勝手な解釈で書いてはいないか
今日、こんなニュースを見かけました。
ウクライナ避難民の女性がウクライナ語とロシア語のミックスで話していた箇所の字幕が、意図的な改変であり、女性が話していた内容と異なるという指摘です。
このニュースを見たとき、私は胃が冷えるように恐ろしくなりました。
「プロパガンダだから」「報道機関が機能していないから」ではありません。
もちろんそれも恐ろしいのですが、それ以上に「近しいことを、自分も知らず知らずのうちにしているかもしれない」と、一人の書き手・編集者として恐ろしくなったのです。
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私は冒頭記事で指摘されている動画そのものは見ていません。見ていたとしても、残念ながらロシア語もウクライナ語も分からないので、字幕が正しいのか、指摘が正しいのかは分かりません。だけど、改変されていたのはあり得ない話ではないでしょうし、おそらく指摘の通りなのだろうと思います。
女性の話と字幕の内容が異なっていたとして、それが起こった理由は大きく3通り考えられるのではないでしょうか。
1:通訳者が誤訳orニュアンスを和らげようと意図的に改訳した
2:メディアが意図的に改変した
3:メディアが意訳の範囲だと考え、良かれと改変していた
最初に冒頭の記事を読んだとき、私は「3」あるいは「限りなく3寄りな2」ではないかと思いました。つまり、字幕をつけた担当者には、「平和主義的な意図による改変をしている」という意識がなかったのではないか、と。
実際のところは分かりません。「1」「2」の可能性もあるし(報道機関として「1」ならポンコツ、「2」は言語道断)、どれかに明確に分かれるものではなくて、少しずつ入り混じっていたり伝達ミスだったりするかもしれません。内部構造も担当者も知らない私には、「知らんけど」をつけるしかありません。
けれど「3」が起きる可能性は、情報の発信者になる人も、受取手側も、意識しておいたほうがいいのではないかと思うのです。
そしてそれは、ウクライナ情勢や報道に関わらず、どのコンテンツでも入り込んでいる可能性があると思っています。なぜなら、私自身が「自身の解釈で良かれと文章に手を加えているかもしれない」と思い当たることが、あるからです。
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私はクライアントの製品導入事例などを制作しています。
難しいのが、薬事の観点で言えないことや、他社や他製品を下げている(誹謗中傷)と捉えられてしまう点がないように気をつけなければならないこと。もしNGに当たりそうな箇所があれば、表現を和らげたり、NG表現を回避できるように編集したり、どう調整しても難しいときは該当箇所をカットしたりします。
ほかにも、インタビュー時の話が前後して分かりにくい箇所を大きく編集することがあれば、情報が不足している箇所は文脈から解釈したり調べたりして補足を加えることもあります。
それ自体は必要なことだと思っています。もしそういった編集が必要ないのであれば、ただ書き起こしを少し整えるだけにすればいいのだから。
ただ、編集には必ず書き手・編集者の「解釈」が入り込みます。インタビュイーの発言に根拠のある解釈であれば問題ないですが、それが自身の偏ったバイアスによるものだとしたら……。
もちろん書き手として根拠のある解釈・編集になるように、できる限り意識しています。だけど、「100%大丈夫か?」「本当にバイアスは掛かっていないか?」と自分に問えば問うほど、ほんの一欠片の不安が顔をのぞかせるのです。
だって、バイアスって、自分でも気づかないうちに掛かっているから、バイアスって言うんでしょ?
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いわゆる報道と他のコンテンツは、ものとして性格が異なりますし、個人のブログや創作物でそこまでピリピリと知らず知らずの勝手な解釈を恐れて神経を尖らせる必要はないと思います。
私の場合も、クライアントの製品導入事例は、報道とは異なります。それに、公開前に取材を受けてくださった方に原稿を確認いただいているので、基本的には「まったく考えと異なります」ということは起きないはずです。
とはいえ、他人の言葉を編集して記事にしている者として、自分の勝手な解釈や意図で言葉を改変したり、取材相手に意図したセリフを言わせたりしていないか、いま一度確かめなければと思った一日でした。