページの画面を見せても上司と相談するばかりでやがて
「eTAの番号を入力しないとチケットが発券できないのですから、お子さんのeTAをオンラインで登録してください」ということになったのでした。

ああ、この便に乗れなかったら今日、どこに泊まったらよいのだろう。

どれくらい高いチケット代を払ってウィニペグまでのフライトを取り直さないといけないのか?

そんなことが頭によぎります。

そこでまずチェックインカウンターの担当に「子ども達のeTAをとるにはどれくらい時間がかかるのか」を聞いてみました。

「うまくいけば申請後数分で登録完了となります」

一度預けた荷物をまたカートに乗せ、長蛇の列から離れて、近くのベンチで登録作業に入りました。ただでさえコンピューターのシャットダウンでチェックイン作業がおくれていたにも関わらず、二人分のeTAのオンライン申請をしなければならない時間に追われ、さらにすぐに登録と返信してもらえるのかという不安で、手続き中は頭から湯気が出そうでした。

eTAって5分もかからず登録完了の返信メールがくるのですね。

7ドルをクレジットカードでオンライン支払を済ませ、娘の分の登録が終わった時点で、もうチェックインカウンターは最終コールがかかっていました。

さらに頭から湯気をだしながら息子の分を申請し終わってチェックインカウンターに再度向かい返信を待ったのですがまだメールがきません。

今回は長蛇の列の後ろに並ばされることなく、出発時間が近いため優先的にチェックインをさせてもらいました。チェックインカウンターでまた8個の荷物を預けて、チケット発券の時になってようやく登録完了の返信がきました。メールが来た時と同じくして「あ、本当ですね、今登録がありました」とチェックインカウンター内のコンピューターで確認をしてくれました。パスポートに紐づけられるeTAはパスポートをチェックインカウンターで調べるとeTAが登録されているかいないかがわかるのですね。

なぜ、子ども達のeTAカードが2016年の7月に渡加してその後パスポートを更新していないのに有効期限が切れていたのか不思議に思っていたのですが、どうやら2016年夏の段階ではまだeTAが義務化されていなかったから登録しなかったのではないかとわかりました。学生ビザの申請など渡加の手続きは当時、グローバルマインドさんにお願いしていたため、大人だけeTAが登録されていたけど、子どもはビジタービザだからとらなかったのかもしれません。人任せにしてしまうといずれ自分で確認できなくなることがあるから注意が必要だと反省です。

チェックインにギリギリ間に合った割には、飛行機の搭乗時間が遅れていて、セキュリティーゲートをくぐったあとは比較的ゆっくり過ごすことができました。

子ども達は空港内の売店で買ったおにぎりを頬張って日本最後の晩餐?をしたのち、乗り換え地であるカルガリーに向けてのフライトに乗りました。

10時間以上経ってようやくカルガリーに着き、キオスク端末で税関申告手続きを済ませてから案内に従い移民局の事務所に向かいます。

幸い待っている人が少なく、番号札を手にしたあとすぐに呼ばれることになりました。

CoPRを持っているのでランディングをしたいと説明すると、家族分のパスポートとCoPRを提出すると(そういえば残高証明書は用意していたけど求められませんでした)、最近犯罪を犯していないか、この書類が確かなものかを確認&宣誓のサインをしたあとは待合ロビーで待っているだけ。

待っている間、移民局のスタッフはバンバンバン!とスタンプを押していきます。景気よく3個も家族ごとのCoPRにスタンプを押してくれて、30分後には呼ばれました。

「Congratulations!」

イケメンのスタッフがにこやかにCoPRとパスポートを返してくれました。そして、一枚の書類にはこの後のガイダンスが書いてあります。例えばドライバーズライセンス、メディカルカバレージ、SIN番号などの変更手続きが必要だということをちょこっと説明してくれて、再度「Congratulations」と言っておしまいでした。

無事に済んで隣をみてみると、なんと妻が感涙しています。

3年間、この時を待っていました。

娘は「ママ、泣いているの」と心配しています。

永住権申請者として妻は労働ビザで頑張ってくれました。日常生活で悔し涙や悲し涙で泣いた日も少なくはありません。それが永住権が無事にとれたことで嬉し涙に転化したのです。

私は
「この涙の意味は大人になった時にもっとわかると思うよ」と娘に伝えました。

いずれ子ども達も辛い涙はあろうけど、嬉し涙に変わる瞬間を味わってもらいたいと思います。

移民局オフィスのカウンターから待合ロビーに戻るとインド系の女性たちが心配してくれました。

「どうしたの?何があったの?」

妻が泣いていたからカナダ入国拒否を命じられたのかと思ったのでしょう。

「私たちはランディングを終え、ついにPRのステイタスになったのです」

私の説明後に、彼女たちの顔がパッと華やぎ

「Congratulations!」とここでも言われて妻はまた号泣。

おそらく一生忘れないシーンになることでしょう。

私もつられ涙をしましたが、まだ緊張は続いていまして、特に成田で載せた荷物が無事にウィニペグまで届くか、さらには税関で何か言われるのではないかと心配していました。(ウィニペグで税関を再び通ることはありませんでしたが)

定刻でウィニペグに着き、バゲージクレーム(預け荷物ピックアップ場所)に直行し、ベルトコンベアーからはスーツケースが流れてきます。私たちは8つも荷物があるからスタンバっていたのですが、スーツケース2つしか出てきません。業務用ラップでぐるぐる巻きにした荷物はどこにいったのでしょう?

待っている間、赤いスーツケースをよく見てみると「中をチェックするため開けたよ」というようなシールが貼ってありました。

中を開けて確認してみると荒らされている形跡はなし。

ただ「何もアイテムは取り除いていないよ」との欄にチェックマークがついた税関からの手紙が入っていました。怪しいものは何もいれていませんでしたが、もしかしたら梅干しの真空パックや味噌の真空パックあたりが怪しいと思われたかもしれません。特に荷物で追加料金や関税がかかることがなくて良かったです。

さらに10分近く経って荷物がベルトコンベアに流れなくなっても残りの荷物が出てきません。どうしたことだろうと周りを見回してみると、

6つの荷物ともいつの間にか少し離れた「オーバーサイズ・バゲージ」のところに置いてあるではありませんか!最初に置かれていたのか、途中で置かれたのかわかりませんが、ベルトコンベアからちょっと離れたところにこの場所があるため、気づきませんでした。盗まれていなくて、しかも壊れていなくて良かったです。(オーバーサイズにならないよう3辺を既定の158センチ以内にして調整しておいたのにオーバーサイズの場所においてあるなんて……)

私だけバスで自宅に帰り、車を乗って空港まで戻り、荷物を載せて無事に帰ることができましたよ。長い旅がようやく終わりました。

その後、1週間近く時差ボケに悩まされ、SIN番号やマニトバヘルスの手続きに悩まされ、同時に職探しもしています。

子ども達はカナダに戻ってきた翌日から学校に行ったのですが、息子の方がダウンしてしまってしばらく学校を休みましたよ。

でも、やり切った感があります。

無事にランディングできたこともそうですが、一時帰国できて本当に幸せでした。

これからが新たなスタートです。

永住権がとれたからこそ有利になること(妻が通う予定の語学学校の授業料が無料になるなど)をフルに享受してさらにウィニペグ生活を楽しんでいきたいと思います。

今回までで、永住権獲得までの道のりの実体験編は終わりまして、次回は海外移住のメリット・デメリット、他、まとめに入っていきます。

このブログももうすぐ終わりますがこれらの記事があなたのお役に立てれば幸いです。

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