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まどろみのダンス

「で、廣瀬さんはどうするの?」

 レッスン終わり、汗を拭いて水分補給をしながらほかのレッスン生たちと話していると、先生が話しかけてきた。いつになく真剣で、突き放した目をしている。

「え……」

 どうするって、何のことだろう。どう答えればいいのだろう。困惑している私の様子に、先生はわざとらしくため息を漏らして、言った。

「あなた、最近レッスンにはきていても、熱が全然入ってないでしょう。そういうのは、ほかの人にとって、迷惑なの。辞めるの? 本気になるの? どっち?」

 それまでおしゃべりでざわざわしていたレッスン場が、急に水を打ったように静かになった。耳の奥で「迷惑」という言葉だけが木霊する。ああ、私は迷惑な存在なのか。

「来週の中間発表会までに、決めておきなさい」

 そう言って先生は颯爽とレッスン場を去った。

「わ、私、廣瀬さんが迷惑だなんて思ったことないからね……! なんかうまくいかなかったり悩んだりすることって、きっと誰にでもあるし。スランプっていうのかな」

 小柄なボブヘアーの女の子が、おどおどしながら話しかけてくる。励ましてくれているのか。あれ、そういえばこの子、なんて名前だったっけ。

「迷惑だよねー。だっていなかったらさ、その分、私たちが見てもらえるんだよ。レッスン時間泥棒じゃない?」
「まあさ、迷惑とかも思わないくらい、レベルが違うけどねー」

 少し離れた窓際で、わざとこちらに聞こえるように話している2人組。まあ、そうだろうな。それが正直な考えだと思うよ。

 ボブヘアーの子が「そ、そんなことないからね! 気にしなくていいよ!」とがんばってフォローしようとしている。そんながんばらなくて大丈夫だよ、私、傷ついてないから。当然だよなって思っているから。それよりも、なぜかフォローされるほうが痛かった。

・・・

 研修所に入ったのは、一年前の春。ただダンスが好き、それだけで研修生になった。毎日のレッスンは厳しかったけれど、ダンス漬けの日々は楽しかった——最初のころは。

 そのうち周囲の競争が激しくなってきて、やっとここがただダンスを楽しむだけの場ではないと気づいたのだ。みんな、プロを目指している。食うか食われるか、その中で自分の技術を磨き、上に立とうとしている。友達なんて、いなかった。

 私は、プロになりたいとかデビューしたいとか、そんなことは考えていない。ただなんとなく、ダンスを楽しみたかっただけなのだ。少しずつ、レッスンが億劫になった。

 そこで投げられた、先生からの選択。残りの研修生期間は2年。どうしようか。

 それからの1週間は、ずっとモヤモヤとして迷い、まったくレッスンに身が入らなかった。先生は冷ややかな目で、私を観察していた。

・・・

 中間発表の日。レッスン場の中央に一人ずつ立ち、順番に共通の課題を披露していく。同じ音楽、同じ振り付けの中で少しでも自分の得意を見せようと、体が柔らかい子は足をほかの人より高く上げ、回転が得意な子は振り付けよりも一回転多く回っていた。

 先生は何も言わずに彼女たちのダンスを見て、手元の評価シートにメモをとっていく。課題が終わると「はい、ご苦労様」と一言だけ発する。いいのか悪いのか、反応が読み取れない声に、研修生は「ありがとうございました」とお辞儀をしてそそくさとはけていく。

 ああ、楽しくない。緊迫している。ダンスって、こんなびっくり自慢大会だったっけ? もっと楽しく、みんなで音楽を遊ぶものじゃなかったっけ?

 どんどん、私の中のダンス熱が冷めていくのを感じた。

・・・

「次は……ああ、廣瀬さんね」

 順番が回ってきたらしい。「はい」と小さく答えて、中央に出た。

「決めてきたのかしら?」

 先生の投げかけに、曖昧に笑って小さく首を傾げてみせる。こんな反応、先生もほかの研修生も呆れるに違いない。わかってはいたけれど、今はそれしか返せるものがなかった。

「まあ、いいわ。はじめて」

 先生の合図で曲がかかる。ゆっくりと腕を動かしながら、決められた振り付けをたどりはじめた。

——ああ、楽しくない。これって、ダンスっていうのだろうか。踊っていない。体も心も、踊っていない。ただ振り付けを機械のようになぞっているだけじゃないか。

 そう思った途端に、頭の中から次の振りが、消えた。わからなくなった。代わりに、さっきまでよりずっとクリアに音楽が耳に届く。ああ、リズムが聴こえる。グルーブが聴こえる。

 私は振り付けを捨てた。そのまま、ただ感じるがままに音楽に身を乗せてリズムを刻み、好きに踊り出す。予定になかったパントマイムやアクロバティックも入れ込んでいく。

——ああ、楽しい。これが、音楽を感じるってことじゃないか。これがダンスじゃないか。これが、生きるってことじゃないか。

 急に勝手をはじめた私の様子に、ボブヘアーの子がオロオロしているのが見えた。先生が怒って私のことを弾き出すのではないかと気にしているのだろう。嫌味な2人組は、口をあんぐり開いて「信じられない」という表情をしている。ヤケを起こしたと思われているのかな。

 不思議だ。いつもより周囲がクリアに、そして静かに見える。いつもより見えているのに、いつもほど気にならない。音楽に身を委ねて全身で動きながら、でもいつもより冷静で、時の流れがゆっくりだ。

 先生は変わらず冷たい刺すような眼差しで、私のことを見ていた。けれど、途中で止めようとはしない。最初はただ驚きでシンとしていたレッスン場も、なぜ先生は止めないのかと、ザワザワした空気が広がっていった。

——こんなにザワザワしていたら、せっかくの音楽がもったいないじゃないか……。

 ふっとレッスン場の中央で止まり、いきなりダンッと大きく足を踏み鳴らす。研修生全体がビクッと驚き、私に注目した。

 そのまま、タップダンスのステップを踏みはじめる。タップシューズではないから、本来の音は出ない。その分、より力強く床を踏み叩く。ダンッダンッと、要所要所の音が迫力を増す。鳴り切らないポイントも、ここにいる人たちはきっと、ステップを見たら耳の奥に音が聴こえてくるはずだ。

 曲のクライマックスに向け、より大きく、より激しく動いた。そして私の課題は、おおよそ元の振り付けとは別物のプログラムに変わって、終了した。

 音楽が止んで、世界に静寂が訪れた。自分の呼吸の音だけが聞こえてくる。

——ああ、楽しかった。

 気持ちのいい汗が滝のように流れた。スッキリした。後悔は、なかった。

・・・

 周囲のざわつきが止まらなかった。私を非難する声、呆れている人、先生がどう対応するのかソワソワする人。小さな混乱状態だ。

 そんな中、急に先生が椅子を倒す勢いで立ち上がった。怒られるのかなあと思ったけれど、不思議と怖くはなかった。

 ところが先生は、興奮して目を爛々と輝かせながら、こちらに出てきて私の手を握り、ブンブンと上下に振り回す。

「廣瀬さん! それよ、それよ! それでいいのよ! ずっとずっと、あなたは踊れていなかった。真面目すぎたのよ。正しくやろうとしすぎ。そんなことよりも、ダンスはまず楽しむことが大切なの。あなた、ここで一つ自分の殻を破ったわよ! そうよ、そういうことなの!!」

 先生の興奮っぷりに、周囲の研修生たちが困惑しているのが見える。こんな勝手をしておきながら褒められるなんて、誰も予想していなかっただろう。無理もない。真剣すぎるのだ、ここは。

「はい、先生、ありがとうございます」

 スッキリした表情でにこやかに返す。もう私に、迷いはなかった。

「先生、1年間、ありがとうございました。私、今日でここを辞めます」

「えっ……」

 固まる先生。ざわつくレッスン場。いちいちうるさいところだ。

「辞めます。私は、ここにいるべき人間じゃない。ほかの人たちみたいに、自分の得意を見せようとか、のしあがってプロになろうとか、そういう野心は皆無なんです。ただダンスを楽しみたかった。最後の最後に、本当にこれがダンスだって心の底から思える踊りができて、よかったです。心残りはありません。長い間、ありがとうございました」

 まるで宇宙人を見るかのような研修生たちの視線を尻目に、私は荷物をまとめてレッスン場を後にした。


……というのは、今日の昼休憩時、30分の昼寝をしたときに見た夢です。やけにリアルだったなぁ。

ちなみに、この夢、ここで終わりではありません。この後、私がレッスン場を出る前に、なぜかおくりバントの高山会長が入ってきて、課題と同じ曲でおよそダンスとは言えないはちゃめちゃな、だけどものすごくかっこいいパフォーマンスをし、最高潮に会場を盛り上げていました。それを見て「いやー、高山さんには勝てないなー。ここにいるみんな、どんなにダンス技術高めたって、高山さんには勝てないよ」とお腹抱えて笑い、キッパリ諦めきってレッスン場を去った……ところで目が覚めました。

なぜおくりバントの高山会長が登場されたのか……(特に知り合いというわけではなく、ただいつもSNSで拝見しているだけなのですが)。でも、なんか高山会長ならあり得なくもないと思わされる不思議。まったく夢だと疑わなかった午後1時です。

なお、私はダンスの研修所にいたことはありません(バレエ教室には高校3年の春まで週一で通っていました)。

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