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植物派。

HSP勢で内向型人間のオタクがお送りする「オタ語り」。

今回は、「植物」について。

基本的にマイナー好きな私は、世間では動物に比べると人気薄の「植物」に関心があります。

植物というのは、人間の間では過小評価されている存在だと常々思っていまして、しかし植物の秘めたポテンシャルというのは素晴らしいものがあります。

今回は、その植物について語っていきたいと思います。
(今回は3,000文字程度の記事になっています)


地球上では植物の方が動物よりもはるかに早く存在した

地球の歴史を鑑みると、人間というのは最近現れた後発組で、そんな人類が大手を振って、まるで支配者のように振る舞っているのを見るにつけ、残念な思いがする私ですが。

地質的な証拠によれば、12億年前には藻類の祖先が地球上に表れており、陸上植物は、4億5,000万年前あたりからとされています。

そして、人間の生活はその大半を植物に依存しています。

生活に必要な食物や薬、衣服・建築用材・家畜飼料など、その大半は植物に依存しています。また、こうした直接の利用だけなく、現在の多様な生物の存在が、安定した生態系を作り、地球全体の大気や水の循環を安定させることにも役立っています。このような自然の恵みのことを、生態系サービスともいいます。

出典:中央大学 https://www.chuo-u.ac.jp/usr/kairou/programs/2008/2008_02/

我々人類は、実は動物よりも、むしろ植物から多大な恩恵を受けており、この世から動物がいなくなってもなんとか生きていけますが、植物が無くなったら、人類も破滅する可能性が高いです。

私たちが普段吸っている空気中の酸素だって、植物の光合成のおかげともいえます。

地に足をつけて生きる。

私のような"内向型人間"というのは、アクティブな外向型人間のように、素早くアイデアを出したり行動したりすることが苦手です。

しかし、「じっくりと」熟考することが得意で、「長いスパンで」物事を捉えることができます。

これは、植物の特徴にも似ていると思います。

一度そこに根差したら、ずっとその場で耐え忍び、辛抱強く生きていく。
植物のひたむきさというのは、内向型人間が学ぶべき特徴だと私は思っています。

今の世の中、短期的利益や効率ばかりが重視されますが、その影響で、地球の環境はどんどん悪化しています。

作物だって、同じ畑で何年も続けて収穫していると、どんどん土地がやせてしまうので、本来は「畑を休ませる」必要があります。
それを怠って、肥料などを無理やり入れて作物を育てても、上手くいかないのです。

長期的な視野に立って、物事を考えていかないと、地球は50年後には無くなっているかもしれません。
そのために、私たち人類は「植物」に学んでいくことが多いと思うのです。

「ペット」は幸せなんだろうか。

私は、いままで動物のペットを飼ったことがなく、これからもたぶん飼うことはないと思います。

動物が嫌いなわけではありませんが、「人に飼われている」動物より、野生に生きている動物の方が、自分には魅力的に映ります。

例えばペットの犬に洋服を着せて、喜んでいる飼い主さんがいますが、それは「飼い主」にとっては楽しいことかもしれませんが、「ペット自身」にとってはどうでしょうか?

私は、HSPといって、刺激に敏感なタイプで、生き物のポジティブ・ネガティブな感情を受け取りやすい性質があります。

ペットの中には、「飼い主」からあまり良い扱いを受けていないんだろうなぁ…と感じ取れてしまうシーンを、私は多数目撃しているので、人間のエゴで「動物を飼う」ということに対して、色々と思うことがあります。

もちろん、たくさん愛情を注いでいる飼い主さんがいるのは理解しておりますが、私としては、人間の庇護を受けず、自然界でありのままに生きる動物たちの方が、楽しそうに生きているように感じるのです。

この世界は、人間が作ったわけではありません。

「人間中心主義」の考え方というのも、少し見直した方がいいと思う今日この頃です。

雑草という名前の植物はない。

2023年にNHKの連続テレビ小説の題材となった植物学者《牧野富太郎》先生。
私も大好きな研究者の一人ですが。

彼の言葉で有名なのが、見出しでも掲げた名言。

雑草という名の植物はない

牧野富太郎

植物分類学者である牧野先生は、幼くして両親を失い、小学校も中途退学するなど、大変な苦労をされ、独学で植物の研究をされてきました。

それでも、東京大学の教授に認められて奉職し、日本の植物学のパイオニア的存在に上り詰めました。

世の中は、どうでもいいようなものを「雑」と一緒くたにし、乱暴にまとめ上げます。

現代は特に、「タイパ」「コスパ」などがもてはやされ、人々は道端にある草には目も止めません。

「きみ、世の中に〝雑草〟という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている。わたしは雑木林(ぞうきばやし)という言葉がキライだ。松、杉、楢(なら)、楓(かえで)、櫟(くぬぎ)——みんなそれぞれ固有名詞が付いている。それを世の多くのひとびとが〝雑草〟だの〝雑木林〟だのと無神経な呼び方をする。もしきみが、〝雑兵〟と呼ばれたら、いい気がするか。人間にはそれぞれ固有の姓名がちゃんとあるはず。ひとを呼ぶばあいには、正しくフルネームできちんと呼んであげるのが礼儀というものじゃないかね」

(木村久邇典『周五郎に生き方を学ぶ』実業之日本社より)

動物に対して、植物はいつも人間の間では過小評価されていますが、実は、植物の方が先んじて生まれ、遥かに大きな影響を地球に与えてきたのです。

HSP勢で、内向型人間である私は、「マイノリティー」と呼ばれる存在に目を向けることができる、特色があると思っています。

思えば、人間の都合だけで勝手に「害虫」「害獣」などとカテゴライズされる生き物たちがなんと多いことか。

ひとつひとつの生き物に、役割があるし、意義がある。
そこに丁寧に向き合い、「いのちの価値」を見つめ続けた牧野先生の生きざまに、私はとても共感している昨今です。

最近は道端にある野草たちを見るのが楽しくて、「ハナノナ」という植物の名前を検索できるアプリを使っていろいろ撮影しています。

写真を撮ると、名前を表示してくれるアプリ「ハナノナ」

植物の魅力!

植物は動物に比べると、確かに物静かで、感情がわかりづらく、愛着がわきにくいという声もありますが。

だからこそ、「そっと寄り添ってくれる」感覚が私には心地よく感じます。

人間界でも、「お笑い芸人」や「漫才師」のような話術に長けてリアクションの大きな、"わかりやすい"人が好まれる傾向があります。
また「スポーツ選手」や「モデル」といった華やかな世界にいる人たちはSNSなどでたくさんのフォロワーを得ています。

それに対して、歴史家や映画監督など、文筆業に関わるタイプの人というのは、あまりメディアに登場することもないので、上で挙げたような人に比べると「陰キャ」「物静か」というレッテルが貼られがちです。

しかし、「わかりにくい」からといって、その人の魅力が足りないわけではない。むしろ、その魅力に気づけていない人たちこそ、もったいないと思うのです。

動き回り、尻尾を振る動物に比べて、植物は何を考えているかわからない、という方もいるでしょう。
でも、実は植物には素晴らしい魅力がたくさんあります。

人に飼われている動物というのは、私はどうも「人に媚びている」印象を感じ取ってしまうのですが、植物の場合、「凛と立っている」そんなプライドを感じます。

「一時の感情に振り回されない」泰然自若とした感じというのでしょうか。

ちょっとした出来事で一喜一憂する人というのは、なんとなく未熟な印象を与えてしまいます。
しかし、植物は、生きてきた時間の長さが違う。
多少の事では動じない潔さというか、貫禄があります。

そして、動かない分、植物はとても柔軟な仕組みを備えています。

芽吹いた場所が日当たりの悪い場所であれば、そこを避けるように蔓を伸ばしたり。
葉などが虫に食べられても再生します。
光合成をするために太陽の方に向かって花や葉をつけたり。

常に周囲の状況をモニターするために、植物には様々な感覚が備わっている。
動物のように脳があるわけではないのに、全身のあらゆる場所に感覚器官が分散されているという、驚異的なリスクマネジメントの機能が備わっている、凄い生き物なのです。

そんなわけで、「植物」の価値が世の中でもっと見直され、魅力が伝わってほしいと思う私なのでした。

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