
(二次元)キャラクターとCV(声優さん)を同一視したくなる私。
前々回、note2回目の投稿にして2桁の"スキ"を頂けるとは全く思っていなくて調子に乗って既に4回目の記事を書いている私「あすかたーん」と申します。
普段はnote初投稿でも書いた通り、日本唯一(自称)の"女子スポーツ作品専門blog"を運営している変わり種のオタクでございます。
blogは作品の紹介に特化しているため、いわゆる「オタ語り」というものをnoteでやっていこう、と相成りまして。
ゆるりとお付き合いいただければ幸いです。
声優さんにはまったきっかけ。
主題にもあります通り、今回のテーマは、アニメやゲームなどの作品に魂を吹き込むCV、いわゆる「声優さん」についての語りとなります。
いまや小中学生の"なりたい職業"でもTOP3にランクされるほどの認知度ですが、私が声優さんの存在を知ったのはかれこれ30年ほど前。
今から30年以上前に放送されていたラジオ番組の、いわゆる「アニラジ枠」。
文化放送の『ツインビーPARADISE』(通称:ツイパラ)でした。
この番組でパーソナリティを務めていた《國府田マリ子》さん(通称:マリ姉)の存在が、私にとって初めての「推し声優」さんだったのです。
ラジオ内で楽しそうに語る國府田さんこと「マリ姉」の存在が、"コミュ障"でHSP勢故に当時不登校気味だった学生時代の私には、救いのようなものであったことを記憶しております。
声優さんは単純に「声が良い」というだけでなく、話術にも長けた人が多く、人の気持ちを理解することが上手で、リスナーの声をしっかりと受け取って返してくれるという意味で、(自分の中では)お笑い芸人さんよりも遥かに「トーク力が高い」という位置づけだったりします。
第三次声優ブーム。
1990年代半ばに創刊された「声優グランプリ」は、声優に詳しい方ならだれでもその存在を知っていると思われますが、出版不況と言われる現在でも発行され続けている、日本初の声優専門誌。
そんな「声優グランプリ」の表紙を飾るほどの存在で人気もあった「マリ姉」が主演するゲーム『DOKIDOKIプリティリーグ』(1998年発売)がきっかけで女子スポーツ作品にはまったということについては、また別の機会に。(note初投稿に少しだけ書いてあったりしますが)
今ではこの1990年代半ばのムーブメントは「第三次声優ブーム」と称されており、前述のラジオ番組「ツイパラ」内のボイスドラマに出演していた《椎名へきる》さんが武道館での声優初となる単独コンサートをしたことなどは画期的でした。
映像中のキャラクターの影という声の代行者という役割ではなく、声優そのものがスター性を持った存在となり得ることを最初に示した先駆者とみられている
歌って踊れる「声優アーティスト」
1998年に登場した女子スポーツ作品がきっかけで、そのジャンルを特化して追いかけるようになっていた私ですが、ジャンル自体がマイナーだったこともあり、1998年の『プリンセスナイン』以降、2005年の『銀盤カレイドスコープ』まで7年ほど女子スポーツアニメの放映がないという憂き目に。
(参考:弊blogでまとめた「女子スポーツアニメ年鑑」)
そうしているうちに、《水樹奈々》さんのように紅白にまで出演するなど、アーティスト活動と声優を両立させる「声優アーティスト」の存在が目立つようになり、今やバラエティや大河ドラマにまで出演するほど一般にもメジャーな存在になっている「声優さん」の地位が大きく拡大していくわけで。
さらに、『ラブライブ!』や『アイドルマスター』などのキャラクターコンテンツが登場すると、声優ユニットがドーム公演などを行うほどの人気を得るようになり、まさに「歌って踊れるアイドル」のような声優キャストさんの登場によって、演技だけでなく幅広い活躍を求められるようになっていきます。
演技以外の特技も必要に…
一方で、そうしたマルチな活躍を要求されるようになった(特に若手女性声優さん)キャストの方々の負担というものも大きくなっていきます。
そうしたことが心身に影響して、体調を崩されるキャストの方もおり、そうした現状に対して三ツ矢雄二さんがABEMAで危惧を語っておられたこともありました。
それでもやっぱり、CVにキャラを重ねてしまう。
もちろん、「キャラクター」と「演者」は別の存在なので、当然ながら同一性を強要することがあってはなりません。
わかってはいるのですが、最近のコンテンツの多くは「キャラクターとのリンク」を重視していることもあり(特にブシロード系)、『バンドリ』のように演者さんが実際に楽器を演奏したり、『ラブライブ!』のようにキャラクターの映像と同じダンスをキャストさんがシンクロさせたり…
そんな光景を目の当たりにすると、もはやそこにいる声優さんは「CV」というより「作品に登場するキャラクター」に見えてきてしまうわけでして。
キャスティングも「寄せている?」
私は女子スポーツ系のコンテンツが好きなので、それらの作品を例にとることが多くなるわけですが、例えば『八月のシンデレラナイン』(通称ハチナイ)という女子野球をテーマにした作品では、
キャストの人選に、元々野球が好きな方が多く起用されていることがわかります。
(例:西武ファンの《優木かな》さん、阪神ファンの《渡部優衣》さん、ヤクルトファンの《松嵜麗》さん、など…)
(※ちなみに、上記の声優さんは文化放送の野球をテーマにした番組に出演しておられます)
スポーツ系以外のコンテンツでも、例えば登場キャラクターの出身地と同郷の声優さんを抜擢するということなどは、プロモーションの観点からもよく行われている気がします。
ご本人たちはどう思っているのか…
ファンがキャラクターとキャストを同一視してしまうことについて、演じる側がどのように感じているのかは、千差万別だと思います。
迷惑と感じる方もいるでしょうし、割とノリノリで受け入れているキャストさんもいるでしょう。
同調性をファン側から過度に要求する行為は当然慎むべきだとは思いますが、それでもやはり、ファンとしては「キャラクターの特徴」と「キャストの特徴」が似通っていると、うれしくなってしまうものです。
身体的特徴で、例えばキャラクターとキャストの「ホクロの位置」が偶然一致していたりすると、こちら側はもう運命なのではないかと思ってしまったりするわけなのです。

『ウマ娘』の《伊藤彩沙》さん(=ヴィブロス役)とか、『蓮ノ空女学院』の《野中ここな》さん(=村野さやか役)など、演じるキャラクターと同じ位置にほくろがあるのは当然ながら偶然の一致なのですが、改めて考えると凄い確率だなぁ、と思ってしまいます。
キャラクターに命を吹き込む、という行為
よく、声優さんは「キャラクターに命を吹き込む仕事」と形容されます。
でも、それって「声」だけと決まっているものなのでしょうか?
私は、「声」以外にも、キャラクターに命を吹き込むという表現があっていいと思いますし、その一環として、例えば「キャラクターに容姿を似せる」とか、「キャラクターの趣味と同じものを好きになる」というアプローチがあってもいい気がするのです。
「お芝居」以外の部分で、キャラクターを背負っていく、そういう「吹き込み方」もあっていいのではないか、そう思うのです。
もちろん、ファンによっては、そういう行為を「演者がキャラクターに媚びている」と捉える方もいらっしゃるかもしれません。
多様な考え方があるべきで、それについて個人がどう感じるかは自由だと思います。
でも、例え形から入るように見えたとしても、キャストさんの「キャラクターの気持ちに寄り添いたい」という気概を私は肯定したいし、キャラクターとCVを完全に別の人格として切り分けなくても、いいんじゃないかと思うのです。
結局、何が言いたいのかというと。
結論として、タイトルに書いた「キャラクター」と「キャスト」を同一視したくなる私、というのは、「声優さんという存在」が、キャラクターと同じように「夢を纏った存在」であってほしい、という自分の願望なのかもしれない、ということです。
学生時代、声優さんの存在のおかげで、自分の人生に彩りが増え、豊かになったことはまぎれもない事実で。
キャストさんにとっては、私のような願望が場合によっては負担に感じることもあるかもしれません。
でも、最後にこれだけは言わせていただきたいのです。
「キャラクターを演じてくれてありがとうございます」
キャラクターを演じてくれたのがあなたで良かった。
そんな風に思えるのは、あなたが「夢を纏った存在」だからこそなのです。
