霙から桜へそして紅葉へ
「この子、可愛いね」
ある週末、私はパソコンの画面を指差しながら夫に言った。
夫がやってきて、私の人差し指の先の、こちらを見ている茶色の雑種犬の写真に顔を近づけて、うなずいた。
「可愛いね」
犬を飼うなら保護犬を引き取る形で飼うということは、私が以前から決めていたことだった。夫婦で話し合って犬を飼い始めることにした時から、私たちは毎日のようにインターネットで里親募集サイトを開いて見ていた。この子もいいね、こっちも賢そうだな。掲載されていた保護犬の写真と短い紹介文の情報を頼りに、私たちは我が家の子になるであろう犬を探していた。
沢山の犬たちの情報を見たけれど、すーっと、まるでスカーフを首から外すときのような滑らかさとスピードをもって私たち二人の「この子がいい」という意見が一致した犬は、この茶色の雑種犬が初めてだった。
サイトの情報を読んでみると、投稿者である保護・預かりボランティアさんが付けたその子の仮の名前は、「みぞれ」だった。
画面からこちらを見る「みぞれ」ちゃんの目は、まん丸で大きくて、でもちょっと不安そうで、その両脇にある垂れ耳がなんとも可愛かった。
早速、サイトを通してボランティアさんに連絡した。お話をうかがって、みぞれちゃんがどういう犬かが大体わかり、譲渡の条件も知らせてもらった。途中で東日本大震災が発生したりしてトラブルもあったが、夫婦で熟考の上、やはりみぞれちゃんを迎えようと決め、ボランティアさんのご自宅までみぞれちゃんとのお見合いにうかがった。出迎えてくれたみぞれちゃんは、「今日はこの私のためにニンゲンが会いに来たのだ」とわかっていたのか、それからちょこまかと家の中を動き回り、引っ張りっこのロープをくわえてやってきたり、先住犬にちょっかい出しては吠え声で叱られたりしていた。みぞれちゃんは興奮が過ぎたのか、途中でおしっこが出そうなしぐさをし、ボランティアさんが急いで庭に出すという、微笑ましい瞬間もあった。
みぞれちゃん。
話は前後するが、彼女が愛護センターに収容された時のことを書きたい。ある町で、ある犬がひとりで外をうろついていたらしい。瓶か何かの収集場所に顔をつっこんだらしく、口の横を切って怪我をした。たまたま通りかかった人が、顔から血が出ている犬を発見した。それが彼女だ。すぐに必要な連絡がなされ、最終的に愛護センターに収容されることになったらしい。その時点で生後約6ヵ月。詳しい経緯はボランティアさんも分からないそうだが、その後、どうやら彼女には飼い主がいることが判明。連絡は着いたようだが、飼い主はついぞセンターに自分の犬を迎えに来ることがなかったそうだ。そうしているうちに、彼女はセンターの最終部屋に入って、わずかな奇跡を待つことになった。最終部屋とは、つまり「もうその隣には部屋がない」ということだ。
定期的に愛護センターに通い、そこにいる犬たちの世話をしていたボランティアさんが、ある冬の日、最終部屋にいる彼女を見かけた。同じ部屋にいた他のどの犬たちよりも奥の方で、隅っこに小さく小さくなっている女の子。ボランティアさんはその犬の写真を撮った。それがこの記事のカバーとして載せた写真だ(ボランティアさんには使用の了解をいただいている)。
ボランティアさんは、彼女を引き出そうと決めた。まずは自分の犬とするための手続きを済ませて、それからセンターから彼女を連れ出し、自分の車に乗せた。自宅へと連れ帰るその日は、それは寒いみぞれ交じりの天気だったそうだ。そこで、彼女は「みぞれ」と名付けられた。
………
やがて、私たちが住む東京に春が来た。桜が満開になる頃、我が家の前に一台のワゴン車が止まった。ワゴン車から降りたボランティアさんが後ろのドアを開け、中に手を伸ばすと、リードを付けた犬がひょこんと飛び降りた。みぞれちゃんだ。おどおどする様子もなく、我が家にそのまますうっと入ってきた。譲渡の手続きを済ませてボランティアさんが帰っていくときの見送りでも、私がまだ緊張したまましっかり握るリードの先で、彼女は後追いの様子を見せるでもなく、鳴くでもなく、鳩が飛び去るのを見るのと変わらないくらいの淡々とした表情で車が点になるのを見ていた。お見合いの時のあの張り切り具合とは違う、何かもっと深くにある不安や絶望のようなものが、ちらりと見えた気がした。
大丈夫だよ、はな。
私たち夫婦は、彼女を「はな」と名付けていた。よくある名前だけれど、そこら中が薄いピンク色で彩られていた季節にやってきた犬に付けるには、ぴったりな名前だと思ったのだ。
はなは、私たちが里親になった時点で生後約8ヵ月。この家で暮らし始めてから、室内でのおしっこの粗相が3回ぐらいあった程度で、物を壊したり、噛んだり、吠えたりという問題がほとんどない、手のかからない犬として育った。食べ物は何でもしっかり食べるし、当初使っていたケージの中でもおとなしい。犬を飼うのが初めての夫には、それがどんなことなのかピンとこなかったようだが、実家で二匹の犬と過ごした経験のある私にとっては、何か拍子抜けするような感じもあった。
いわゆる「いい子」なのだけれど、とにかくお顔が可愛いのだけれど、何かひっかかる。一言でいえば「ただ夢中で生きている」という印象だ。
振り返れば、1歳にもなる前に、センターでの寒さや恐怖、移動、知らない家での暮らし、また、移動、そして我が家での暮らし、と立て続けに経験したのだから、自分を守ること、自分を生きさせることで精一杯だったのかもしれない。
さて、家にやってきて数ヵ月した頃、はなが初めて下痢と嘔吐をした。慌てて動物病院に連れていったところ、幸い大したことはなかった。来客が続いたことを獣医に報告すると、それで興奮したのだろう、様子をみれば大丈夫ということであった。注射1本打たれたはなは、家に戻ると、ソファのそばで丸くなった。
その晩、私は、自分の布団に少し隙間を作って、「はなちゃん、おいで」と呼んでみた。初めてのことだ。それまでは、はなを開放したケージの中で寝かせていたけれど、自分が子供だったら体調が悪くて不安な日は母親に甘えたいだろうと想像したからだ。
「はなちゃん、おいで」
忘れもしない。はなは、呼ばれてすぐに、躊躇なく、私の布団の中に潜り込んできたのだ。軟らかいビロードのような毛の感触。独特の匂い。温かさ。ああ、もっと早くこうしてあげていればよかった、と悔やんだ。実家で飼っていたテリア犬といつもこうしていたっけ。私は大事なことを忘れていたんだな、と腕に顎をのせているはなを撫でながら思った。
それからはいつも私とはなは一緒に寝て、一緒にゴロゴロして、膝に抱っこして、甘えさせる日々。ただ、夫も私も自分からしつこく構わない。はなが甘えたり遊んだりしたそうなときは、たっぷりお相手した。私はフリーランスで家で働いているので、その点は無理なくできた。はなはどんどん笑い、どんどん表現豊かになり、ますます可愛らしくなった。
「ああ、これで、もう大丈夫。保護犬だってこんなにいい子で、問題もなくて、世界でたった一頭の雑種犬で、しかもとっても可愛い。私は里親になってよかった。無事、うまくいった」
私は、そんなふうに「うぬぼれて」いたようだ。
それを思い知らされる出来事は、夏を越えてすぐ、秋のある時から始まった。
はなが突然、歩けなくなったのだ。子供を極端に怖がるようになった。集団で下校する中学生たちの大きな話し声などを聞くと、リードをぐんぐん引いて逃げようとする。あまりの引きに、ぜいぜいとした息をする。これまでどんな時間の散歩も問題なくできて歩けていたのに、どうにも怖くて仕方がないようだ。
我が家は夫婦ふたりの静かな暮らしだ。散歩中に子供たちに無理矢理はなを触らせたり、賑やかなイベント会場のようなところへはなを連れて行ったりしたことは一度もない。強いストレスをかけるような出会いや接点はなかったと断言できる。
早朝の散歩は、人が少なく、大好きな犬たちには会えるので、秋になっても相変わらず楽しそうに歩いていたし、家の中の様子も変わらない。だが、午後には、家の門から外へ出ようとしなくなった。やがて、家を出た途端に足がぶるぶると震えるようになった。
途方にくれてあれこれと犬やしつけに関する情報を検索した。知り合いになれた獣医さんに質問したり、犬のストレスマネジメントを重視するトレーナーさんにも見てもらったことがある。それらの結果として私が想像したことは、はなにはトラウマのようなものがあること、怖いという感情が表面に出てきていることだった。
一緒に仲良く眠ったり、家のどこでも自由に移動させて、好きに寝かせてと、そんな風に暮らしている間に、みぞれちゃんの氷のように張りつめていた何物かが解けて、本当はすごく敏感で甘えん坊で怖い物がたくさんある犬が現れたきた。そういうことなのではないか。その原因を知ることはできなくても、もしもその推察が合っているならば、とにかく恐怖を一つずつ消していくしかない。
秋が深まり、あちこちで黄色、オレンジ、燃えるような赤の木の葉が見られるようになった。そうして、私は、午後ははなを抱いて家の近くを歩くようになった。当時の体重は何キログラムだったろう。11、12キログラムにはなっていたと思う。カートに乗せようにも、カートすら怖がってしまい使えない。近所をちょっと回ってみるような散歩には、抱っこしか方法がなかった。
はなは抱っこには抵抗がなかったようで、自ら右足をちょっと持ち上げて「頼みます」というように横目で私を見た。私は彼女を抱き上げ、歩き出す。途中で地面に下ろして、自分の腰に手を当てて、ふうっと深呼吸しながらまたはなを抱き上げる。そうして、2ブロックくらい、畑の脇や空き地を選んでゆっくり歩く。おトイレをしたら、そこで水を流す。抱き上げる。そのまままた歩く。はなは、緊張した顔で周囲を見る。子供たちの下校の時間は避けていたけれど、それでもたまに幼い子がはなを見つけて、「ママ、おっきな、わんちゃん!」と高い声でこちらに走ってくると、はなの全身がぎゅっと緊張するのが、抱っこする腕に伝わった。
犬を抱っこしている私は、その姿を通行人たちによく笑われた。近づいてきて、犬の具合が悪いのか、怪我したのかと心配してくれる人もいた。甘やかしすぎだ、と指摘してくる人もいた。私はそのたびにできるだけニコニコして、平静を装って、はなの耳元に「大丈夫だよ」と呪文のように、子守歌のように小さく囁きながら、歩き去った。
でも、家について、玄関から上がってはなを床に下した途端、ぽろぽろと涙が出てくることも何度もあった。その横で、家の中に入っていっていいのか、私のそばにいるべきか、悩みながら立っている若いはなの様子を、今でも覚えている。
これは、私の学びだな。
涙を拭きながら、そう思った。
覚悟しなくちゃ。そう思った。
サラリーマンの夫は、週末は車を出して、はなと私をあちこちに連れて行ってくれた。はなもやはり犬。自然の中が大好きだ。遠出したり、犬連れで泊まれる宿に行ったときは、見違えるような元気の良さで、どんどん歩き、がんがん走り、生きているということを満喫しているように見えた。当時、お金のことは後でどうにかなるさと、犬連れ旅をたくさんしたことは、私たちにとって最善の選択だったと思う。
今も、はなは、いわゆる「びびり犬」だ。それでも、午後も夕方も、必要があればちょっと外に出て一周歩くぐらいはできるようになった。早朝散歩が大好きなのは相変わらずで、夜の短い短い散歩も気に入っているらしい。この前の満月は三人でゆっくり歩きながら眺めた。「ハンターズムーンっていうんだよ」とはなに教えた。多分、猟犬の血も少し入っているであろうはなは、残念ながらその意味は分からなかったらしく、地面の匂いを嗅いでいた。
はなは来年、推定月齢から考えると、夏に13歳になる。年月は早いというのは本当だ。彼女は今も、朝は1時間か、あるいはもうちょっと、しっかりと散歩する。途中で神社に参拝したり、大きな公園で遊んだり。優しい子なので、犬の友達も沢山できて、他の飼い主さんやご近所さんにも大変可愛がられている。ありがたいことだ。
私は、はなを抱っこして歩いてから、何かが変わった。笑われるくらいなんだ、と強くなった。既存の価値観とか正義感とか常識とか、そういうものに以前ほどとらわれなくなった。物事は一見しただけでは分からない。何がその奥にあるか分からない。だから、とりあえず、目の前のことは、あって良し、として受け止めてやっていくしかない。これらは「はな先生」から学べた貴重なレッスンだ。
はな、ありがとう。願わくば、あと数年、できれば、それよりさらにあと数年、私たち夫婦と一緒にこの世を過ごしてください。