感情の記憶と、広島と長崎と。
昨夜(4/30)から大阪の実家に帰省しています。今日は高校時代の茶華道部の友人と梅田でご飯でした。
私も含めて女子4人、男子2人で、長期休暇には恒例のように集まる6人組。高校時代から卒業旅行も6人で温泉旅、その後も年一回程度みんなで旅行し、年末年始には必ず集まるという仲の良さです。でも、連絡を取り合うのは互いの誕生日や長期休暇、たまたま大阪組が東京や札幌(一人は札幌在住)に行くときくらいというサバサバさ。
私はこの距離感がとても気に入っていて、つかず離れず干渉しすぎずだからこそ長く続いているし、呼吸が楽にできる相手なのだと思っています。
今回は2人都合がつかず、予定の合う4人だけで牡蠣を食べることに。19時スタートで2時間たっぷりと牡蠣とワインを堪能。その後移動して珈琲とケーキで1時間。飽きることもなく、話題が尽きることもない。沈黙していても誰も気まずいと感じない。贅沢なひとときでした。
・・・
帰りは電車が途中まで同じ男子と一緒に、のんびりと会話を続けました。明日、広島に一人で旅行に行くと話していた彼。車と運転が好きで、クラシックカーを持っている人です。
「広島、車で行くんやんな?」
「そうそう」
「広島の、どこ行くん?」
「宮島やね」
「へえ〜! 広島は2回行ったことあるけど、宮島はないなあ。行ってみたいな」
「そうなん。ええとこやで」
「日帰り? 一泊?」
「日帰り」
「え、運転して?」
「そうそう。行きが6時くらいに出て、帰りが8時くらいになるかなあ」
これにはさすがに驚きました。おい君、その前日に梅田に出てきて飲んでていいんかいっ! なぜそんな日帰り旅をしようと思うんや……。
「運転が、片道5時間くらいかな」
「それで自分で運転して日帰りってチャレンジャーやな」
「ははは、確かに、結構やね」
「まあ、運転好きやから、その時間も楽しみなんやろうけど……」
「そやね」
「でも、気をつけてな。特に帰りの運転」
「そやね」
いや、「そやね」で終わらせてしまうのか……この人、普段からそんな旅をしているのだろうか……おっとりして見えて、結構な勢いある人なのかもしれん……なんて思っていると、向こうから聞いてきました。
「廣瀬さんは、広島のどこ行かはったん?」
「市内。原爆ドーム、えっと平和記念公園。2回行って、2回ともやね」
「逆にそっち行ったことないわ。そのうち行かんとなと思ってるけど」
そういう彼に、驚きました。
「え、修学旅行、広島じゃなかったん?!」
「違うたよ」
私は、関西の小学校はみんな修学旅行は広島で平和学習なのだと、今日まで思い込んでいたのです。でも、京都出身の彼が違うという。思い込みだったのだとはじめて知り、驚きました。
「そうなんや。関西はみんな修学旅行は広島なんやと思ってた……」
「ははは」
そのまま会話は広島のことに。ちょうど先日、小学校の修学旅行で見た景色と星空について書いたこともあり、滑らかにことばがつながります。
「私、2回行ったけど、新しくなった資料館はまだ行ってないねん」
「そういえば数年前にリニューアルしとったよね。確か人形が」
「なくなったよ」
「ケロイドのやつやんな」
「そう。私が修学旅行で行ったときはまだその人形あったからさ」
「うん」
「怖かった。あの人形の展示が、なんでか分からんけど、一番怖かってん」
「うん。なんで撤去されたんやろ」
「それが、大人になってもちゃんと記憶や情報として残っているのは、人形じゃなくてさ、現物展示や本物の写真やねん」
「そっかあ。そうなんやね」
「だから人形やめて現物や写真を中心にしたのは、そういうことやと思う」
「うん」
「でも、感情の記憶として残ってるのは、あの人形を見たときの恐怖やねん」
「ああ」
だから私は、大学時代2度目の広島訪問で、資料館に入らなかった。その気になれば行けたのに、時間がない・混んでいると理由をつけて資料館へは近寄りませんでした。
「リニューアル後に行った人は、みんな一度見に行くべきだって言うんよ」
「うん」
「頭ではそれも、人形はもうないことも分かってるんやけどさ。感情の記憶って、強いね。行く機会もあったし平和記念公園まで行ったこともあるのに、やっぱりあの怖さが前に立って、行かないようにしてるなあって」
「そういうの、あるよね」
「でも、やっぱりちゃんと一回、行きたいとも思うんよね」
「うん、行きたいな」
ここで広島の話題は終わり、仕事の話や残りのゴールデンウィークの過ごし方の話になりました。
・・・
こうして広島の話をしたり、読んだり聞いたりした日には、必ず思い出す人がいます。
幼少期、社宅でお世話になった近所のおばちゃん。九州出身の方でした。修学旅行から帰ってきていろんな話をしていたとき、ふと彼女がこう言ったのです。
「いつか、長崎にも、来てね」
笑っていたけれど、どこかその表情と声が寂しそうというか、悲しそうというか、悔しそうというか……切ない気がして、記憶の片隅にずっと貼り付いています。
その場はあまり何も考えず、元気に「うん!」と返答。それから「うん!」と答えたから、いつか行かなきゃなと思いました。
当時は「原爆については広島の資料館で見てきたばかりなのに、なんで帰ってきて早々長崎って言ってくるんだろう?」と不思議でした。だけど、少しは大人になって、あのときのおばちゃんの切ない感情を、今はほんの一端でも想像できる気がします。
それでも、大人になった今でもまだ、長崎の平和記念公園は訪れたことがありません。
広島のリニューアルした資料館に行かなきゃと思えば思うほど、長崎にも行かなきゃと責任感が迫ってきます。
・・・
2022年。核兵器が「もう使用されることはないであろうもの」ではなくなりました。今のところは使用されていないですし、一時期より核兵器使用可能性の緊迫感は下がったように日々のニュースなどからは感じます。でも、本当に打ってくるかもしれないという状況だったとき、こう思いました。
『広島・長崎からもっと学んでほしかった。でも、そう言っている私も学びに行っていない。まずは自分が、行かなきゃ』
向こう2年のうちに、広島と長崎、どちらも行く。今日、そういう目標を立てました。長崎は波佐見旅行もセットにしよう。
そろそろ、感情の記憶を越えて、知識も思慮もついた今の私で、感じに行ってみたら、いいよね。
▼小学校の修学旅行の記憶を書いたnote
▼田中泰延さんが2020年に広島へ行かれた記事
私はこれを読んでから「やっぱりリニューアルした資料館、行かなきゃ」と強く感じるようになりました。尾道のご出身であるお父さんのお話、広島城、資料館、原爆ドーム、そして核兵器をめぐる現在の矛盾と未来への願い。必読記事です。
▼幡野広志さんが2021年夏に広島へ行かれた記事
まさに8月6日の式典に合わせて広島を訪問された写真家の幡野さん。モノクロ写真で写す広島の姿に、現在と過去の時間の壁が融解し、より原爆投下が現実に起こったことなのだと想いを巡らせることになる記事です。当時を経験された方の貴重なインタビュー音源も冒頭動画に収められています。