【感想】ばかうけの映画こと「メッセージ」を見てきた
見てきた。結論だけ言うと、「映像とか雰囲気とかはかなりいい感じだったのに、無理やりハリウッド映画的山場を作ろうとしたせいでテーマがブレてしまって総合的には60点くらい」という感じでした。
これは原作の短編を読んでいた人には割りと納得してもらえると思うのだけど、ブレたってどこが?そもそもテーマって何?という人のためにまずは原作である『あなたの人生の物語』のあらすじを簡単に説明しておく。
『あなたの人生の物語』あらすじ
言語学者のルイーズ・バンクス博士は政府の依頼により、地球に飛来した異星人・ヘプタポッドの言語を解読する任務に就く。彼らの用いる文字言語は非常に異質なもので、時制がなく、文章内に前後の区別がなく、書き始める時点で書き手は文の結末を必然的に知っていることになるという特徴を持っていた。
ヘプタポッドの言語の理解が進むにつれ、バンクス博士は人間とは全く違う方法で時空を認識しているヘプタポッドの特異な思考もまた理解し、受け入れていく。彼らにとって時間とは、空間を左右同時に見渡せるのと同様、過去と未来を同時に見渡せるものだったのだ。それを理解したとき、バンクス博士の世界に対する認識もまた変容する。認識とは思考に用いる言語によって規定されるからだ。バンクス博士は「現在と同時に未来を認識する」ことができるようになり、同時にその未来は変わることがないこと、自由意志と選択というのは人間の錯覚であって、世界は決定論的にできているということを理解する。
物語は「あなた」に対するバンクス博士の語りかけで綴られる。「あなた」とはまだ生まれていない彼女の娘だ。彼女は既に知っている。「あなた」が生まれたときの喜び、「あなた」と過ごす日々の暖かさ、そして若くして死ぬことになる「あなた」との別れの悲しみ……。そして「あなた」に心の中で語りかけている今日、一人の男性が自分に話しかけてくること。彼こそが未来の夫であり、「あなた」の父親であること。やがて彼に「子供は欲しいかい?」と尋ねられ、自分が「もちろん」と答えることも……。
決定論的世界で前向きに生きる勇気
「何が簡単なあらすじだ!全部じゃねーか!」と思ったかもしれないが、そんなことは気にするな。俺だってここに書かれていることは全部知った上で見に行ったんだから対等だ。バンクス博士だって未来を知って受け入れた上で前向きに生きている。
この「未来を受け入れた上で前向きに生きる」というのが『あなたの人生の物語』のキモである。未来は決まっていて何をしようと変えることはできないが、それでも、いや、だからこそ前向きに生きるという思想だ。これは一見理解しがたいかもしれないが、たとえば我々にしたって、詳細は知らないにせよ「自分の死」という絶対的な結末が最後に待っていることは知っているわけである。その上で「どうせいつか死ぬんだと思って一生クヨクヨ落ち込んで過ごすのと、結末を受け入れた上で前向きに生きるのと、どっちがいいと思う?」と聞かれたら、まあ大抵の人は後者を選ぶのではないだろうか。
これはキリスト教カルヴァン派の予定説の話に少し似ている。「救済される人間とされない人間は神の意思によってあらかじめ定められており、人間ごときがどんな行動や意思を示そうと覆ることはない(しかし、だからこそ信仰に生きる)」というやつである。あるいはジョジョ6部でプッチ神父が目指した「天国」の方がより近いかもしれない。
なんにせよ、重要な前提は「未来は変えられない」という点だ。未来が変えられないという前提があるからこそ『あなたの人生の物語』は、運命を受け止め乗り越えていく主人公の姿によって、読んだ者を勇気づける傑作なのである。ひるがえって映画『メッセージ』はどうだったか?
いきなりドラえもんになるのやめろ
映画『メッセージ』では、ヘプタポッドの言語研究を通じてバンクス博士の世界の認識が変容していくというあらすじは同じながら、原作との相違としてヘプタポッドの宇宙船(ばかうけと呼ばれているアレだ)は世界各地に降りる。そして世界各国が並行してヘプタポッドと接触し意思疎通を試みるのだが、今いち意思疎通の上手くいかない中、中国はばかうけを脅威とみなして宣戦を布告する。あわや宇宙戦争の危機! そこでバンクス博士は未来で開かれる「ヘプタポッドとの意思疎通成功おめでとうパーティー」で聞くことになる、中国軍の最高指導者のプライベートのケータイ番号を「思い出し」、電話をかけて攻撃を思いとどまるよう説得する。説得はみごと功を奏し、宇宙戦争の危機は去った。めでたしめでたし……。
我々はこれと似たようなクライマックスのある映画を知っている。そう、「ドラえもんのび太の大魔境」である。あの映画はのび太たちが「たった5人じゃかなうわけないよ~~」と言っているところに「無事生き延びて未来からタイムマシンで助けに来たのび太たち」が助太刀に現れたのでなんとかなり、その後自分たちもタイムマシンで過去に戻って自分たちを助けてつじつまを合わすというラストだった。この展開は冷静に考えてみると「最初ののび太たち」には助太刀は現れないはずなのでこんなことは起こるはずがない、というタイムパラドックスを含んでいるのだが、まあドラえもんだからということで許されている。
しかし『メッセージ』は、ドラえもんだから許されたこれと似たようなことをやってしまっているのである。「中国軍将軍のケータイ番号」という未来の情報を知って行動したことで宇宙戦争の危機が回避された=未来が変わったのだとしたら「未来は全て決定されており、ヘプタポッドの認識法だと過去と未来を同時に見渡せる」という前提が崩れてしまうし、逆に「何をどうしようともバンクス博士は将軍のケータイに電話したし、おめでとうパーティも開かれた」と考えることにも矛盾がある。
そんなにいりますか?ハリウッド的お約束
なんだかなあ……という感じである。このあわや宇宙戦争の危機!というくだりは明らかに「ハリウッド映画なんだから緊迫感のあるクライマックスを作らないとね」ということで無理やり挿入されたものだ。しかしそのせいで、原作のキモである「運命を受け止めた上で前向きに生きる」という部分の描写がブレブレになってしまっている。娘のたどる末路を知った上で、それでも結婚して子をなすことを選ぶというバンクス博士の選択も、視聴者に「え?でもなんかがんばれば未来変えれるっぽくなかった?」と思わせてしまったら、「運命を乗り越える強さ」ではなく「運命に屈服する弱さ」と映ってしまう。
この映画は全面的にダメな映画かというと全然そんなことはなく、全体的に映像と音響はかなりよかったし、特に原作を読んだときにはピンとこなかったヘプタポッド文字も「なるほどこういうことか!」と思わせる説得力があった。だからこそ、なんだかなあ……と思ってしまうのである。ハリウッド的お約束に囚われずに制作されていたら、と思わずにいられない。それか、どうせならいっそ半端に原作をなぞるのをやめて、派手にドンパチする映画にしてほしかった。とにかく、非常に惜しい映画だった。
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