消えてしまう言葉たち

10代でネットを使えるようになってからずっと、ちょこちょこ自分の思いを書く機会を作ってきてた
書くことが私の唯一の表現だと思ってた
それが近頃では、Twitterをメモ代わりに使う以外はもうすっかりまとまった量の文を書けなくなっている

私の中はすっかり枯れ果てて、インプットすら満足にできず悔しい思いばかりをしている
瞬間的に反応することはできるけど、そこから何かを、特に架空の何かを一から作り出すことに以前よりももっともっとエネルギーが必要になっていると感じている
今はただ、誰にも迷惑をかけずにやり過ごして可能な限り早く死にたいと(もちろん迷惑や事後処理を残さず)願うばかりです

自殺願望は一様に危険とか異常とか言われるけど、私にとっては救い
いつかこの生活から必ず解放されると思えることが、どんなに安心することか

近頃は凄惨な事件や事故のドキュメンタリー、手術の動画(特に脳外科分野)を見て気持ちを落ちつけている
うまく言えないけど、人間の構造や人体の仕組みを知っているといざという時役立ちそうな気がする
ドキュメンタリーは、私の想像の到底及ばない人間の死の可能性をたくさん見ることができるので好き
特に事故で恐怖を感じる時間が残っているときは、自分がその場にいたら感じるであろう恐怖に想像をめぐらせる
そのときの少しの苦痛とよく分からない心地よさ、快感を実際に欲しいと思う
事件は犯人が凶行に至るまでの人生、心理、事件後の言動や思考が興味深い
私は汚くておかしい人間なので、きっと犯人に近い
だから私の中の狂気の可能性を考えて少しわくわくするのです

誰かが心穏やかに、一切の不安もなく生きていけたらいいなと願う

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