骨盤骨折。Part.40
半荷重。
手術から4週間経った。
今日から、左足への荷重は体重の半分。39kgになる。
リハビリ室の平行棒。
床に置かれた体重計に左足を載せて、恐る恐る体重をかけていく。
昨日までの最大荷重。26kgを越えた。
ここからは、未知の領域だ。
一気に13kg。怖いな。
左足全体にカミナリが落ちるような痛みが、いつ走ってもおかしくない。
ふくらはぎの筋肉が張り詰めて、熱くなっていく。
筋肉の繊維一本一本が、精一杯張り切ってるのがわかる。
30kg。35kg。もう少し頑張ってくれ。
38kg。39kg。
いけた!
「いけましたね。ゆっくりと、戻しましょう。」
緊張の表情で見守っていたT塚さんの、嬉しそうな声だ。
少しづつ、荷重を抜いていく。
張り詰めた筋肉が解放されて、緩んでいく。
代わりに、膝から下に痺れたような感覚が走る。
長く正座した後の痺れとは違う違和感だけど、他に表現しようがない。
やっぱりこれも「しびれ」なのかな。
上手く言えないけど、とにかく39kg。荷重できて良かった。
ホッとする。
リハビリ室から病室に戻る途中、車椅子で台に上がってる人がいた。
何してるんだろう。
車椅子のまま機械の間に入って、スイッチを押してる。
体重計みたいだ。
僕も測ってみよう。
測定した重さから、車椅子の重量を引く。
69kg。
えっ?
9kgも減っていた。
確かに左足は細くなってるし左の尻肉は落ちてるけど、そんなに減ってたんだ。
怪我する前の体重でリハビリしてたから、1/2で39kg荷重したけど、34.5kgで良かったんだ。
びっくりしたけど、自信にもなった。
PTさんの計画より多く荷重できてるってことは、リハビリは順調なんだよな。良かったことにしよう。
病室のベッドに戻って、仰向けに寝る。
左足の痺れは残ったままだ。
そのうち消えるかなと思ってたけど、消えない。
夜になっても、しびれたまま。
やっぱり、荷重しすぎたのかな。
今更、考えてもしょうがない。
大丈夫。きっと、だいじょうぶだ。
レントゲン。
毎週火曜日は、レントゲンの日だ。
車椅子で、X線検査室に向かう。
昨日初めて39kg荷重してから、左足の痺れが続いてる。
大丈夫かな。
腰と背骨のプレートがズレてたら、元の大学病院に戻って再手術だ。
全身麻酔の痛み。術後の激痛。
嫌だな。
先生が病室に結果を知らせに来てくれる夕方が待ち遠しい。
大丈夫かな。
「〇〇さん、レントゲン見ました。ズレてません。大丈夫です。リハビリ頑張って下さいね。」
ありがとうございます。
よかった。
とりあえず、安心した。
これでまた、頑張れる。
眠れない夜。
病院の夜って、どうして眠れないんだろう。
白い天井を見上げながら、考えてみる。
ひとつは、この痛み。
墜落の衝撃で潰れた背骨にはセメントが詰められて、上下の骨にボルトで固定されてる。
2つに割れた骨盤は、上側を背中側からチタンプレートで留めてある。
骨盤の中心にある仙骨は割れたまま。
折れて上下にズレた下側の輪型の骨は、元の位置に戻しただけ。
接合手術はしていない。
「切開して繋ぐ可能性もありますけど、引っ張って元の位置に戻して、一番大きな骨を繋ぎます。他の骨は繋がなくてもいけると思うんですよね。」
手術前の説明通り、骨盤の接合箇所は上側一箇所だけで済んだ。
手術から1ケ月。
腰まわりが石の塊になったような違和感は消えない。
伸ばされた神経の痛みと痺れは、24時間ずっと続いている。
痛み止めは効かない。
深夜。見回りに来た看護師さんが声をかけてくれる。
「眠れませんか?」
はい。
持ってきてくれた眠剤を飲んでみる。
胃の周りから気持ちが悪くなって、頭が痛くなる。
眠れるならいいかと我慢したけど、結局眠れない。
最悪だ。
「薬を変えたら眠れたって患者さんもいましたよ。試してみますか?」
はい。
飲んで目を瞑る。
違う種類の頭痛。
痛み方が変わっただけ。
やっぱり眠れないよ。
もう、薬に頼るのは辞めよう。
薬が身体に合わないんだから、しょうがないよな。
窓の外を見る。
もうすぐ0時。
遠くに見える大きな吊り橋の照明が消える時間だ。
両側の低い点から一つづつ順番に消えて行って、一番上の点だけが残る。
全部消えた。
と思った瞬間、全部のライトが点いて、フッと消える。
綺麗だから毎日見てるけど、
暗闇になると、やっぱり悲しくなる。
心の明かりまで吹き消されたように、寂しくなる。
日の出まで、あと5時間もある。
長いな。
面会禁止。
入院病棟のエレベーター前の広間。デイルームが閉鎖された。
コロナ感染対策らしい。
新規感染者数が増えたから、院内感染を防ぐために閉鎖。
入口がロールテープで塞がれ、「立入禁止」の紙が貼られた。
赤い文字って、威圧感あるよな。
四角い木のテーブルの周りに4つの椅子。それが4セット。
他には飲料の自動販売機と洗面台しかない。
特に楽しい場所ではなかったけど、
病室とトイレ以外に空き時間を過ごせる唯一の場所だった。
妻との面会もここでしていた。
ってことは、どこで面会すればいいんだろう。
「当面、面会禁止です。」
マジか。
看護師さんの言葉に一瞬、目の前が暗くなった気がした。
この病院の感染対策は、段階的に厳しくなっている。
僕が入院したのは23日前。
その頃から、1Fのレストランは閉鎖されていた。
妻は病室に入れなかった。
洗濯物とか、持ってきてくれた荷物はどうするんだろう。
「ナースステーションで看護師が受け取って、病室へお届けします。」
そんな……。
テレビでは一日中、感染症のニュースが流れている。
一日の新規感染者数。
確かに、この辺りも増え続けてる。
病院で感染者が出たら、リハビリ室が閉鎖されてしまう。
それは困る。
わかるけどさ…。
「奥さんが荷物持ってきてくれましたよ~。」
ありがとうございます。
病室で受け取って、洗い物を入れたバッグを渡してもらう。
暑い中、自転車を走らせて来てくれたのに、顔を見ることもできないのか。
入院患者の楽しみなんて、食事と面会くらいしかないのに。
食べて寝れさえすれば生きられるけど、
新規感染者数が増えてるんだからしょうがないけど、
やっぱり、家族に会えないのは辛い。
たった一つの心の支え。生き甲斐を奪われたみたいだ。
「はいこれ。新しいタオルと下着。リハビリで着る服も入れといたよ。」
ありがとう。暑いのにごめんね。これ洗濯物。
「うん。持って帰るね。リハビリどう?」
痛いけど、左足に39kg荷重できるようになったよ。
「順調だね。頑張って。」
うん。じゃあ、気を付けて。
時間にして1分くらい。
そんなんでいい。
荷物を交換する一瞬だけ、顔を見て声を聴けるだけでいいんだ。
その僅かな時間で、明日まで頑張れる。
それだけでいい、のにな。
貴重な時間って、奪われて初めてわかるもんなんだな。
ドラマで見る刑務所の面会シーン。
小さい穴が放射状に開けられた透明のアクリル板を介して、受刑者と家族が短い会話を交わす。
受刑者の後ろには刑務官。
会話は聞かれてる。プライバシーはない。
別に、そんなんでもいいのに。
それもできないなんてな。
病室で、受け取ったカバンを開く。
洗濯してくれた下着とリハビリ用の服。タオルと本。
ありがとう。
窓の外はもう真夏。
暑いのに自転車で持ってきてくれたんだね。
ごめんね。
せめて、顔を見て言いたかったな。
売店に行くエレベーターで、一緒になったおばあちゃんがこぼす。
「遠くから来たのに、じいちゃんの顔も見れんで帰るなんて思わんかったわ。一目くらい会わせてくれてもええのにな。」
感染症が流行してしまったんだから、しょうがない。
しょうがないけど、家族にとっても面会禁止は辛い。
今、全国の病院で、家族に会えないまま亡くなる患者もいるんだろう。
最後くらい、会わせてくれるのかな。
家に帰れる日を夢見て、痛みや苦しみ、眠れない夜を我慢しているのに、
家族にも会えないまま死ぬなんて…。
寂しすぎる。
医療従事者の皆さんには、感謝してる。
本当は皆、優しいんだ。
会わせてあげられない看護師さんたちも、辛いよな。
同室の入院患者に、看護師さんが話してるのが聞こえる。
「患者さん達がご家族に会えないのは本当に辛いと思うんですけど、私たちもね、病院と家の往復だけです。どこにも行けないし、誰とも会えません。
私達が病院にコロナを持ち込むわけにいかないですからね。」
職場と家の往復だけか。ストレス溜まるだろうな。
ただでさえ大変な仕事なのに。
全国の入院患者の皆さん、医療従事者の皆さん、辛いね。
頑張ろうね。
同室の入院患者。
同じ病室に、新しい患者が入室してきた。
腕にギブス。骨折したのかな。
カーテンの向こうから、看護師さんと話してるのが聞こえる。
先月、腕を骨折してこの病院で手術。
僕と同じように折れた骨をスクリューで留めてるけど、それが痛み出した。
レントゲンを撮ったら、固定したネジが緩んでズレてたらしい。
今日、再手術で入院。そんなこともあるんだな。
明日の手術に奥さんが来るけど、奥さんも呼吸器系の病気で酸素ボンベを引いてる。
外出用の酸素は2時間くらいしかもたないから、長くはいられないって…。
大変だな。
僕の妻も10万人に一人の希少癌で経過観察中だけど、再発せずに5年経った。
最近は、再発の恐怖に怯えることなく暮らせている。
ありがたい。
今は僕が怪我で入院していて、妻が洗濯物を届けてくれてるけど、これって当たり前じゃないんだよな。
これだけコロナが流行ってるのに、二人とも感染していない。
それだけで、ありがたいことなんだよな。
先週入って来たもう一人の同室の患者さんは、手術後に自力で尿が出なくて、排尿の度に導尿してたらしい。
僕も骨盤手術の後出なくて1回だけ導尿したけど、辛かった。
もう2度としたくない。
あれを毎日しなきゃならないなんて。辛すぎる。
骨盤骨折は、排尿に障害が残る場合が多いらしい。
1回の導尿で済んだ僕は、とてもラッキーだったんだ。
ありがたい。
今、感染症が流行して、日常生活ができなくなってる。
重症になると呼吸ができなくて、ベッドで溺れる…とか。
命を落とす人もいる。
収入が半減した人。仕事がなくなった人もいるんだ。
そんな中、僕は趣味で勝手に怪我して、多くの人に迷惑をかけた。
助けてもらってるんだ。
家族に会えないくらい、辛いうちに入らないよな。
頑張ろ。
※2020年6月。骨盤骨折&腰椎圧迫骨折した時のリハビリ体験記です。よろしければ、下記ブログへお立ち寄りください。
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