あなたが思う「いい歌詞」は、本当にいい歌詞ですか? #梶Pのエンタメ金曜日
こんにちは、金曜日の男、
Wind Produceの梶直哉です。
今日は、Wind Produceで、
歌詞プロデューサーをしながら、
自分も作詞をしている僕が、
最近の音楽、
特に歌詞に関して、
思うことを書いていきたいと思います。
よく、人気なアーティストの特集で、
「歌詞がいい」
と言われているアーティストをよく見ますが、
そういうアーティストって、
だいたい、歌詞はそこまで良くないというか、
何も感じない歌詞が多いと、
僕は思います。
先に言っておきますと、
僕はその人たちより、
いい歌詞が書けるとは、
自分では思ってないです。
おそらく、年代相応、
普通くらいでしょう。
ただ、言えることは、
現代の音楽は、
昔より歌詞のレベルが下がり、
聞く人も、本当にいい歌詞を知らない、
そんな時代になっているように思います。
実際、素敵な歌詞を書く人は、
現代でも存在しています。
僕が思うに、
まず挙げられるのは、
作詞家 秋元康。
作詞家と呼べる人は秋元先生だけかもしれません。
他の人は、
シンガーソングライライターだったりします。
作詞だけで音楽の仕事をしていて、
そして、それが作詞という芸術である、
それは秋元康だけ、かもしれません。
他にも、
BUMP OF CHICKEN、
RADWIMPS、
米津玄師、
あいみょん
などの人は、
作詞芸術を体現できる人だと思ってます。
ただ、本当にいい歌詞を知らず、
もっといいものがあるのに、
それをわからないために、
より良い判断ができない人がいます。
では、なぜそんな時代になってしまったのか、
それが今回のお話です。
ちなみに、この話の中心になっているのは、
主に若者、細かく言えば、
マーケティングでF1層などと呼ばれる人たち、
そういう文化やブームの中心にいて、
そういうものを作り出していく人です。
そういう人が、
今どうなっているのか、
そういうお話です。
1、物事を簡略化する文化が発達した
まず挙げたいのは、
物事を簡略化する文化が発達した、
ということです。
今ほぼ全ての人が使っている、
スマートフォンを中心に、
全てのものは、
どんどん便利にする、
そういう方向に、
世界は動いてますが、
その影響も受けて、
便利にすると同時に、
簡単にする、というのも増えています。
要するにそれは、
無駄なものを減らす、ということです。
それ自体は悪いことではないですが、
芸術に関することは、
必ずしもいいことばかりではありません。
例えば、美術館に行かなくても、
スマホで名画を見れます。
コンサートに行かなくても、
スマホでオーケストラでも何でも聞けます。
見るもの聞くものは同じでも、
そこで得るものは大幅に変わります。
感動とはそういうものだと思います。
そして言語もまた同じ。
例えば、電話で連絡を取っていた時代は、
メールで連絡を取るようになり、
LINEの普及で、
メールに必要だった、
「文章」の存在が必要なくなり、
「単語」だけ、
「スタンプ」だけ、
そんな時代に。
さらに現代の若い子たちは、
「了解」という言葉を、
いつしか「りょ」と略すようになり、
さらに「り」と略すようになったそうです。
何が言いたいかというと、
難しい言葉や、めんどくさい言葉、
美しい言葉、考えさせる言葉、
そういうものを避ける時代になった、
ということです。
そういう人が歌詞を書くようになり、
そういう人が歌詞を聞く訳です。
2、物事の意味を考えなくなった
2番目は、
物事の意味を考えなくなった、
ということです。
例えば、
「かわいい」という言葉、
他にも、「エモい」「映え」
そういう言葉は、
今では、
「ほぼ全てに使える言葉」です。
例えば、
僕はこれを読んでくださっている人が、
どんな生活をしているか知りませんが、
スマホから視線を外した先にある何かは、
「エモい」と言われるものかもしれません。
要は、最悪、
何でもいいんです。
エモいって、エモーショナルではなくて、
エモいっていいたいだけだったりします。
まぁこれは極端な話かもしれませんが、
1つのもの、
1つの感情、
そして、感動。
こういうものを伝えることに、
大切に意味が深い言葉を選んでいたのが、
今は何も考えず、
「エモい」で終わるんです。
また、みんながいいと言うからいい、
なんてこともありますね。
3、ストリーミングサービスの発達
ストリーミングサービスの影響で、
音楽は聞くものから、
聞き流すものになりました。
CD、もっと言えばレコードは、
大切に、お金をかけて買い、
何度も大切にずっと使っていくものでした。
今は、一曲を大切にするものではなく、
聞いてすぐに次に。
そういった時代なら、
歌詞が後回しというか、
よく聞かずに、
印象に残るものが優先されるでしょう。
「ドルチェ&ガッバーナの香水」しか、
伝わらない歌も流行りましたね。
ファンの人はごめんなさい。
でも、僕はそう思うんです。
4、美しい日本語に触れなくなった
また、最近は美しい日本語に、
出会うことが少ないです。
若い人が本をあまり読まないのもあります。
というか、美しい日本語という、
概念もわからないままな気がします。
例えば、
松田聖子さんの有名な楽曲、
「瑠璃色の地球」
に出てくる、「瑠璃色」という言葉、
irocore.comさんによると、
瑠璃色(るりいろ)とは、濃い紫みの鮮やかな青色のことです。本来「瑠璃」とは仏教世界の中心にそびえ立つ須弥山しゅみさんで産出される宝石で、仏教の七宝の一つ。その宝石の色にちなんだ瑠璃色も至上の色として神聖視されました。実際、透明感のあるその色合いは、静かで幻想的な深海を思わせます。瑠璃は一般的に濃い青色の形容に用いられており…以下略
「瑠璃色」という言葉の響きも美しいし、
そこに込められたたくさんの意味、
神聖さ、
幻想的なもの、
そういうものが、
この言葉一言に入ってます。
日本語って本当に素敵な言語なんです。
ただ、こういう一言に感動するという経験、
最近はなかなか出会えません。
もちろん歌詞でもなかなかありません。
5、作曲力の大幅な向上
では、ここからは主につくる側の話です。
DTMの発達により、
誰にでも作曲ができる時代になりました。
そして、だからこそ、
DTMは学ぶことがたくさん。
1つの音を出すのにも、
いろいろ複雑なものがあります。
しかし、歌詞はどうでしょう。
そう、簡単に思えるんです。
だって、いつも使っている日本語だから。
ほんのちょっとだけセンスというか、
言葉を入れる技術があれば、
歌詞は書けます…
と思ってしまうんです。
実は作詞のほうが、
勉強が必要だと言っている人もいます。
ただ、ちょっと書けちゃうもので、
終わってしまっているんです。
6、ドラマ主題歌の影響
また、ドラマ主題歌や、
映画主題歌の影響も大きいでしょう。
日本のヒットソングの多くは、
ドラマや映画の主題歌だったりします。
それをたくさん聞いてしまって、
それを見本にしてしまうと、
そもそも根本的に違うことが起こります。
主題歌というのは、
原作や脚本、映像を元に、
その映像のテーマソングになるものを書きます。
なので、どちらかというと、
感情重視の曲ができます。
設定や背景、そういうものは、
全てドラマが表現してくれるからです。
しかし、普通の楽曲は、
基本ゼロベースでつくります。
なので、人間や情景、構図などなど、
丁寧に歌詞の中で描き切らなければいけません。
ただ、そういう歌詞は本当に減りました。
だからこそ、心に刺さる歌詞は減りました。
つくる側が見えている、
伝えたい世界、
それが聞く側には見えていないんです。
7、最後に。
いろいろ長く話してしまいました。
何がいいたいかというと、
僕はもっと若い人に、
もっと本当の意味で、
歌詞に感動してほしいし、
つくる人には、
日本語の本当に美しい表現を、
たくさん芸術として発信してほしいです。
僕もそれができるように頑張ります。
日本語は、
世界一美しい言語なのだから。
Wind Produce
プロデューサー
梶直哉
追記
最後に大好きな歌詞を。
作詞 松本隆
松田聖子「瑠璃色の地球」