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航空機とそれを好きな私

地上のいろいろなものに雁字搦めにされていた私にとって、その存在はまさに青天の霹靂だった。
航空機。
幾人ものひとびとに許され、造られ、守られ、そして唯一無二の手段としてその空を泳ぐもの。
今まで身近にあったにも関わらず、私はその存在にまったく目を向けていなかった。
やりたかったゲームの「おまけ」としてACE COMBAT 6と出会ってから、私のなかでの航空機という概念はどんどん膨らんでいった。
人を殺めるため、人が持ちうる技術と知恵を乗せられ、それでもなお誰かの希望と成りうる軍用機。
彼らに出会ったものたちの物語。
ACE COMBAT 04、5、ZEROを通して見たアンバランスで不完全で美しいそれらの世界に、私は心を奪われた。

必要以上に制約をもたされ、それでも自らの足でようやく歩いてみようかと思ったそのときにそれらはとても魅力的だった。
成果を出さなければ許されず、自分の意志は持たされず、他人の顔色を伺い過ごす毎日には、空を駆け巡りさまざまな手段を駆使して任務のために力を尽くす彼らが、私の道標となった気がした。
こんなふうに、生きる道もあるのだと教えてくれた。
ACE COMBATシリーズに登場する人物たちもまた、私とはほとんど真逆のような言動をしているような気がする。
私語の多い僚機。それを何度も叱る空中管制官。戦時中に銀行強盗をたくらむ地上友軍。どんな機体でも打ち上げてしまう空母のクルーたち。
彼らを見ていると、こんな無茶をしても存在していていいのだと、ほっとすることが多くある。
殺人は違法なのに、軍用機で殺めた軍人(場合によっては民間人も)はカウントされない。
それなのに科学技術の粋を集めて作られた存在。
不確かであいまいで、でも圧倒的な力でそれをねじ伏せる存在。
私のなかには、そんな存在は今までまったくなかった。だから、引き込まれた。

昼夜問わず、私はACE COMBATの世界に没頭した。長崎県に生まれた私は、戦争は怖いもの、よくないもの、二度としてはいけないものという教育をずっと施されてきた。
だからこそのカタルシスなのかもしれない。
戦争に、こんな楽しい部分、美しい部分があるなんて知らなかった。
僚機を失った日には泣いた。
最後の任務を終えたときは、清々しい達成感をおぼえた。
BGMを一日中聴いて、ミッションの数々を思い出してはまたプレイしたいと思った。
ネットでさまざまな同士を見つけて盛り上がった。
ACE COMBATは私に、ゲームの枠を超えてたくさんのものをもたらしてくれた。

私の好きな軍用機のひとつに、Rafale(ラファール)というのがある。
フランスの軍用機で、試作のA型にはじまりB、C、M、N(これは未完)、Mk.2があるマルチロール機(空戦、対地任務のどちらもこなす機体のこと)として作られている。

エスコン(ACE COMBATの略称)ではRafaleにとてもお世話になった。
米軍機のように重い舵でもなく、ミサイルもそこそこ積めて、安く買えて、美しい機体はRafale以外にないと思うくらい。
高高度ミッションだとストールしてしまうからあまり乗らないけど、対地ミッションと言いながら敵エースが出てきたりする場面ではRafaleでよかったといつも思っていた。

今年、待ちに待ったナンバリングタイトル「7」が発表になった。
ここ数年は現実世界で飛び、それがゆえに私の好きな大型兵器も目の覚めるようなかっこよさの敵エースも魅力的な友軍も出逢えず、あんなに好きだったのに熱が急激に冷めていった。

願わくば、7では胸の滾るような素晴らしい出逢いがありますように。

BGM:ACE COMBAT 04よりOperation Bunker Shot


#航空機 #軍用機 #戦闘機 #エスコン #ACECOMBAT

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