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「今」に生きようとしたら、「可哀想」じゃなくなった

先日、webメディア『soar』である女性のインタビュー記事を読んだ。

どのような生きにくさを抱えてきたのか。どのようにして境界性パーソナリティ障害だと気がついたのか。そこから、どのように人と関わり、どのように回復の一歩一歩を歩んでいるのか。彼女の半生が丁寧に語られている。

その中で、私の目を捉えて離さない言葉があった。

“これまで私は、自分が抱えてきた傷を赤裸々に話すことで、どこか、私を苦しめた両親やいじめた人たちへの「仕返し」をしたようで救われていました。だけど、もう私は、父も母も恨んでいない。悪者のように語りたくなくなったのです。”(記事より)

「毒親」という言葉に抱いた違和感

一時期、境界性パーソナリティ障害やアダルトチルドレンに関する記事や本をよく読んでいたことがある。ちょうど、昨年の夏から冬にかけてあたりだ。

その頃は、少しずつ仕事とやりたいことに乖離が出てきて、うまくいかないことが多かった。それなりにもがいてみるのだけど、なんだか絡まった糸が解れない。どこか自分に対して諦めながら、でも助けてほしいと思っている自分がいた。

そんな「生きにくさ」の心のメカニズムを知りたかった。いろんな人の思考特性を知れば、なにか見えるのではと思った。

アダルトチルドレンやパーソナリティ障害の特性は、強弱の差こそあれ、多くの人が抱えているように思えた。その振れ幅の大きさに差があるだけだと。

だから、その分野のメカニズムを知ることは、自分にもあるかもしれない人間の心の癖を知ることにつながると思った。

それらの本や記事を読んでいると、度々「毒親」という言葉が登場する。生きずらさは幼少期の親の影響が大きい--そんな考えから、子どもに悪影響を与える親を「毒」と揶揄した言葉だ。

私は、これに異様な違和感を覚えた。

「毒親」という言葉を使っていない記事や本も、もちろんある。できるだけ、それらを選んで読むようにした。けれど、それらもやはり親の影響を大きく取り上げる傾向が強かった。ケーススタディーでは、親とどのような友好的ではない関係だったのか、親がどのような圧をかけてきたのか、あるいは放っておかれたのか……。「親が悪いのだ」と読み取れる説明が多かった。

「違う、そうじゃない。私が知りたいのは、それじゃない。

私は親を悪者にしたいわけじゃない。当てはまるところもあるけれど、それ以上にいい両親なのに。我慢したり、頑張ったり、親の思う自分であろうとしたり。そういうのは、親が好きだからこそなのに。親は、好きなんだ。

その親を、他人に『あなたのことを認め受け入れているの』という態度で、あたかも優しくしてくれているかのように否定されたくない」

それから、その類の本は読まなくなった。そこに救いを求めても、なんの解決も答えもないと感じたから。

冒頭の記事のセリさん(女性)の言葉が、そんな感覚と結びついて強く響いた。

過去や周囲に原因と解決を求め、「可哀想」になっていた私

今思うと、心のメカニズムを知りたいと本や記事を読んでいた私は、解決の緒を自分の「外側」に探していたように感じる。

「なぜ、苦しいのか」を過去の経験や関係性から読み解こうとする。原因は過去や他者との関係性であって、現在の自分を変えるのではなく、解釈と周囲を変えることでなんとかなろうとしていた。

それは同時に、自分の生きにくさやうまくいかないことの原因を、もっともらしく「周囲のせい」にすることでもあった。

就職活動にしても、当時の仕事にしても同じだ。

いつしかもっともらしい「でも」「だって」を見つけるのがうまくなっていた。「だって、今状況がこうだから、仕方ない」「でも、こんな責任があるから、こうするほかの選択肢はない」。

それらで「本当は、自分はどうしたい?」を全部潰していたように思う。その「でも」「だって」に、主体としての私はいなかった。自分で決めつけた周囲や肩書きに振り回されていた。

少しキツイ言い方をすると「可哀想な私」で被害者ぶっていたのだと思う。私はこんなに周りのことを考えて頑張っている。なのに(だから)、辛い。

そうしたら、みんな「大変だね」「頑張ってるね」「無理しないでね」って言ってくれるから。

「可哀想」であることである種の生きにくさは残るけれど、それでも「可哀想」であることの方が楽だった。自分の選択として、自分で責任を持って挑戦しなくていいのだから。

だけど、それは楽なだけ。そこには、解決も、抜け出す緒もなかった。

「可哀想な私」への慣れ、抜け出したのはインプロの影響

なぜ、今こんなことを書いているかというと、『soar』の記事を読んで「そういえば、アダルトチルドレンの本とか一生懸命読んで、自分はどうだったのかとか考えてたこともあったなー」と、ふと思ったからだ。

逆に言うと、最近は全くそんなこと考えなくなった。なぜ考えなくなったのか、ボケーっと電車に乗っている間にポコポコと湧き上がってきたので、せっかくだから書いている。

1つには、12月に仕事が変わり、それまで深く関わっていたコミュニティからも半分抜けて、環境が大きく変わったから。それによって心理的余裕が生まれ、もう考える必要性がなくなったのだと思う。

それでも、やはり3月くらいまでは考えていた。考えることで「可哀想な私」になることに慣れてしまい、逆に考えていない私が不安だったのだと思う。

そこを抜け出したのは、通い続けているインプロのワークショップと、一緒にワークショップに参加している友人、インプロを教えてくれているしょうじさんの影響が大きいなぁ、と思い当たった。

「過去」ではなく「今この瞬間」に気づこうとする

「インプロ」とは即興芝居のこと。シナリオや台本なし、行き先のわからない状態で、舞台に立つ人(そして見てる人)が一緒にパフォーマンスしながら1つ1つ設定やストーリーを創っていく。

すでにワークショップを受けていた友人の紹介で初めてインプロを知った。

幼少期から高校までピアノとバレエを習っていた私は、ちょうどその頃お稽古事を何かしたいと思っていた。一定以上の打ち込み具合で、発表会のような人前でやる機会もあるもの。できれば、体は動かしたい。声も出したい。そして、一人でなく人とやりたい。楽しいのがいい。

そんなわがままに、たまたまインプロのワークショップがピタッとハマった。誘ってくれた友人も一緒にやっているし、参加しない理由の方がすくなかった。定期的に通うようになった。

インプロは即興で創り上げていくので、今その場で起こったことや発した言葉に気がつかなければ、なかなか一緒に立っている人と噛み合わない。「それを受けて〜」と考えている時間は、ない。考えて出そうとすると、どんどん不自然になっていく。

だから、ワークショップではよく「考えないで!」「『これ、言っていいかな』とか、『やっていいかな』とか、検閲しないで!」「衝動で動いて!」「今、自分はどう感じたの? 感じたなら、そう動いて!」といわれてきた。総じてまとめると「今に生きて。今に気がついて」。

あくまで、インプロをする上での話。ワークショップ中の話。だからこそ、私も「難しいなー」とは思いながら、検閲しないこと・衝動で動くことをしようと思えた(未だ身につききってはいないし、やっぱり考えていることもあるけれど)。もし仕事やキャリアに対してそんなことを言われてたら、天邪鬼な私は「そんなこと言ったって!無責任な!」と怒っていたと思う(笑)。

もう1つ、よくしょうじさんが言ってくれたのは「みんな既に十分自分と向き合ってきているのだから。もう向き合わなくていいよ」。それは私にとって「過去を解釈し直そうとこれ以上こねくり回しても進まないよ。今はその段階じゃないよ」というメッセージだった。

ワークショップでそれを重ねるうちに、ふと気がついたら少しずつ普段の自分にもその「在り方」が影響するようになってきた。少なくとも、過去に理由を探すために振り返る機会がグンっと減った。

「あら、私、変わったわ」そんな感じ。

「変わろう・変わりたい」そう思って力んでいた時よりも、変わることに目的を置かなくなってからの方が、自然と変化していっている。不思議。

「今この瞬間」に生きると「可哀想な私」でなくなった

今が大事になると、自分が大切になる。

今自分はどうしたいんだ? 今自分はどう感じているんだ?

極端な話、今は「晩御飯は肉を食べたいのか? 魚を食べたいのか?」「今、私は友達と出かけたいのか? それとも、本当はこもって寝たいのか?」そんなところに関心があるし、それがすごく大事に思える。

マイナスな感情でもいい。「嫌だなー」「やりたくないなー」という感情でもいい。自分は、どう感じているの? それが、面白い。

それがちゃんとあった上での「相手は、どうだろう?」。

そうすると、少しずつ、自分が主体になってくる。自分が主体になると、過去や周囲に責任をなすりつけていた「可哀想な私」はいつしか消えていた。

この感覚、『soar』の記事でセリさんの語っていた「『今、生きている自分』をほめてあげてほしい」「どんな私も愛してあげよう」にも通ずる気がしている。

今この瞬間を見ようと思うようになってからは、はちゃめちゃだったり。大変だったり。うまくいかなかったり。そんなことばっかり。それを、周囲のせいにして逃げることもしにくくなった。

だけど、今この瞬間に目を向けようとしている現在の方が、「辛い!」と叫んでいた「可哀想な私」より、ずっと、ずっとビビッドに「生きている」と感じる。

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