母はどうやって自分を奮い立たせたのだろう
街を歩いたらあちらこちらにお花屋さんが出ていました。いつも以上に赤やピンクが目立ちます。近づくとカーネーションでした。
そうだ、5月8日。今日は母の日だ。
先日、帰省した際に直接「何かいる?」と母に聞きました。けれど回答は「何もいらないよ」。うちの母は本当に物欲がなく、それが素直な回答なので、一度いらないと言われたらそれで終了。だから、今日が母の日だということをすっかり忘れていました。
でもそうか、母の日か。ならば今日のnoteくらいは母親のことを書こうかな。そう思ったのですが……何を書けばいいのか、なんだか思いつきません。
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母と私は、出かけると周囲に「仲がいい」とよく言われます。基本的に、どうでもいい会話を適当なノリでやりあってケラケラ笑っているからでしょうか。
母との会話は、たとえばこんな感じです。
考えてみたら、高校までの実家にいたころから、こんな家族でした。
仲のいい親子を「友達のような」と表現することがあります。側から見たら、我が家もそんな友達親子に見えるのでしょうか。
けれど、母は「どんなに仲が良くても親は親。友達ではない」と明確に言葉にして一線を引き、馴れ合いを牽制する人でした。また、反抗期には「反抗期だからといって、親に対して反抗していいわけではない」とかなり強く(こちらが何か反抗する前に)釘を刺してきたものです。
仲はいい。けれど、そこには明確な関係性があり、我が家のルールは母でした。
今思うと、母はそれなりのプレッシャーを抱いて子育てをしていたのではないかなと想像します。祖父母からも「ああすべき、こうすべき」「成績が」など言われていただろうし。また母自身が「自分の親はこうだった。それを反面教師にして自分はいい親になろうとしている」といったことを話していたこともありました(子どもである私には、それが重荷だったのですが)。
そんなだから、一時期は母に対してさまざまな不満や反抗心を抱いていたこともあります。でも今は、なんやかんやで親ってすごいなと思います。
どちらかといえば苦手で嫌いな裁縫もして、ワンピースを作ってくれた。料理だって好きではないのに、毎日しっかり作ってくれた。専業主婦だったのに、子どもの習い事の費用のためにバイトを始めた。子どもが私立の中学に入れば、学費のために、特に好きだったわけではない看護師の仕事に再就職した。
母はそれらのことを大したことではないようにやって、話すのですが。でも、大したことのはずだと思うんです。
だって私は、母が私を産んだ年齢を2年前に越えてしまったけれど、いまだに自分のことで手一杯、部屋だって荒れ放題なんだから。他人の世話どころか、自分の世話ができていないのに。今の私が同じように母親をできるかと言われたら、やる状況になったらやるんだろうけども、でも大変だなあと思うのです。
実は20代中頃は、母に対して「本当はこうしてほしかった、これに気づいてほしかった」など不満だらけに拗れていました。でも、母が私を出産した年齢になった途端にふとそれらは萎んでいきました。なかなか0にはなりきらないけれど、でも「子育てだって初めてで、今の自分と同じくらいだったのだから、仕方ないじゃん」って。そう気づいた途端に、その母にあれやこれや不満をぶつけたり求めたりするのが、アホらしいというか、自分がみみっちく感じたんですよね。
むしろすごいなあと。よく2人も育てたなあって。
私は臆病だから。きっと私なら、自分かわいさに怖気づく。母はどうやって自分を奮い立たせたんだろう。
そういう話をすると「やるしかなくなったら、やるものよ」と母はこともなげに言うのですが。それはきっと、もうすんだことだからそう言えるんだよね。