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「欲しくもないもの」を買わされる社会・広告だらけの世の中で
HSP勢で内向型人間のオタクがお送りする『オタ語り』。
今回は、Webではもはや見ないことは無い「広告」の在り方について。
ゆるりとお付き合いいただければ幸いです。
(記事の文字数は4,300字程度です)
noteさんを利用した理由
まず、私ははじめに宣言しておきたいことがありまして、それは大の『広告ぎらい』であるという件。
基本的に、広告があるサービスは極力利用したくないと思っていて、例えばテレビなんかでも、民放より断然NHKの方が見る頻度が高くて。
オタクとしては、アニメを見る機会は多いのですが、最近は配信プラットホームが増えてきたこともあり、そうしたサービスを利用することで、CMを見なくてもよくなってきたのは有難いところです。
さて、見出しにも書いた通り、私は元々は『はてなブログ』などのブログサービスを利用していました。
はてなさんは2000年代初期からサービスを展開している、Webサービスでは古参であり、長いお付き合いにはなるのですが。
時代の流れか、やはり広告収入がサービスの収益の柱になってきたこともあるのか、多くのブログサービスの無料プランでは広告が表示されるようになっていました。
そんな中、noteさんは無料プランでも広告がないという、現在においてはかなり珍しいサービスと言えると思います。
私はこの理念に、とても共感したわけでして。
『広告があるのが当たり前』という世間の風潮に対して一石を投じる、そういう矜持を感じたわけです。
「広告を見たくないならお金を払え」という横暴
世の中においては、残念ながら見出しのように「広告がサービスの収益になっているのだから、それを見たくないならお金を払うべき」という論調が幅を利かせています。
でも、僕はそれを疑問に思うわけです。
広告を使ったビジネスを展開するのは、あくまで「経営者側の都合」です。
その「都合」を、ユーザーに押し付けるのはおかしいと思います。
たとえば、かつて携帯電話に「2年縛り」という訳のわからない決まりごとがありました。
「2年間サービスを解約できない代わりに、月々の基本料金が割り引かれる」というもの。
行政が民間事業に介入することにはあまり賛成しない私ですが、この件に関しての総務省の判断は良かったと思っています。
この「2年縛り」は、多くのユーザーの不評を買っていました。
要するにこれは「携帯電話キャリアの都合」でしかありません。
「広告を見せるからただでサービスを使わせてやる」というWebサービス業者の姿勢も、これと同じと言っていいと思うのです。
「どのようにサービスを利用するか」は、ユーザーが決定権を持てるようにするべきだと、私は思います。
これを買わないとあなたは乗り遅れますよ
日本人は、とかく「横並び」が大好きで、「人と同じでないと不安になる」傾向が強いです。
「沈没船ジョーク」というものがありますが、沈没しかかっている豪華客船で、脱出ボートの数が足りないので、乗客を海に飛び込ませるために船長が言った言葉は、各国それぞれで効力が違うというもの。
日本人に対しては「もうみんな飛び込みましたよ」と船長が言うと、効果てきめんだったというジョーク。
日本人が「流行」や「広告に弱い」のは、この国民性に見て取ることができると思います。
結局、「皆が持っているから」とか、「これを持っていないと時代の波に乗り遅れる」とか、そういう「不安」を利用するのが、「広告」のやり方です。
幸い、私は「人と同じである」ということに疑問を持つタイプだったので、こうした広告に惹かれることはほとんどなかったため、これまでそうした広告手法に乗ることはありませんでした。
しかし、そうは言っても、やはりそうした広告を見ると、良い気分にならないのは事実なので、Webサービスを利用するときは広告ブロックや、StylusのようなユーザーCSSの記述ごと変更できるような拡張機能を使ったりして、見た目をできるだけ「シンプル」にしています。
※広告ブロックを「利用規約違反」だ、とする意見もあるようですが、サービスを利用するユーザーがそれを決められるようにするのが民主社会だと思います。
「経済のためにはもっと消費すべき」という違和感
日本人の多くは「経済」という言葉を優先しがちです。
有権者が政治に期待することの多くは、相変わらず「景気」や「経済」。
「エコノミックアニマル」と揶揄された日本人ですが、高度経済成長期の成功体験をいまだに忘れられず、過去の栄光にすがっている日本人のなんと多いことか(チ〇ちゃんに叱られるのナレーション風に)。
「経済」にしか存在意義を見出せなくなってしまった人たちは、「経済」を成長させるためにもっと消費すべき、もっと給与を上げるべき、という大号令ばかり。
結果として、現代は「欲しくもないものを買わされる社会」に成り下がっているのではないでしょうか。
その反動というかアンチテーゼとして、「ミニマリスト」と言われる人たちが増えているように、「消費すること=善」という価値観に違和感を持つ人たちが着実に多くなっているように思います。
コロナ禍で「不要不急」という言葉が出現し、多くの企業が倒産したのは記憶に新しいところですが。
残念に思う部分もありますが、逆に言うと「今まで必要なかった余計なサービスがいかに多かったか」ということを考えさせられる結果にもなりました。
「広告」があふれる現代において、「本当に必要なモノ」って、実はそれほど多くないんじゃないかと思います。
なんで「広告」を出すのかと言えば、結局は「広告を出さないと買ってもらえないから」です。
本当に実力があって必要なものならば、そもそも宣伝なんてする必要はないのですから。
多様性:色んなオタクがいたっていいじゃないか
私はいわゆるオタクではあるのですが、最新のアニメをチェックしたり、たくさんグッズを買ったりというタイプではありません。
カテゴライズを好む日本においても、「オタクはこうあるべき」みたいな、紋切り型のオタク像を求める人もいるようですが、オタクにも様々な種族があってよいと思うのです。
私は次々と最新のアニメを追いかけるより、昔のアニメを何度も見返したりするのが好きで、それだって「アニメ好き」であることに間違いないわけです。
グッズをたくさん買わなくたって、例えば聖地巡礼で作品の舞台を訪れたり、別の方法でキャラクターを愛でる方法はいくらでもあると思います。
「たくさんお金を使っている人が偉い」という風潮がある現代、作品でも「売れた作品が正義」と言わんばかりに、ハラスメント的な騒動も巻き起こる昨今。(キ〇ハラなんて言葉もありました)
何かと「正しさ」を振りかざして、「こうあるべき」という価値観を押し付けあう生きづらい現代にあって、私は改めて「広告」というものを見つめなおしていきたいと思うのです。
「経済」以外の物差しを持つ
日本では、「経済」というものでばかり物の価値を判断してしまいがちですが、やはり、それ以外の物差しを持つことが必要だと思っています。
日本人は「宗教アレルギー」といわれるように、「宗教」というと怪しいものと決めつけてしまいがちですが、世界全体を見渡すと、何らかの信仰を持っている人の方が多数派です。
ブータン王国では、「GHN」(国民総幸福量)という概念が提唱されていますが、経済による物差しだけに頼らない社会を目指しています。
日本は確かにモノがあふれていますが、先進国の中で自ら命を絶つ人の割合がとても多い。
そして、「自分は幸福である」と答える人の割合は、あまり高くない。
日本では「貧しい=不幸せ」と単純にレッテルが貼られますが、それは誤解であることがわかります。
「経済」という物差ししか持っていないと、「広告」に振り回されてしまったり、「陰謀論」に陥ったりしてしまう。
購買行動にしても、意思決定の弱さが気になる日本人ですが、やはり「企業」にイニシアチブを握られるのではなく、「消費者」が選択肢を持てるような行動につなげて、社会を変えていくことが求められていると思います。
シンプルイズベスト:無印の考え方
「広告ぎらい」の私ですから、特定の会社を宣伝する気は全くありませんが、無印良品ブランドを展開する良品計画の考え方に、私は共感しています。
無印良品は1980年の日本に、消費社会へのアンチテーゼとして生まれました。
当時の日本は、資本の論理が優先され、「売るため」にモノが本質から離れていた時代。
無印良品は、そのような状況への批評を内側に含むものとして、
「無印」という立場に「良品」という価値観をつけて誕生した概念です。
バブル期の日本は、商品のロゴにも、でかでかと自社の名前がプリントされたものが幅を利かせ、自己顕示欲に満ちたデザインの商品がこれでもかと溢れていました。
しかし、そんなバブル期にも「消費社会のアンチテーゼ」として、無印良品のようなものが生まれたことに驚きます。
「これを買え!」という企業側の論理ではなく、「わたしが欲しい」という消費者側の目線に立った商品。
私はこういう姿勢を評価していますし、今でも無印良品がしっかりと受け入れられていることを嬉しく思います。
instagramのようなSNSにおいても、「私って凄いでしょう!?」と言わんばかりの自己顕示があふれ、「SNS疲れ」なんて言葉もささやかれる昨今。
しかし、背伸びせず、等身大のありのままで生きる姿勢は、無印良品や、このnoteの白と黒のみのシンプルなデザインにも見て取れます。
「余計なものを入れない」というAppleのようなUIは、様々な「広告」が過剰にあふれる現代において、ますます重要になっていくと思います。
さいごに:広告に支配されないために
私は常日頃から広告に支配されないために注意していることは、
内容がシンプルであるかどうか
本当に「私が」欲しいかどうか(他人の介在の余地を与えない)
「経済」以外の物差しを取り入れる
あまりにも広告が多い世の中ですが、自分の中でしっかりと抵抗していく、すなわち「抗告」という意識をもっておくことが必要だと思います。
noteにおいてシステムがすごく素敵なだと思うのは、自分の記事を「目立たせる」というような仕組みがないこと。
多くのプラットフォームでは、記事の「広告合戦」が展開されていますが、noteでは課金の有無で記事の優先表示がないことも素敵だと思います。
(一応、私は月額課金ユーザーではありますが、noteのこの仕様はぜひ今後も続けていただきたいと願います)
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