もうすぐ、夜が明ける
今週も、土日が終わる。
土曜日は、昨年7月から半年間通った「batons writing college(バトンズの学校)」の補講と懇親会だった。
約3カ月ぶりに顔を合わせる、かつての同級生たち。不思議なもので、互いのnoteやSNSを見たり、改めて課題のフィードバックを読み返したりしていたからか、講義を受けていたときよりも親しくなっている気がした。懐かしさもあるのかもしれない。
3カ月は、一見長いようでいて、何かをするには短い。ぼーっとしていればあっという間に過ぎてしまう。けれど仲間たちの多くは、何かを新たにはじめたり、はじめる準備をしたり、あるいは淡々と続けたりと、密度の濃い時間を過ごしてきたようだった。
転職した人。社内で大きな仕事を任されている人。お仕事としてライターの活動をするようになった人。目標にしていた書籍の仕事をはじめた人。これから留学にいく人。毎日noteをはじめた人。新たな発信の場を「バトンズの学校」の卒業生とつくり出した人。
話を聞けば聞くほどに、自分も足踏みしていられないなあ、と思う。しかし一方で、焦りが生まれることはなかった。ひょっとしたら「note投稿」をはじめたことで、自分の努力が0ではないという感覚を抱けていたというのはあるかもしれない。でもそれ以上に、みんなの空気が——何か発展があった人はみんなでお祝いするけれど、だから偉いとか劣っているとかそういうことは一切ない、優越をつけず感じさせない姿勢が——安心感につながっていた。一人ひとり思考や執筆にかかる時間が異なるように、進歩幅もスピードもタイミングも、その人にあったペースがある。
何かが進めば生まれるのは、希望だけではない。それぞれに不安も悩みも抱えていた。その悩みが過去の自分と重なったり、今の自分と重なったり。いろんな話を聞きながら、悩んでいるのは自分だけではないのだと実感した。
会社での仕事の悩み。書籍編集のドキドキ。この先のキャリアの不安。自分がどうなりたいのかの迷い。私だけかと思っていた。私だけがクヨクヨしているのかと思っていた。そうじゃなかった。一人じゃなかった。
「他人の悩みはひとごと、自分の悩みはおおごと。」とは、写真家・幡野広志さんの書籍のタイトルだけれども、本当にその通りで。一人で抱えて自分だけかもとクヨクヨ考えていたときはとても「おおごと」に感じた悩みも、仲間が同じように悩んでいるのを客観的に聞いたら「なんであんなにおおごとに捉えてたんだろうなあ、よくあることなんじゃないか」とスッと軽くなった。そして、ステージは違うけれど、一緒に進んで行きたいなと思った。
懇親会では参加くださった編集者の方々とお話ができた。テーブルによって話した内容や雰囲気はそれぞれに違ったようだ。
「この編集者さんに、こんな話を伺ったんです」という受講生の声や、「今ね、こういう質問を受けてこういう話をしていたんですよ」という編集者さんの声を聞いた古賀さんが、これまでに見たことがないほどにうれしそうだったのが非常に印象に残っている。古賀さんが、とても私たちのことを大切に感じてくださっているのだと、そしてこの先を楽しみにしてくださっているのだと、改めて感じた。
その笑顔を見ながら「もっと受講中に古賀さんとお話しすればよかったなあ」と、うれしいと同時に少し寂しくなった。
いつもであればお酒を控える体調の日に、楽しくなって少し飲み過ぎてしまった。量はそれほどではなかったと思うのだけど、飲むスピードが速かったかもしれない。懇親会の終わりごろには、わずかな頭痛を覚えていた。
でも、きっとお酒の影響だけじゃない。3カ月経った今だから感じること、改めて振り返って考えること。いろいろあるのだ。そんな思考と自分の変化と、いろんな音が入り乱れる中で一言も聞き逃すまいとすた集中力に、脳が反応を示したように思う。
一夜明けた日曜日も、その頭痛はまだわずかに続いていた。体調はしんどい。けれど、どこか心地よさも感じる。これが私の「バトンズの学校」の日々だったのだと。まだまだ振り返りたいことも考えたいこともあるのだと。
土日が終わるのが、もったいない。もっとその空気を、想いを、抱えていたい。もっと、振り返りたい。
けれど、ただ過去に立ち止まっているわけにはいかないのだ。私の今、現実は、動き続けている。幸せな空気も想いも、そこで感じたことも考えるべきことも、その日常の中で生かしてこそなのだ。
空が白んできて、雀のさえずりが聞こえてきた。
ほら、もうすぐ夜が明けて、また月曜日がやってくる。ここからどんな「バトンズの学校」第1期生としての、そして第1期生たちの第二幕が描かれていくのかな。