noteのコンセプトに見る「LESS IS MORE」の精神
HSP勢で内向型人間のオタクがお送りする「オタ語り」。
今回のテーマは「シンプルであること」の重要性について語ってみたいと思います。
(今回の記事も5,000文字近い文字数になります)
シンプルイズベスト、もとい「シンプルはマスト」。
タイトルにも書きましたが、noteさんのサービスの大きな特徴として、まず「UIがシンプル」というものがあります。
ロゴも白と黒のみで構成され、余計なものをいれない潔さ。
無印良品やAppleのような、情報量をそぎ落として洗練されつつも、しっかりと個性を持っているデザインに見て取れるのは、「LESS IS MORE」の精神。
ゴテゴテとした装飾の多いデザインというのは、やはり見ていて疲れますし、自分のような刺激が苦手なHSP勢にとっては、「何を伝えたいのかがよくわからない」。
noteさんの素晴らしいところは、「ランキングがない」「広告が無い」と、現代のSNSやブログサービスとは一線を画す思い切った仕様があるところで、多くのユーザーが魅力に感じている部分だといえます。
「いいねの数」を競う社会の末路。
YouTubeでは、先日とある政党の選挙活動の動画が問題になり、逮捕者まで出る騒動に発展しました。
「再生回数の多さ」によって、収益が決まるというSNSの仕様が、多くのユーザーの不評を買っており、Xでもそうしたプログラムが導入されたことで別のSNSに退避するユーザーが続出しました。
「多くの人が閲覧する」というコンテンツが優れているとは限らないのですが、残念ながら現在の多くのプラットフォームが「数の論理」を中心に据えてしまっているため、ユーザーにとって快適とは言い難い状況を作り出してしまっています。
instagramなどでも、たくさんのフォロワー数を持つユーザーは「インフルエンサー」という肩書で活動し、社会の中で一定の影響力を持っていますが、一方でそうした人たちは常に他者の評価を気にしながら生きていかないといけないという面もあり、そこに疲れてしまったユーザーも数多くいらっしゃるのではないでしょうか。
「数の論理」を敢えて取り入れず、独自のコンセプトを追求しているnoteさんは、私にとっても居心地が良い場所ですし、この方向性を維持していただきたいと切に願っています。
「より少ないこと」は「より豊かなこと」。
タイトルにも取り上げた「LESS IS MORE」というフレーズは、ドイツの建築家である《ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ》の提唱した言葉でもあります。
彼の建築デザインの特徴ともいえる、この「ユニバーサルな空間」という概念が、なんとなく、noteのコンセプトにも通じるものがある気がします。
インターネット上では、いわゆる排外主義的な価値観や、海外にルーツを持つ人に対する差別的な言動が支持を受ける場面を目にします。
しかし、noteさんの理念には、Webという場がそういった「一部の人たちのための世界」ではなく、「あらゆるひとたちのための場所」として存在すべき、そうした場を提供したい、という強い意志を感じられるのです。
noteが提唱する「共存していける空間づくり」は、まさに《ミース・ファン・デル・ローエ》の建築理念である「ユニバーサルな空間」と共鳴している、そう感じるのです。
「質より量」の価値観から抜け出せない日本。
さて、日本の状況はといえば、相変わらず「量」が重視される傾向が強いといえます。
テレビなどでは「大食い」をテーマにしたバラエティ番組などが放送され、外食に関するランキングサイトでも、美味しさより「コスパ」が優先される、そんな昨今。
より少ない金額で、多くの量を求める、そんな消費者で溢れています。
戦後の物がない貧しい時代ならともかく、モノが溢れる今の世の中においても、大量のフードロスが問題になっています。
食品に限らず、日本ではたくさんのゴミ(まだ使えるもの)が毎日排出され、また大量のエネルギーを海外から輸入しています。
例えば労働に関しても、日本では「たくさん働いている人が評価される」というシステムが未だに続いており、それが長時間労働に繋がっている面があります。
海外では、「早く仕事を終わらせて、早く帰る」人が評価され、それが生産性に繋がっているのですが、そういった働き方はまだまだ定着していない。
結果として、日本の労働生産性を示す国際比較の数値も軒並み低いままです。
表面的な数字に囚われて、「質より量」という価値観にこだわるあまり、こうした状況がずっと変わらないという問題を抱えている印象です。
海外では「過労死」「寝たきり」という言葉はない
日本は長寿ということがよく知られ、平均寿命の長さを誇る人たちもいるのですが、実は「寝たきり」という老人が多いことが問題になっています。
日本では良く耳にする「寝たきり」という言葉、実は海外ではそれに相当する言葉がないといいます。
「長く生きる」という年齢ばかりにこだわり、「健康寿命」ということについて、日本社会はこれまであまり考えてこなかったのではないでしょうか。
長寿ではあっても、施設に入っていたり、入院していたり。
そんな「寝たきり」の老人が日本では多く、「健康で長生き」している人は実は我々がイメージするよりも少ないという問題があります。
「何歳まで生きた」という「量」ばかりではなく、QOLのような「質」をもっと重視していくことが大事だと、私は思います。
見出しに挙げたように「過労死」という言葉も、海外ではそれに相当するワードがないといいます。
国によって様々な事情があるとは思いますが、やはり日本において労働時間が海外に比べて長いという傾向があり、健康寿命の問題と同様、労働にも「質」というものをもっと重視していくことが必要だと考えます。
「減らす」ことを恐れない
日本の「ガラケー」は、独自の進化を遂げ、国内ではそれなりの支持を得てきた部分がありますが、世界の舞台からは完全に取り残されてしまいました。
ガラケーは、多くの機能を詰め込みすぎて、かえって使い勝手が悪くなっていた面があり、そこが衰退に繋がったという分析もあります。
現在、日本でも多くのユーザーの支持を得ているAppleのスマートフォン「iPhone」は、機能をうまく絞り込み、そぎ落とした「引き算」の発想が根付いています。
わたしたちの生活においても「フォロワーを増やしたい」「収益を増やしたい」と、「足し算」の論理で考えるユーザーも多いかもしれません。
けれども、私は敢えて「減らす」ということを選択肢に入れることも大事なのではないかと思います。
noteの特徴も「ランキングがない」「広告がない」「文字の色を変えられない」といったように、余計なものを「そぎ落として」いることがむしろ強みに繋がっています。
世の中を見渡してみると、意外と「余計なもの」が多かったりすることに気がつきます。
「本当に必要なもの」をしっかりと見極めて、吟味する。
そういう能力がこれからますます重要になっていく気がしています。
「断捨離」という言葉が社会に定着するようにもなりました。
「ミニマリスト」と呼ばれる人たちも増えています。
日本は様々な自然災害があり、自分の家財道具などが一瞬で無くなることも今後出てくるかもしれません。
「モノ」の所有を最低限にして、スキルを磨いたり、見聞や体験をすることにシフトして、生活をスリムにしていくことで、今まで見えなかったものが見えるようになるかもしれません。
「身の丈を知る」
『ノマドライフ』の著者でもある《本田直之》さんの2012年の著作「LESS IS MORE」。
今から10年以上も前に刊行された書籍ですが、今でも私の中で人生の指針になるヒントが詰まっています。
幸福度が高い北欧諸国と日本の大きな違いとして、この本で語られていることを少し紹介してみます。
物質主義的な考え方の強いアメリカなどでは、お金持ちは豪邸を建てたり、高級車に乗ったりして、自分の生活を他人に見せびらかす傾向があります。
けれども、北欧諸国では、そういった生活をする人は少ない、と著者は指摘します。
「等身大の自分でいる」という生き方が、北欧諸国の幸福度の高さを支えているのかもしれません。
日本にいると「30代までに結婚する」とか「大企業に就職する」とか、「〇〇しなければ幸せになれない」という強迫観念めいた幸せの条件を周りが押し付け、自分らしく生きられない状況がみられます。
私もこの《本田直之》氏の著作「LESS IS MORE」をきっかけに、「会社員」ではなく「個人事業主」として生きていく決心をしましたが、今は会社勤めしていた以前よりも充実した人生を送れているという実感があります。
「周りが思う幸せ」ではなく、「自分自身の身の丈に合った生き方」を大事にしていくことが、これからの時代に大切なのだと、私は思います。
さいごに:縛られないこと
インターネットの利点として、場所や時間の制約を受けないこと、が挙げられると思います。
コロナ禍をきっかけに広がったリモートワークでも、そうした利点が改めてクローズアップされたのではないでしょうか。
noteのようなWebサービスで生計を立てている方もいらっしゃることと思いますが、現代は、仕事やお金、時間や場所、そして今までの常識などに縛られず、自由に生きることに価値があるという考え方が確実に広まっています。
この日本においては、相変わらずさまざまな「縛り」が多いと感じますが、そういった枷に縛られず、自分自身で「LESS」を選択していくことが、「MORE(より豊かである)」に繋がっていく。
noteさんのサービスが立ち上がったコンセプトを考えつつ、改めてそんな確信を抱いた私なのでした。