ラッパーのショートショート『本をカフェに遺す人』
「抹茶カフェラテでお待ちのお客様、お待たせいたしました!」
聡介は抹茶カフェラテを受け取り、窓際の席へ向かう。店内は水曜日の午後ということもあって人は少なく、比較的静かだった。
秋のテストの結果発表は2週間前。もともと自信はなかったが、案の定点数は低く、赤点ラインを下回っていた。このままだと留年が確実なので、普段は友達と遊んでいるはずの水曜日の午後に大学近くのカフェで勉強をすることにした。
昔から聡介は本を読むのが好きだった。隙間一つない図書館の本棚から面白そうなタイトルの本を手に取り、タイトルと表紙のデザインがなんとなく調和がとれていたら借りる。小説から哲学書、工学系の本やビジネス書、歴史本などジャンルは問わず、面白そうだと思うものは何でも手に取っていった。中学生のころは子供向け絵本さえも借りていた。聡介にとってはジャングルで宝箱を探しあてる感覚だった。偶然大切な運命の人に出会える、そんな感覚が好きだった。
一方、勉強は嫌いだった。与えられた教科書の内容を1ページずつ読んでいき、問題を解いていくだけ。流れてきた容器に食品を詰め込む工場作業のようだった。まったくロマンが感じられなかった聡介は先生の言っていることを聞き流し、できるだけ脳みその容量を使わないようにした。
結果どうなったかというと、親にはこっぴどく怒られ、高校2年生の春にはテストの成績が良くなるまでスマホ禁止になった。本を読めば楽しい時間は過ごせる、と思っていたが、スマホが禁止になってから高校生にとってスマホは生命線なことにすぐ気づいた。本を読んでいるからと言って聡介は友達がいなかったわけではなく、ごく普通の高校生だった。下校途中にショッピングモールへ行き、太鼓の達人をしてからマックでビッグマックを食べ、TikTokのおもしろ動画をネタにして笑いあう普通の高校生だった。なので、LINEが使えなくなり、TikTokの話題についていけなくなったときに初めてスマホのありがたみを感じ、依存していることを自覚したのち、いやいや勉強を始めた。次のテストでは目標まで届かなったものの、改善の姿勢を見せることができ、スマホを返してもらえた。
それから4年、自分の意思とやる気、そして将来の希望なんてとっくの昔捨て去ったように、惰性ですべてのことをこなしていた。赤点ラインを下回ってもなかなかやる気はでない。うとうとしながらノートと教科書を読んでいく。
「あのー、すみません」聡介のすぐ後ろから声が聞こえた。振り返るとレジの女性店員さんがいた。
「あ、すみません。えーっと、この本を渡してほしくて、あ、いや、あるお客さんが、この本を渡してくれとのことです。お客さんはすでに出ちゃってて。。あ、どうぞ!」彼女の手には1冊の本がある。聡介には彼女の言っていることがよくわからなかった。
「あ、すいません。僕にですか。」
「はい!そうです。。。はい。。」
差し出された本のタイトルは「英語嫌いな君が英語博士に授業をしてみたら」、そしてピカソみたいな絵で「英語嫌いな君」と「英語博士」が表紙に描かれていた。聡介からすると、この本は調和がとれていた。そして、偶然にしては偶然すぎる本だった。ちょうど英語の赤点に苦しんでいた聡介は赤文字だらけの回答用紙を体で隠し、「あ、どうも」と言って受け取る。
その週末、聡介は「英語嫌いな君が英語博士に授業をしてみたら」を読んでみた。すると、今までなんとなくしかわからなかった英語の文法がいきなりわかるようになった。
1週間後の英語のテストで聡介は初めて90点をとった。
だが、聡介は英語だけでなく会計学、地理、メディア学など他にもいくつか赤点ギリギリの科目があった。次の週も同じカフェへ行き、抹茶カフェラテをお供に会計学の勉強をすることにした。
すると勉強中にまたもや「あのぉー、すみません。。」以前本を渡してくれたレジの女性が斜め後ろに立っていた。
「お忙しいところすみません。先ほどお帰りになられたお客様がこの本を渡してくれ、とのことでした。。」尻つぼみに声が小さくなる彼女は1冊の文庫本を聡介に差し出した。
本のタイトルは「世界のトップ10人が教える会計と数字」。真っ白な背景に小さな黒い点が10個並んでいるだけのシンプルな表紙。偶然にしては偶然過ぎるほどのタイミングで面白そうな本だった。
聡介は本を受け取り、彼女へ質問した。
「この本を残してくれた人って前の人と同じ人ですか?」
「あー、えっと。」彼女は気まずそうに答えた。「は、はい。そうです。」
「なんで僕に本をくれるのか、何か理由きいてますか?」
「いえ。。聞いてないです。。」
「そうなんですね。ちょっと不思議だなって思っただけです。」聡介は手渡された本を見つめた。
「あの、勉強がんばってください!」彼女はそう言って足早にレジへ戻る。
渡された本を読んだ聡介は次の会計学の授業で満点をとった。
全教科通じて大学入学後初めての満点だった。
誰なんだろう?成績が上がった嬉しさと同時に、深まっていく謎。聡介は次の水曜日、朝からカフェへ行くことにした。レジを通る人や椅子に座っている人を観察する。勉強には身が入らないが、この謎を解き明かすまではどっちにしても勉強に身が入らない。足長おじさんを探すように、聡介もまた自分を救ってくれた人を探す。今日は朝からずっと客足が途絶えず、多くの人がカフェでくつろいでいた。
少し高そうなコートを羽織った経営者っぽいおじさんや、金色のネックレスが特徴的な学校の先生のような女性、70代くらいの分厚い眼鏡をかけたおじいちゃんなどそれっぽい人はいたが、誰も聡介のほうを見向きもせず、レジの女性へ本を渡す素振りすら見せずに帰ってしまった。
その日はついに夕方になってもレジの女性店員は本をもってこなかった。そういえば、聡介は本を残してくれる人がどのような身なりの人なのか聞いていなかった。聡介はレジへ向かい、いつも本を渡しに来る女性店員へ尋ねた。
「すみません」
「あ、こんにちは。ご注文でしょうか!」いつも本を渡しに来る女性が少し驚いた顔で、でも嬉しそうな表情で挨拶をする。
「いえ、すみません。注文ではないのですが、今日も本を渡しに来た人っていますか?」
「い、いえ。。」
「あ、そうなんですね。変な質問かもしれませんが、ちなみにその人ってどういう見た目の方ですか?女性とか、男性とか。」
一瞬間を開けて彼女は答えた「えーっと、たぶん40代くらいの。。男性の方です。。すみません、それくらいしかわからず」
「いえ、ありがとうございます。いつもなんかすみません」
「いえいえ、とんでもないです!」
「もし次その人が来たら、こっそり教えてもらっていいですか?」
「は、はい!」
*
レジの女性は仕事終わり、同僚の女性と話していた。
「あーちゃん、どうなの?」
「どうって?」
「あの好きな男の子!進展あった?」
「あ、いや、まだちょっとわからないです。。」レジの女性は顔を赤らめる。
「もー、ぐいぐい行かなきゃ!」
「そんな、難しいですよー!」そう言いながら彼女は嬉しそうな表情を見せる。
「今日会計の勉強してたから、次はこの本渡してみな」同僚の女性は「世界のトップ10人が教える会計と数字」という白い表紙の難しそうな本を差し出した。
「あーちゃん、きっかけなんて作ればいいの。顔も声も性格もかわいいんだから、あとは少しでも会話するためのシチュエーション作ればいいだけよ!」
「もー、そんなの難しいよぉー」照れた表情をしながらレジの女性は本を受け取る。
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