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おいしいカレーのつくりかた

 玉ねぎを切るときの正しさがどこにあるのか、いまだにわからない。
 まず半分に切る。次に平らな面を下にして薄切りに、……この「薄切り」がくせ者だ。「繊維に沿って切る」がわからない。芯に向かって斜め下に包丁を入れていくとやがて土台を失った玉ねぎはシーソーみたいにがたつき始める。上から下へまっすぐ切り下ろせばよいのだろうか。すると切り口が美しくない。
 いざカレーを作る段になってぼくはいつも途方に暮れてしまう。途方に暮れながら、切る。それだけで涙が出る。10年前にはもっと涙腺が丈夫だったのにと舌打ちしながら台所を離れ、眼の痛みがなくなるまで洗顔する。

 鍋に油を熱して、たっぷりの玉ねぎを入れて、炒める。たっぷりとは「たっぷり」である。箱の裏面に書いてある量の1.5倍は入れていい。ぼくは2倍入れる。火は中火。弱火でじっくり飴色にしたいと思ったこともある。いつまでたっても火が通らなかった。だめだ。こんなことでは弱気なカレーになってしまう。中火だ。ちゅわちゅわ鳴いてる鍋を横目に、ニンジンを切る。ニンジンは箱の裏面通りの量を入れる。ピーラーで皮をむいて、ぶつ切りにする。昔はおもちゃみたいに小さく切ったニンジンをよく食べていたけれど、ぼくはごろごろカレーが好きなのだ。だからごろごろだ。

 思い出したら玉ねぎ鍋に木べらをさす。鍋底に張りついた繊維が茶色く焦げそうで、甘い匂いがする。カラメル色。ざっくり混ぜて、鍋は放置。次はじゃがいもを選ぶ、洗う。細かな泥が爪に挟まる。

(料理するときは爪を切りなさい)

 はい。そういえばそうだったね。
 何度だって怒られてしまいそうなお仕事だ。でもいま台所に立っているのは、ぼくだ。だからいいのだ。頬が緩む。巨大なじゃがいもだから八等分にしよう! 鼻唄は猫型ロボットのピカピカの歌だ。

 カレー肉には塩胡椒。木べらでゴソゴソ混ぜる鍋。甘い匂いが煮詰まって、玉ねぎ以外の仲間たちを鍋底のステンレスがじゅいじゅい笑って誘っている。ニンジン、カレー肉、最後にじゃがいも。

 水を汲むのは待ってほしい。まずは具材に火を通す。雪国秘湯の露天風呂、温泉に浸かった猿の家族みたいに芯までほかほかしてほしい。ちゃんと温まると、ニンジンは表面が艶々してくる。今ならいいよ、あたためて。と笑うのだ。玉ねぎがまだ少し白っぽい。中火なのに飴色じゃない。まあいい。甘い匂いがすればいい。

 ……ここだけの話なのだが、計量カップにヒビが入っている。わかっている。安物のプラスチック製なので一年くらいしかもたないのだ。でも計量カップに長いこと液体を汲み置いておくことなんて滅多にないし、今だって水道から目一杯注いだ水をそのまま鍋に移すだけでお役御免だ。だから買い換えない。本格的に漏れて欠けてどうしようもなくなるまでは、働いてもらう。持ち主に似ている。だから君も頑張れよ、と計量カップくんを流しに戻してぼくは木べらを握る。水で剥がれやすくなった今、こびりついた玉ねぎの繊維を剥がすのだ。

 換気扇を回すのを忘れていた。

 紐に染みついた油汚れが手のひらに染み込んでしまったようだ。ごうごう、循環する空気がやかましく鳴る。油の浮いた鍋の水面が、熱循環と、湿度の風で揺らめいている。ステンレス鍋の側面が焦げ目の隙間に橙色を湛えている。換気扇の羽根。蝉の鳴き声。ぼくは手首で汗を拭う。

 今日はカレーを作る。そう決めたから我慢する。

「あっ」

 流しに両手をかけて、脱力を堪えた。

「あ〜……。しくった」

 痛恨!
 米の用意を何にもしていない。まずい。痛恨。最悪じゃないか。米、そろそろなくなる頃だったのに買い足してない。かつては5kgの米を収容していたしょぼくれ袋を冷蔵庫から引っ張り出して、睨む。掌で揉む。カレー鍋の照り返す夕陽を眺める。いける。

 しゃこしゃこしゃこ、ざばばば。
 しゃこしゃこしゃこ、ざばばば。

 研ぎ汁を捨ててひび割れカップで水を足し、はやだきモードで炊飯だ。よし。これなら大丈夫。鍋の蓋が鳴る。カレー未満の野菜スープが、濁った泡を寄せ集めながら愉快そうに踊っている。

 あくを掬おう。正直なところ、どこまでが「あく」で、どこまでが沸騰して出てきた泡なのか、ぼくにはいまだにわからない。なんとなく、でも真剣に。あくとりなんて持ってないので万能おたまを使う。あく(と疑わしき泡)を掬っては水を張った小型のボウルにつける。足首に柔らかいものが擦りつけられた。前から後ろへ。左足の脛からくるりと右足の後ろ、ふたたび前へ。

「シチュー」
「みゃおう」
「今日はカレーだよ。シチュー」
「みゃーうぅ」

 シチューは猫の名前だ。もらってきた日の夕飯がシチューで、この子もミルクのように白かったから。

 換気扇は回る。汗がシャツを湿らせる。ひび割れた計量カップで水道水を飲む。壁には時計がもうないので、タイマーがわりに煮込む間は歌をうたう。さっきは長野で電子花札する映画の歌、今度はずぶ濡れおばけの歌だ。歌いながら、シチューの水と餌を変える。尿路結石対策用のちょっと値が張るやつ。

「おまえは長生きしてくれよ。シチュー」

 ぼくよりも。なんて願いは無責任にすぎる。わかっているけれど、口にするくらいならいいだろう。張り詰めた弓の弦を歌い終えて、火を止める。

 緑色のパッケージのルウをぱきりと割って、鍋に落としていく。可愛らしい音を立てて、焦げ茶の塊は沈んでいった。おたまを鍋に突っ込んで、ぐるぐるぐるぐるかき回す。弱気の弱火。カレーは最後に弱くなる人のための料理だ。どんなに強がっても、最後は弱くならなきゃおいしく食べられない。くつくつと、混ぜるほどにとろみのつくカレー。仕上げとばかりに蒸気を吹き出す炊飯器。

「シチュー、シチュー」
「みゃう」
「今日はカレーだよ。おまえには食べさせられないけどね。玉ねぎがなにせたっぷり入っているんだから」

 線香の匂い。
 ぼくは今日も台所に立つ。
 もっともっともっと、教えてもらえばよかった。

 炊飯器の圧力弁が、カチッと下がって、おいしいメロディが夕暮れを満たした。

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望月もなか
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