「量り売り」のお店がもっと増えるといいなぁ。
"HSP勢"で"内向型人間"のオタクが贈る「オタ語り」。
今回は、「量り売り」というテーマについて。
当記事も約4,500文字となっておりますので、サクッと読みたい方はご注意ください。
「規格品」ばかりの現代
海外では割とポピュラーな、「量り売り」のシステム。
かつての日本でも、「スーパーマーケット」ができる前、八百屋さんやお魚屋さんで食品を買っていた頃は、そうした購入方法は珍しくなかったと思います。
しかし、量販店による販売方法の影響で、今ではそうした個人商店で品物を購入する方は減ってしまいました。
あらかじめ「規格」が決まっているものは、大量生産しやすく、価格が手ごろになるため、より安いものを求める消費者は、次第にスーパーマーケットのようなお店で品物を買い求めるようになります。
こうした傾向は食品だけでなく、身の回りの様々な商品が、そうした一定の規格品として販売されるようになり、いつしか「量り売り」のお店は日本ではあまり見かけなくなってしまいました。
近年は、都内などでもエシカルでエコな消費活動を後押しすべく、そうした量り売りのお店が開業しているようですが、まだまだ私の住んでいる地域には波及していません…
「たくさん食べる人のため」のお店が多いけれど…
さて、なぜ私が「量り売り」のお店が増えてほしいかと考えているかといいますと。
ずばり私は、「少食」なのでありまして、例えば外食などをしようと思ったときに、通常のサイズのメニューで出されるものが多すぎて食べられなかったりするのです。
今でこそ、タッパーなどで余った食べ物をテイクアウトできるお店は増えてはいますが、それでもすべてのお店が対応しているわけではない。
そして、お店で外食するときに「あるある」なのが、メニューの写真だと、どれくらいの量の料理が実際に出てくるのかわかりづらい、ということ。
もし、そうした外食メニューが「量り売り」のように、例えば50gで100円、などというふうに、少食の人が食べるサイズを指定出来たら嬉しいと思うのです。
※Coco壱番屋なんかは、ライスの量を指定できますけど、カレーのルーにも適用してほしいし、そういうシステムが他のお店にも波及してくれるとありがたい…!
日本の場合、「メガ盛り」とか「食べ放題」のように、「たくさん食べる人たち」のサービスは多いけれど、「少量でいいから良いものを食べたい」という人のためのサービスは少ない。
旅行で旅館とかに行っても、だいたい食事で出てくるお料理は食べきれないので、基本的にはビジネスホテルのようなところに泊まって、夕食はカフェなどで食べることが多い私です。
「大量生産・大量消費」の末路
高度経済成長期に、日本はすっかり「大量生産・大量消費型」の社会になってしまい、モノは確かに豊かにはなりましたが、まだ使えるものをすぐに捨ててしまったり、スーパーの規格品のように、包装が過剰だったりして資源をかなり無駄にしてしまっています。
「たくさん注文すれば、安くなる」というシステムで、結局モノを余計に買ってしまっては、捨ててしまったという経験をされた方は多いとおもいます。
日本は「使い捨てカイロ」や「ビニール傘」など、便利ではありますが、一度使ったきりで後のことはあまり考えられていない商品が多くあります。
「モノを大事にしない社会」は、結局のところ、「人も大事にしない社会」になってしまっていると思うのです。
「量り売り」の形態が増えていくことは、「モノを必要なものだけ買う」ということに繋がりますし、何より、「ひとりひとり、みな違っている」ということを意識できる機会にもなると思います。
日本社会はどうしても、「皆と同じである」ことを要求される場面が多いですが、やっぱり、人によって歩くスピードだって違うし、食事の量だって違います。
効率やコスパばかりを考えて、大量生産・大量消費を続けてきた結果として、地球では様々な問題が起こっている。
干ばつや山火事が頻発し、野生動物が都市に出没したり、気候が大規模に変動している。
原発だって、「トイレの無いマンション」と言われているように、目先のエネルギーを確保することばかりで、使用済みの放射性廃棄物では未だに処理施設の詳細は決まらない。
短期的な利益だけでなく、「これからのこと」を考える余裕を持っていたいと思うのです。
「自分で選びとる」社会に
普段スーパーなどで買い物をしていると、あらかじめ決められた数量のパックを買うことに慣れてしまっていることに気づきます。
しかし「量り売り」のお店で何かを購入しようと思うと、そんな状況に慣れてしまっていることで「戸惑う」ことがあります。
例えば、お味噌やお醤油を買うにしても、パッケージで買っていた時は、何も考えずに1本買っていたところです。
しかし、「量り売りの店」では、すべて自分が数量を決めることになるので、「何g必要か」ということが、意外とわかっていなかったりするのです。
実際に購入しようとすると、最初のうちは「これは多いのか少ないのか」と戸惑ってしまうことがあります。
便利さに慣れきって、「何も考えず」パッケージを購入していた時と比べて、「量り売り」では、すべてを自分の意思で決定しなければいけません。
それを「面倒くさい」と現代人は思うかもしれません。
でも、私は「自分の意思で決めるということ」に意味があると思うのです。
大事なことは、すべて「国がやってくれる」「大企業に任せておけばいい」「自治体が面倒をみてくれる」。
そういう、"お任せ民主主義"の気質が強い日本人ですが。
もっと主体性をもって、「自分が必要なものだけを、自分の意思で買う」という購買行動をすることが、結果的に、「社会において自己決定権を行使する」ということに繋がっていく気がするのです。
「量りマスター」に、僕はなる!
これといって取り柄がないと感じていた"HSP気質"で"内向型人間"の私ですが、最近、この繊細な感覚は、「普通の人が気づかないことに気づける」という長所を見出しつつあります。
例えば、ガス漏れ検知器がなる前に、変なにおいに気づいたり(カナリアか?)、電車の中で、誰かが落とし物をしたのに気づくことができたり。(私は車内でスマホをいじらない人なので)
そんな自分が、最近気づいた長所は、「空間認識力」が高いのかもしれないということ。
たとえば立体的なものの質量を、だいたい感覚で掴むことができるので、料理をするときとかに、材料を毎回量りにかけなくても良かったりして、結構日常生活にも応用できます。
「量り売り」という形態が社会にもっと広がれば、消費者の「測る」ということへの感度も上がっていき、食品ロスを減らしたり、自炊が楽しくなったりすることにもつながるのではないでしょうか。
便利な世の中に慣れきってしまうと、自分で工夫することをしなくなってしまいます。
スマホの変換機能に頼りすぎて、漢字が書けなくなってしまったという経験をお持ちの方もいるでしょう。
パソコンで絵を描くことに慣れすぎて、アナログで久々に絵を描いたら腕が落ちていて愕然とした、なんてことも。
パッケージされたものを何となく買うより、「量る」というひと手間を加えることで、そこから新しい創意工夫が生活の中に生まれてくるかもしれません。
「DIY先進国」海外に学ぶ知恵。
日本では、「既製品」を購入する人が多く、なかなか「DIY」を趣味にする方は多くありません。
しかし、海外では「家」すらも自分で手掛ける「セルフビルド」をする方が多かったりします。
住宅価格が高騰している昨今、こうしたセルフビルドが改めて注目されており、新築の「既製品住宅」にはプレミア価格が上乗せされていて割高であるという点を考えると、今後もセルフビルドに対する関心は高まっていくと予想しています。
日本にDIYが広がりづらい要因として、日本の職人のレベルの高さや、日本人は労働時間が長く、なかなか自分の時間を持てないということが挙げられます。
しかし、昨今の物価高や、インターネットの普及などによって、少しずつではありますが、「DIY」に関しても熱が大きくなっている目を感じます。
2022年にはDIYをテーマにしたアニメも放映。
オタクである私ですから、当然視聴しておりまして。
(登場人物のヒロインの中の人が『ウマ娘』の【コパノリッキー】役を演じていて興味を持ったのがきっかけですが)
「DIY」と「量り売り」に通じるものと言えば、やはり「自分でカスタマイズできる」という点でしょう。
先日の記事で、私はアプリの家計簿ではなく、Excelを利用していることをお伝えしました。
既存の家計簿アプリは、手軽ではありますが、自分でカスタマイズができない点に不満があります。
Excel家計簿では様々な調整ができ、自分なりのこだわりが実現できる点が大いに気に入っています。
また、私はSNSよりも個人サイトの運営に力を入れており、WordPressなどを利用することで、見た目が似通ってしまいがちな既存のサービスとは異なり、「世界で一つだけの」デザインを実現することができています。
日本では「社会人」というと、「会社員」というイメージが強いですが、海外ではフリーランスや個人商店も多く、日本とは一味違った個性的なサービスが多種多様で、そういった事情が「量り売り」や「DIY」の多さに繋がっているとも言えます。(私も個人事業主ですが)
海外でも例えばウーバーのような「ライドシェア」が盛んにおこなわれており、(日本でも導入が検討されてはいますが)移動に関しては日本よりも便利な地域が海外には多数存在します。
「既存のもの」で満足することなく、「自分で工夫する」という意識が強い海外から学ぶことも多いと感じます。
さいごに:「量り売り」精神のアキハバラ。
今でこそ、家電量販店がひしめく秋葉原ですが、かつての観光地化される以前のアキバは、いわゆる「自作PC」や「ラジオ」向けのパーツを求めるオタクが訪れる、ある意味ではDIYの聖地ともいえる場所でした。
※秋葉原に「ラジオ」という名称の建物が残っているのも、戦後の名残で、電子機器全般の代名詞として「ラジオ」が広く用いられていたことに由来します。
「自分の必要なものをパーツ単位で買う」というのは、「量り売り」に通じる部分があると思います。
私もいちオタクとして、自作PCを手掛けたこともありますし、既製品ではなかなか見かけないキューブ型のPCは今でもサブ機としてしっかり稼働しています。(市販のPCに比べて電源効率がとても良いものを作れるのです!)
「食品ロス大国」そして、ゴミの廃棄量が世界でも多い日本では、年々排出量は減っているといっても、最終処分場が満杯になるまでの残余年数は20年余りと言われています。
ちなみに、ゴミ処理にかかっている税金は年間2兆円。
スーパーマーケットなどで食品を購入する際、廃棄される食料の処理費用が、実は価格にも上乗せされているという事実もあります。
「量り売り」という流通形態が社会に根付くことで、「必要な分だけを買う」という購買行動が進めば、日本の消費者の負担も、もっと軽減できるし、個性的な商品やサービスが生まれてくると、私は思っています!