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どた、どた、どた。

「君は欲望に忠実なんだね」と言われたことがある。僕は「欲望に」という言い方に嫌悪感を覚えたが、端から見れば確かにその通りなのかもしれないと思った。
部屋を眺める。奥行きの浅い棚が3つ。カメラとレンズが並んでいる。棚の内側にはリボンライトを配してあり、暖色のライトが等間隔に並べられたレンズを照らす。趣味が興じて手持ちがいつの間にか2桁に達したときに、Amazonやダイソーで買ったものを組み合わせて作った自前のショーケースだ。今やその棚にも収まりきらず数本のレンズが机の上に置かれている。
僕はソファから立ち上がり、ベランダへ続くガラス戸を開ける。

実家の玄関をくぐり居間に入ると、両親と妹が「おかえり」と言う。3人の向こうには姪っ子を抱えた義弟が立っている。これはここ1、2年の景色だが、当然ながらそれ以前はそうではなかった。
僕が帰省すると母が居間に居て、僕は荷物を置く。そのまま廊下に戻り階段の下で「おばあちゃん、ただいま。」と言う。しばらくしてゆっくりと祖母が階段を降りてくる。どた、どた、どた。父は1日仕事か、早出で夕方に帰ってくる。これがいつものパターンだった。

僕は祖母の最期に間に合わなかった。老衰からくる肺炎だった。最期の日、もともと僕はお見舞いに行く予定だったが、出かけるころに母から電話がかかってきた。
「約束の時間より少し早いが、もう来て欲しい」
容態が良くないのだとは思ったが、僕は電話口の母の口調にそこまでの緊迫感を感じずに(これは慌てて事故や怪我をしないようにという母の配慮だったように思う)駅前のコンビニで呑気におにぎりを2つ買い、電車を乗り継いで病院へと向かったのだった。
最寄り駅の出口の階段を登りきって、大きな病院の建物を見上げ、母にチャットを送る。着いたよ。ちょうどその頃だったそうだ。

みんなで食卓を囲む。居間のアップライトピアノの上に祖母の写真を置くと、姪っ子が写真に向かって何かを言っている。何かが見えているのか、写真が祖母のものであることをわかっているのか、写真を置くと決まって話しかけるような仕草をするのだ。遊んでいるときもそのきらいがある。

いつのまにかそれが日常になりつつある。ただいま、というと、姪っ子がかけてくる。とたとたとた。
最近は人見知りをするようになって、僕の顔を見てくるりとUターンするようになった。あーあ、泣いちゃった。ごめんね。

僕はガラス戸を閉じる。プラモデルやら本やらで散らかった部屋を眺める。もう少し広い部屋に住みたいな。居間と寝室を分けたい。
今の部屋は駅から近くて気に入っているが、今の倍、駅から遠ければかなり広い部屋が借りれるようだ。
仲間も増え、趣味も増え、物も増えた。その分忙しくもなったけどね。
色々やりたいことが多いのである。

そんなに心配しなくても、ゆっくり降りてきなよ。僕はここにいるんだし。

どた、どた、どた。

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