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来りし春のその先へ

無料でくれるコーヒーが美味しい青と黄色のあの会社も、黒光りする機体が重厚なあの会社も、値段が取り柄のあの会社も、どれにしたって離陸直前のワクワク感は他の何にも替え難い。

果てしなく続くこの地平線の彼方に楽園があって、今まさに私を乗せた鋼鉄の塊が猛スピードでそこまで運んでくれようとしている。その事実だけで私の周りを取り巻くあれこれが、しばらくはどうでもいいことになる。

明日は最初から最後まで何が起こるか分からないという希望があり、これから私はどんな景色を目の当たりにするのか、そう考えるだけで、窓際の席に座ってベルトを早々に装着した私の全身に鳥肌が走って瞳孔がいつにない程見開く。

思い返せば、この大都会の片隅で、2ヶ月間 ”HKT48” を渇望している自分がいた。年明け六本木の狂喜を終えた私は、日々決まった時間に決まったダイヤのバスと電車に乗り、決まった時間拘束され、時の流れに身を任せるかの如く目の前の作業と向き合っては帰ることを繰り返していた。その合間に、HKT48のメンバー達が汗をかき、笑い合い、高め合う光景を地行浜に鳴り響くオタク達の咆哮と自分自身の感覚と重ね合わせつつやり過ごしてきた。厳しい冬に苦しみ、厄介な病魔に身体を蝕まれることもあった。その時に運良く最愛の推しと短くも時間を共有できたことは、私にとってせめてもの救いだった。

話を戻そう。待ち受けるものが粗方分かっている日常的な劇場公演とは違い、単独や外ライブは非日常で何が飛び出すか分からない「おもちゃ箱」。このグループが魅せてくれるその場限りのステージは、彼女達が秘める無限の可能性を対峙する度に分からせてくれるのだ。私が劇場公演を生鑑賞しに行くよりコストの張る単独や外ライブを優先するのは、そんな非日常に何よりも魅了されているからである。行ったことのない場所にHKT48のために足を運びたいし、これからも狂おしいほど愛すべきグループと共に儚くも美しい時間を過ごしたい。そう思うばかりだ。

ようやく明日3月9日、私は ”HKT48” を浴びて感じて、またこの楽園がくれる非日常という宝物にしばし(とはいえ20日間)の別れを告げる。

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